河越夜戦の舞台、小江戸の町並みと本丸御殿
川越城_本丸御殿04
川越城_本丸御殿04

川越城の見どころとイベント

川越城_蔵造りの町並み03
川越城_蔵造りの町並み03
川越城_中ノ門堀跡09
川越城_中ノ門堀跡09
川越城_本丸御殿_家老詰所12
川越城_本丸御殿_家老詰所12
川越城の見どころは、東日本で唯一は現存のまま残されている本丸御殿と「小江戸」として呼ばれた町並みの散策。
本川越駅から商店街を北に向かえば、小江戸を彷彿させる「蔵造りの町並み」や「時の鐘」が見え、室町時代から江戸時代にかけて長く威容を誇った川越の城下町を垣間見えます。
本丸御殿に向かう道すがら、中ノ門堀跡や富士見櫓跡などの遺構も確認できます。
現存する建物や城郭はあまり残っていないものの、ところどころに名残のある建造物や跡地を散策しながら当時の様子を想像する、そんなイマジネーションを刺激する街を堪能してみてみるのはいかがでしょうか。

目次

川越城へのアクセス方法

電車で行く場合

東武東上線・JR川越線「川越駅」または西武新宿線「本川越駅」から東武バス(蔵のまち経由)「札の辻」下車徒歩10分
小江戸巡回バス(イーグルバス)「本丸御殿」下車
小江戸名所めぐりバス(東武バス)・シャトルバス「博物館前」下車徒歩1分

車で行く場合

関越自動車道の川越インターから国道16号線と254号線を経由すれば、12分程度
首都高速で向かう場合は、与野インターチェンジを出て国道16号で八王子/川越方面に向かいます。

駐車場

越城_川越市立博物館03
越城_川越市立博物館03
駐車場は川越市博物館/美術館の向かい側にあります。
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-13-1
約20台収容可能

川越城、最寄りの場所からのアクセス方法

川越城_小江戸蔵里(観光案内所)の案内地図02
川越城_小江戸蔵里(観光案内所)の案内地図02
JR川越駅東口から小江戸名所めぐるバスに乗り、「博物館前」バス停で下りて徒歩2分のところにあります。
徒歩ですと西武線本川越駅から北に向かって30分ほどです。

川越城を散策する

川越城_城見取図と現在の建物案内03
川越城_城見取図と現在の建物案内03
今回は、本川越駅から北側にまっすぐのびる商店街を「札の辻」交差点まで向かい、左折してそぞろ歩きながら本丸御殿に向かうルートで紹介いたします。

小江戸と呼ばれる街並み、「蔵の町並み」

川越城_蔵造の町並み05
川越城_蔵造の町並み05
川越城_蔵造の町並み_稲荷小路01
川越城_蔵造の町並み_稲荷小路01
川越城下は江戸時代から「小江戸」や「蔵の街」と呼ばれてきました。幕府は川越を江戸の北を守る重要な場所とみなしており、城主に親藩・譜代の大名を任命していました。幕府の基礎を固めた家康・秀忠・家光も川越をよく訪れていたこともあり、川越はいつの間にか江戸と関係の深い「小江戸」とみなされるようになります。なお家康を祀った仙波東照宮や天海僧正ゆかりの喜多院がある点も、江戸との繋がりの深さを示す点です。
現在にまで残る川越の街並みは、松平信綱が大々的に整備しました。城下町と合わせて新河岸川や川越街道を整備したため、江戸との往来が盛んになりました。江戸や関東各地からの物資も集まるようになり、川越の城下町には多くの商人が集うようになります。
さらに江戸時代後期には、城の西側に黒漆喰の土塀や瓦屋根が特徴的な蔵造りの商家が軒を連ねるようになりました。現在の一番街であるとともに、蔵造りの家々が後の川越の街並みに大きな影響を与えます。
1893(明治26)年に川越の街を大火が襲い、全体の3分の1が焼失する大惨事になりました。ただ江戸時代以来の蔵造りの家々が延焼を免れたことから、復興に際して蔵造りの家々が多く立ち並ぶようになりました。なお蔵造りの家々は江戸の町家建築を取り入れて建てられたため、この点でも江戸とも深く関わっています。
現在では蔵造りの家々は川越観光の代表的なエリアです。川越城観光とともにじっくりと巡ってみるのも良いでしょう。

