北条氏邦の城、荒川断崖に聳り立つ巨大城郭
鉢形城_全景02
鉢形城の見どころと散策ルート
鉢形城の見どころは、荒川の河岸段丘に立つ巨大な土塁の城郭。三の曲輪には四脚門と石積土塁がきれいに復元されています。
アクセスは、JR八高線・東武東上線・秩父鉄道が乗り入れる寄居駅の南口から歩いて15分程度です。
また車でアクセスする場合は、関越自動車道の花園インターから国道140号線を秩父方面に進んだ後、寄居駅付近から南に進めば約11分で鉢形城公園駐車場に到着です。
今回の登城ルートは、寄居駅から正喜橋を渡り、笹曲輪から搦手門跡を通り、伝御殿曲輪、本曲輪、ニの曲輪から四脚門や庭園跡のある三の曲輪を巡り、天然の内堀となった深沢川を通りながら外曲輪とそれを囲む巨大な土塁、最後に鉢形城歴史館へと巡るルートです。
アクセスは、JR八高線・東武東上線・秩父鉄道が乗り入れる寄居駅の南口から歩いて15分程度です。
また車でアクセスする場合は、関越自動車道の花園インターから国道140号線を秩父方面に進んだ後、寄居駅付近から南に進めば約11分で鉢形城公園駐車場に到着です。
今回の登城ルートは、寄居駅から正喜橋を渡り、笹曲輪から搦手門跡を通り、伝御殿曲輪、本曲輪、ニの曲輪から四脚門や庭園跡のある三の曲輪を巡り、天然の内堀となった深沢川を通りながら外曲輪とそれを囲む巨大な土塁、最後に鉢形城歴史館へと巡るルートです。
目次
笹曲輪
荒川にかかる正喜橋を渡ってすぐ右手が笹曲輪です。
鉢形城跡と書かれた石碑が目印です。
右に折れて進むと右側に曲輪跡があります。
中には鉢形城の案内図や鉢形城の全景模型がおいてありますので当時をイメージしながら進むといいでしょう。
道路沿いには、石積土塁跡もあります。
鉢形城跡と書かれた石碑が目印です。
右に折れて進むと右側に曲輪跡があります。
中には鉢形城の案内図や鉢形城の全景模型がおいてありますので当時をイメージしながら進むといいでしょう。
道路沿いには、石積土塁跡もあります。
伝御殿曲輪
道路沿いをまっすぐ進むと右手が伝御殿曲輪です。
伝御殿曲輪は本曲輪内の1つで川沿い北側が伝御殿曲輪、南側が伝御殿下曲輪です。
伝御殿曲輪は鉢形城城主の館があったとされていることから、城内で最も主要な区域だったと考えられています。また本曲輪がある絶壁のすぐ下を流れる荒川は、流れがとても急で深さもあるため、渡河して攻め込むのが非常に難しい地形です。絶壁自体も急になっているため、無事に川を渡れたとしても曲輪の内部に侵入するのが困難を極めていました。
曲輪内には、田山花袋の石碑もあります。
伝御殿曲輪は本曲輪内の1つで川沿い北側が伝御殿曲輪、南側が伝御殿下曲輪です。
伝御殿曲輪は鉢形城城主の館があったとされていることから、城内で最も主要な区域だったと考えられています。また本曲輪がある絶壁のすぐ下を流れる荒川は、流れがとても急で深さもあるため、渡河して攻め込むのが非常に難しい地形です。絶壁自体も急になっているため、無事に川を渡れたとしても曲輪の内部に侵入するのが困難を極めていました。
曲輪内には、田山花袋の石碑もあります。
本曲輪
伝御殿曲輪の奥には急な階段があり、降りると本曲輪にでます。
本曲輪から眺めると改めて伝御殿曲輪が城の一番の高台にあり、土塁で強固に守られていたことがわかります。
本曲輪から眺めると改めて伝御殿曲輪が城の一番の高台にあり、土塁で強固に守られていたことがわかります。
二の曲輪
本曲輪から深く掘りこまれた道路を越えるとニの曲輪です。
二の曲輪は、鉢形城でも本曲輪の南側に設けられた区域です。南西は三の曲輪に、南は伝逸見曲輪へと続いています。北東・西・南側が堀と土塁に、東側を深沢川に隔てられているのが特徴です。
城内の中でも特に畝掘と土塁、馬出の遺構が切れに残る場所です。
二の曲輪と三の曲輪の間には堅固な空堀と土塁が築かれており、往時は空堀の上を木で作った橋で渡していたと考えられています。両方の曲輪をまたぐ形で木の橋も復元されているため、三の曲輪と往復する際に渡るのもおすすめです。合わせて1997(平成9)年度に鉢形城内で行われた発掘調査の際、土塁の基底部が確認されたため、土塁を復元して訪れる方が往時の姿を見られるようになっています。また北西側を走る道路は、かつて本丸との間に掘られた堀切でした。
二の曲輪内部では、掘立柱の建物跡や鍛冶工房も検出しています。本曲輪と同じように鉢形城内で重要な機能を果たしていたと考えられる一画です。
二の曲輪は、鉢形城でも本曲輪の南側に設けられた区域です。南西は三の曲輪に、南は伝逸見曲輪へと続いています。北東・西・南側が堀と土塁に、東側を深沢川に隔てられているのが特徴です。