大沢家住宅(国指定重要文化財)

川越城_大沢家住宅02
川越城_大沢家住宅02
大沢家住宅は、江戸中期、寛永4年に呉服問屋西村半兵衛によってたてられた塗家造の建築物です。
塗家造は、隣接する住宅部分と正面の外壁全体を土塗りの白漆喰として木造部分を覆ったもので火事に強いとされてきた。
明治中期の川越大火災でも被害を最小限に現存したことから火事に強い町づくりを目指す「蔵づくりの町並み」づくりの中心的な建物となった。
同様の建物は「倉敷美観地区の町並み」にも現存している。

時の鐘(市指定重要文化財)

川越城_時の鐘04
川越城_時の鐘04
時の鐘は、江戸時代初期、城主の酒井忠勝によって建てられました。当時の大手門通り(現在の鐘撞き通り)にあり江戸時代から今日まで川越の民衆に時間を知らせてきました。
明治中期に川越大火事で焼失したものの、すぐに再建されています。現在も6:00、12:00、15:00、18:00の4回鐘撞きが行われています。

中ノ門堀

川越城_中ノ門堀跡01
川越城_中ノ門堀跡01
中ノ門堀跡は、本丸御殿の北側を東西に走る初雁城通りを西に行ったところにある堀の跡です。松平信綱が城の大改修を行った際に新しく設けました。往時の川越城の姿を留めている貴重な遺構の1つです。

もともと西大手門から本丸に向かう途中にあったもので、西から攻め寄せる敵を阻む狙いがありました。なお堀の中を通路があり、途中に2階建ての櫓門もあったと伝えられています。

明治維新以降に城が往時の姿を失っていく中で、かつて城にあった堀で江戸時代の姿を留めるものです。2008・09(平成20・21)年度に整備工事が行われ、現在では市民の憩いの場にもなっています。

整備工事の際、当初あった勾配も復元されました。堀自体も深さ約7m・幅が約18mで、勾配は外側が30度・内側60度となっていました。なお内側の勾配の上には塀も復元されており、城の守りの備えを連想できるようになっています。

本丸御殿

川越城_本丸御殿09
川越城_本丸御殿09
川越城_本丸御殿案内図01
川越城_本丸御殿案内図01
川越城_本丸御殿_中庭04
川越城_本丸御殿_中庭04
本丸御殿は川越城を代表する建物です。松平信綱が城主を務めていた頃、将軍家光をもてなす御成(おなり)御殿として建てられたと考えられています。なお「江戸図屏風」によれば、城内の最も奥に建てられたとされています。
家光以降は使用されることもなかったために取り壊され、跡地は空き地のままになっていました。1846(弘化3)年に藩主が生活の場だった二の丸が焼失したことを機に、当時の藩主・松平斉典(なりつね)は本丸御殿の再建を行います。新たに建てられた御殿は、現在の8倍の広さである約3,400㎡、建物数も16棟を誇っていました。
明治時代以降に城の建物が解体される中、本丸御殿も徐々に縮小されました。入間県庁・入間郡役所などの庁舎として使われたほか、地元の中学校の運動場(体育館)として使われたこともあります。現在は一部のみが残されており、往時の姿を伝えるものは玄関・大広間・家老詰所のみです。特に大広間が残っている建物が少ないため、国内では大変貴重で、埼玉県の重要文化財にも指定されています。
玄関を通った先に複数の部屋があり、廊下が周りを囲っているのが建物の基本的な特徴です。
屋根の部分は日本の伝統的な建築を特徴づける大唐破風になっており、かつて大藩として名を馳せた時代をほうふつとさせます。一方内部の装飾は最低限で華美さは見られません。ただ扉の部分には河越藩の御用絵師・舩津蘭山の筆による杉戸絵が描かれています。特に大広間に続く扉に描かれた松の絵は非常に見事です。