城内の中でも特に畝掘と土塁、馬出の遺構が切れに残る場所です。
二の曲輪と三の曲輪の間には堅固な空堀と土塁が築かれており、往時は空堀の上を木で作った橋で渡していたと考えられています。両方の曲輪をまたぐ形で木の橋も復元されているため、三の曲輪と往復する際に渡るのもおすすめです。合わせて1997(平成9)年度に鉢形城内で行われた発掘調査の際、土塁の基底部が確認されたため、土塁を復元して訪れる方が往時の姿を見られるようになっています。また北西側を走る道路は、かつて本丸との間に掘られた堀切でした。
二の曲輪内部では、掘立柱の建物跡や鍛冶工房も検出しています。本曲輪と同じように鉢形城内で重要な機能を果たしていたと考えられる一画です。
三の曲輪(四脚門と石積土塁)
四脚門から登城します。四脚門は城の大手口にあたり抜けると三の曲輪です。現在は門と土塀が復元されています。
三の曲輪は鉢形城内でも最も西側に位置している区域です。北側には伝秩父曲輪があり、北条氏邦の重臣・秩父孫次郎が防備を担当したという言い伝えがあります。
伝秩父曲輪からは、先ほど触れた庭園跡以外にも石積土塁も出土・復元されており、かつての鉢形城に使われた築城技術を今に伝える存在です。土塁を築いてから川原石を階段状に積み上げる作業で構築しており、土塁自体をより高く造り上げて敵が簡単に乗り越えられないようになっています。
また曲輪の南側には四脚門も復元されており、伝秩父曲輪の庭園や石積土塁と並ぶ鉢形城内の見どころです。四脚門も1998~2001(平成10~13)年の発掘調査で検出したもので、礎石と石段が比較的良い保存状態で残されていました。門の建築を復元する際、庭園跡の四阿と同じように『洛中洛外図屏風』の細川屋敷の建物の意匠が参考にされています。
三の曲輪は鉢形城内でも最も西側に位置している区域です。北側には伝秩父曲輪があり、北条氏邦の重臣・秩父孫次郎が防備を担当したという言い伝えがあります。
伝秩父曲輪からは、先ほど触れた庭園跡以外にも石積土塁も出土・復元されており、かつての鉢形城に使われた築城技術を今に伝える存在です。土塁を築いてから川原石を階段状に積み上げる作業で構築しており、土塁自体をより高く造り上げて敵が簡単に乗り越えられないようになっています。
また曲輪の南側には四脚門も復元されており、伝秩父曲輪の庭園や石積土塁と並ぶ鉢形城内の見どころです。四脚門も1998~2001(平成10~13)年の発掘調査で検出したもので、礎石と石段が比較的良い保存状態で残されていました。門の建築を復元する際、庭園跡の四阿と同じように『洛中洛外図屏風』の細川屋敷の建物の意匠が参考にされています。
伝秩父曲輪(庭園跡と四阿)
庭園跡は鉢形城跡で最大の見どころとなっています。三の曲輪の北側にある伝秩父曲輪(後述)にあったとされるものです。1998(平成10)~2001(平成13)年度に三の曲輪で行われた発掘調査で検出されました。土に穴を掘って木柱を立てた掘立柱建物・池遺構・柵の列などが出土しています。
池については、浅く掘った上で底の部分に小石を随所に配していた点が特徴です。また水を引き入れるための水路が見つかっていないため、雨水を貯めて活用したものと考えられています。なお素掘りの溝も見つかっており、排水用に使われていたとされるものです。
掘立柱建物跡は16ヶ所から出土しており、中でも池に最も近いものは四阿(あずまや)として使われていました。鉢形城跡で復元されている建物の1つにもなっており、復元の際は狩野派が残した『洛中洛外図屏風』に描かれていた室町幕府管領・細川家の屋敷の建物を参考にしています。
池については、浅く掘った上で底の部分に小石を随所に配していた点が特徴です。また水を引き入れるための水路が見つかっていないため、雨水を貯めて活用したものと考えられています。なお素掘りの溝も見つかっており、排水用に使われていたとされるものです。
掘立柱建物跡は16ヶ所から出土しており、中でも池に最も近いものは四阿(あずまや)として使われていました。鉢形城跡で復元されている建物の1つにもなっており、復元の際は狩野派が残した『洛中洛外図屏風』に描かれていた室町幕府管領・細川家の屋敷の建物を参考にしています。
城山稲荷神社
伝秩父曲輪を後にして井戸を見ながら左手奥に進むと、二の曲輪の馬出、そして二の曲輪最深部にある城山稲荷神社へとつながります。
二の曲輪下の土塁と深沢川
二の曲輪の神社鳥居を過ぎて南に降りていくと二の曲輪下の土塁が見えてきます。
土塁上部には城主の名前にちなんで名付けられた「氏邦桜」があり、毎年5月ごろに見事な花を咲かせてくれます。
土塁はニの曲輪下と城内を流れる深沢川を隔てるように造られたものの2つあります。
土塁を後にしてさらに南に降りていくと深沢川があります。
100名城の中で城内を川が流れる遺構が残る城はここだけです。
土塁上部には城主の名前にちなんで名付けられた「氏邦桜」があり、毎年5月ごろに見事な花を咲かせてくれます。
土塁はニの曲輪下と城内を流れる深沢川を隔てるように造られたものの2つあります。
土塁を後にしてさらに南に降りていくと深沢川があります。
100名城の中で城内を川が流れる遺構が残る城はここだけです。
外曲輪と土塁
川を渡りさらに南に進むと外曲輪に出ます。
外曲輪は非常に大きな広場となり、鉢形城歴史館側と搦手側に分かれています。
搦手側は草が深く生い茂り、歴史館側は比較的草が手入れされていて散策しやすいです。
曲輪の南側から西側にかけて土塁が残っています。
外曲輪は非常に大きな広場となり、鉢形城歴史館側と搦手側に分かれています。
搦手側は草が深く生い茂り、歴史館側は比較的草が手入れされていて散策しやすいです。
曲輪の南側から西側にかけて土塁が残っています。
鉢形城歴史館
外曲輪を右側に折れて進んでいくと手入れされた広場から鉢形城歴史館へと進んでいけます。
鉢形城歴史館は国指定史跡である鉢形城跡のガイダンス施設として、平成16年10月17日に鉢形城公園の開園に合わせ建てられました。
館内には、鉢形城や寄居町の歴史を語る貴重な資料などが展示され、当時の鉢形城の城門も復元されています。
鉢形城歴史館は国指定史跡である鉢形城跡のガイダンス施設として、平成16年10月17日に鉢形城公園の開園に合わせ建てられました。
館内には、鉢形城や寄居町の歴史を語る貴重な資料などが展示され、当時の鉢形城の城門も復元されています。
玉淀公園からの鉢形城
鉢形城の全景を感じたいという方には、玉淀公園から見る鉢形城がおすすめです。
荒川の淀みに玉石が敷き詰められその奥に断崖絶壁、巨岩が垣間見える城郭は何人も寄せ付けない威圧感にあふれいます。
荒川の淀みに玉石が敷き詰められその奥に断崖絶壁、巨岩が垣間見える城郭は何人も寄せ付けない威圧感にあふれいます。
鉢形城の御城印と百名城スタンプ
鉢形城の御城印
鉢形城では御城印を販売しています。
・鉢形城歴史館
住所:〒369-1224 埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
TEL:048-586-0315
開館時間:9:30~16:30(入館は午後4時まで)
休館日 :月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)、祝日の翌日、年末・年始
料金は1枚300円です。
・鉢形城歴史館
住所:〒369-1224 埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
TEL:048-586-0315
開館時間:9:30~16:30(入館は午後4時まで)
休館日 :月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)、祝日の翌日、年末・年始
料金は1枚300円です。
鉢形城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・鉢形城歴史館受付
※閉館時は、駐車場正面入口右側に設置された郵便ポストの中にスタンプが置いてあります。
・鉢形城歴史館受付
※閉館時は、駐車場正面入口右側に設置された郵便ポストの中にスタンプが置いてあります。
鉢形城の入城情報
【所在地】
住所:〒369-1224埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
TEL:048-586-0315(鉢形城歴史館)
【開城時間】年中無休、24時間
【休城日】 管理上やむを得ないとき
【料金】 無料
住所:〒369-1224埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
TEL:048-586-0315(鉢形城歴史館)
【開城時間】年中無休、24時間
【休城日】 管理上やむを得ないとき
【料金】 無料
鉢形城の歴史とイベント
鉢形城は埼玉県大里郡寄居町にある連郭式平山城の跡です。
寄居町の中心市街地の南側に位置しています。
鉢形城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁に築かれているのが特徴です。