家老詰所

川越城_本丸御殿_家老詰所16
川越城_本丸御殿_家老詰所16
川越城_本丸御殿_家老詰所03
川越城_本丸御殿_家老詰所03
川越城_本丸御殿_家老詰所10
川越城_本丸御殿_家老詰所10
家老詰所は川越藩に仕えた家老たちの居室として使われた建物で、現在では本丸御殿の北側に保存されています。
もともと現在地より約40m西側に独立した建物として存在していました。明治時代以降、福岡村(現在のふじみ野市)の豪商・星野家に払い下げる形で移築されていました。1988(昭和63)年度に本丸御殿の北側に隣接する形で移され、現在に至っています。
家老詰所は重量が軽く波型になっている桟瓦(さんかわら)を載せた寄棟造りが特徴です。内部は10畳の広間と8畳間2室から構成されています。特に広間では家老3人が藩政について相談している様子を人形で再現されており、リアリティを感じられるでしょう。ほかにも縁側に便所も2ヶ所残されており、家老たちの生活ぶりを今に伝えています。
なお江戸時代の藩家老たちの詰所が残っている例は全国的に多くないため、当詰所は非常に貴重な存在です。

三芳野神社

川越城_三芳野神社02
川越城_三芳野神社02
参道が童謡「通りゃんせ」で有名な神社です。
唄に出てくる「天神様の細道」とはこの参道の出入口が「天神門」といわれる二の丸に通じる門があったことに由来してるといわれています。
創建は平安時代初期といわれ三芳野十八郷といわれる現在の川越市の惣社様として地元の人から篤い信仰を受けてきました。江戸時代には徳川幕府直営の社として庇護を受けました。
本殿、幣殿、拝殿からなる権現造で、朱塗りと金細工黒漆喰の金具を用いた美しい建物です。

富士見櫓跡

川越城_富士見櫓跡03
川越城_富士見櫓跡03
富士見櫓跡は、本丸御殿の南西にあった櫓の跡です。江戸時代前期に松平信綱が城主を務めていた時代、城の大規模整備に伴って建てられました。

富士見櫓は城内で最も高い場所にあり、名前が示すように富士山の姿も見えていたとされます。また城には天守閣が設けられなかったため、最も標高の高い富士見櫓を天守閣の代わりとして有事に備えての防御施設として役立てていました。

櫓の跡は高台になっていて建物は残されておらず、1981(昭和56)年に設置された石碑だけがあります。ただ明治時代以降の城の取り壊しを免れた数少ない場所であるとともに、江戸時代の姿を残す貴重な存在です。川越城を巡る際は本丸御殿や家老詰所とともにおすすめのスポットに挙げられます。

川越城の御城印と百名城スタンプ

■川越城の御城印
川越城では御城印を販売しています。
・手漉き和紙たにの
住所:〒355-0362 埼玉県比企郡ときがわ町桃木42-1
TEL:0493-59-8441
料金は1枚1500円です。

・笛木醬油 川越店
住所:〒350-0063 埼玉県川越市幸町10-5
TEL:049-297-0041
営業時間:平日 11:00~16:00、土日祝日 11:00~17:00
※コロナのため営業時間が変則的になっております。お問合せください。
料金は1枚1500円です。

・建具会館
住所:〒355-0364 埼玉県比企郡ときがわ町西平709-3
TEL:0493-67-0049
営業時間:9:30~17:00(4月~10月)、10:00~16:30(11月~ 3月)
年中無休(年末年始を除く)
料金は1枚1500円です。

■川越城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・川越城本丸御殿受付窓口
住所:〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-13-1
TEL:049-222-5399(川越市立博物館)
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :毎週月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)、館内整理日(毎月第4金曜日 但し休日は除く)

川越城の入城情報

所在地

住所:〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-13-1
TEL:049-222-5399(川越市立博物館)

開城時間

日火水木金土 9:00~17:00 入館は16:30まで

休城日

休館日:月 祝日の場合は、翌火曜日が休館日
休館日:12月29日~1月3日
休館日:第4金曜日(館内整理日) ただし、祝日は除く

料金

大人:大人:100円 団体(20名以上)は80円
大学生:大学生:50円 団体(20名以上)は40円
高校生:高校生:50円 団体(20名以上)は40円

制作スタッフ紹介

記事担当

倉之丞
倉之丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。

写真担当

來未姫
來未姫
旅好き、お酒好き城トリップの仲間。
現在、自身の夢に向かって日夜研鑽中!