城は、1476年(文明8年)関東管領上杉氏の家臣、長尾景春によって築城されたとされます。
その後、上杉氏の居城を経て、北条氏邦が入城し現在の巨城の礎を作りました。
江戸時代は代官所が置かれ、成瀬氏や日下部氏がこの地を治めました。
主要な区域は、深沢川を荒川の合流地点から上流側に向かって広がっています。特に本曲輪は2つの川の合流地点付近に設けられていました。本曲輪の南側に二の曲輪・三の曲輪・大手が、深沢川の向こう側に外曲輪があります。加えて各所には曲輪を囲むように土塁・堀・畝があり、防御力を高める役割を果たしていました。
1932(昭和7)年に保存状態の良好さを理由に国指定史跡に選ばれました。また1997~2001(平成9~13)年度にかけて二の曲輪・三の曲輪・笹曲輪の発掘調査も行われました。さらに2006(平成18)年には日本城郭協会より「日本百名城」に選定されています。
城跡は全体的に室町時代から戦国時代にかけての土塁や空堀の跡が良く残っているのが特徴です。また、当時の様子が分かるように復元されたものもいくつかあります。その1つが二の曲輪と三の曲輪の間の水堀である障子堀。正確な深さが不明であるため、浅く復元されました。さらには、発掘調査で見つかった庭園跡や四脚門を『洛中洛外図屏風』を参考に復元しています。
鉢形城にまつわるイベントとして、「寄居北條まつり」が毎年5月中旬に行われています。1590(天正18)年5月の鉢形城防衛戦を再現したもので、寄居町内を武者行列が練り歩いた後、荒川を挟んで豊臣方と北条方とに分かれて模擬戦を行うといものです。当時の戦の激しさを追体験できるのではと楽しみしています。
寄居町の中心市街地の南側に位置しています。
鉢形城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁に築かれているのが特徴です。
城は、1476年(文明8年)関東管領上杉氏の家臣、長尾景春によって築城されたとされます。
その後、上杉氏の居城を経て、北条氏邦が入城し現在の巨城の礎を作りました。
江戸時代は代官所が置かれ、成瀬氏や日下部氏がこの地を治めました。
主要な区域は、深沢川を荒川の合流地点から上流側に向かって広がっています。特に本曲輪は2つの川の合流地点付近に設けられていました。本曲輪の南側に二の曲輪・三の曲輪・大手が、深沢川の向こう側に外曲輪があります。加えて各所には曲輪を囲むように土塁・堀・畝があり、防御力を高める役割を果たしていました。
1932(昭和7)年に保存状態の良好さを理由に国指定史跡に選ばれました。また1997~2001(平成9~13)年度にかけて二の曲輪・三の曲輪・笹曲輪の発掘調査も行われました。さらに2006(平成18)年には日本城郭協会より「日本百名城」に選定されています。
城跡は全体的に室町時代から戦国時代にかけての土塁や空堀の跡が良く残っているのが特徴です。また、当時の様子が分かるように復元されたものもいくつかあります。その1つが二の曲輪と三の曲輪の間の水堀である障子堀。正確な深さが不明であるため、浅く復元されました。さらには、発掘調査で見つかった庭園跡や四脚門を『洛中洛外図屏風』を参考に復元しています。
鉢形城にまつわるイベントとして、「寄居北條まつり」が毎年5月中旬に行われています。1590(天正18)年5月の鉢形城防衛戦を再現したもので、寄居町内を武者行列が練り歩いた後、荒川を挟んで豊臣方と北条方とに分かれて模擬戦を行うといものです。当時の戦の激しさを追体験できるのではと楽しみしています。
鉢形城への行き方(交通アクセス)
【飛行機で行く場合】
2時間圏内に空港なし
【電車で行く場合】
JR八高線・秩父鉄道線・東武東上線 寄居駅下車、徒歩約25分
バス/イーグルバス 寄居駅発・和紙の里行き「鉢形城歴史館前」下車、徒歩約5分
バス/イーグルバス 寄居駅発・和紙の里行き「鉢形城歴史館前」下車、徒歩約5分
【車で行く場合】
関越自動車道花園IC下車、国道140号バイパスを秩父・長瀞方面へ6km、約15分
【駐車場】
・鉢形城歴史館駐車場
料金:無料
利用時間:9時00分~17時00分
料金:無料
利用時間:9時00分~17時00分
製作スタッフ紹介
記事担当
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
※写真は「写真AC」を使用
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
※写真は「写真AC」を使用