東西に羽を広げた山の上の巨大な石垣要塞

岡城_全景01
目次
岡城の見どころとイベント



岡城の最大の見どころは、断崖絶壁に築かれた壮大な石垣群です。
城内の曲輪や門跡、櫓台などは全て石垣により造られており、多様な技法や積み方が用いられています。
様々な大きさの石垣が連なる圧巻の石垣群から、当時の城の壮麗な姿がうかがえます。
特に三の丸北側から二の丸にかけて続く高石垣は、まるで空に浮かぶような迫力と美しさを生み出しており、訪れる者を圧倒します。
また、岡城の大手道には「かまぼこ石」というアーチ形状の石垣があり、他の城では見ることができない貴重なもののひとつです。
岡城は、山の尾根の形状を巧みに活かした梯郭式山城で、天然の要塞に囲まれた難攻不落の城として知られています。
城の形が牛の寝ている姿に似ていたことから「臥牛城(がぎゅうじょう)」または、築城場所の地名から「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」とも呼ばれています。
岡城は大分県竹田市に位置し、くじゅう連山、阿蘇外輪山、祖母山といった高山に囲まれており、城からはその壮大な景観も魅力です。
北に稲葉川、南に白滝川が流れ、近くには旧豊後街道が通り、現在は国道57号の一部となっています。
城下町には、岡藩時代の武家屋敷が残る「武家屋敷通り」をはじめ、広瀬神社や西光寺、滝廉太郎記念館などといった様々な歴史的名所があります。
岡城は1185年に緒方三郎惟栄によって築かれました。
のちに志賀氏が城主になり、古い砦を修復・拡大しました。
豊薩合戦では、島津軍の攻撃を3度撃退し、「難攻不落の城」として岡城の名を天下に轟かせました。
志賀氏の退去後は、中川氏が城主となり、岡城を総石垣の城郭へと大規模な改築を行い、本丸や曲輪、大手門なども完成させました。
その後、火災・風水害・地震によって何度も被害を受け、そのたびに復旧しています。
約280年間続いた中川氏が、廃藩置県によって移住するとともに廃城となりました。
毎年春に開催される「岡城桜まつり」では、満開の桜とともに大名行列や鉄砲隊の演武など様々なイベントが行われ、多くの観光客で賑わいます。
そして秋には、「たけた竹灯籠“竹楽”」が開催されます。
城下町に約2万本の竹灯籠が灯され、静けさの中に光が揺れる美しい情景が広がります。
これらのイベントは岡城の歴史と文化を今に伝える貴重な機会となっています。
城内の曲輪や門跡、櫓台などは全て石垣により造られており、多様な技法や積み方が用いられています。
様々な大きさの石垣が連なる圧巻の石垣群から、当時の城の壮麗な姿がうかがえます。
特に三の丸北側から二の丸にかけて続く高石垣は、まるで空に浮かぶような迫力と美しさを生み出しており、訪れる者を圧倒します。
また、岡城の大手道には「かまぼこ石」というアーチ形状の石垣があり、他の城では見ることができない貴重なもののひとつです。
岡城は、山の尾根の形状を巧みに活かした梯郭式山城で、天然の要塞に囲まれた難攻不落の城として知られています。
城の形が牛の寝ている姿に似ていたことから「臥牛城(がぎゅうじょう)」または、築城場所の地名から「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」とも呼ばれています。
岡城は大分県竹田市に位置し、くじゅう連山、阿蘇外輪山、祖母山といった高山に囲まれており、城からはその壮大な景観も魅力です。
北に稲葉川、南に白滝川が流れ、近くには旧豊後街道が通り、現在は国道57号の一部となっています。
城下町には、岡藩時代の武家屋敷が残る「武家屋敷通り」をはじめ、広瀬神社や西光寺、滝廉太郎記念館などといった様々な歴史的名所があります。
岡城は1185年に緒方三郎惟栄によって築かれました。
のちに志賀氏が城主になり、古い砦を修復・拡大しました。
豊薩合戦では、島津軍の攻撃を3度撃退し、「難攻不落の城」として岡城の名を天下に轟かせました。
志賀氏の退去後は、中川氏が城主となり、岡城を総石垣の城郭へと大規模な改築を行い、本丸や曲輪、大手門なども完成させました。
その後、火災・風水害・地震によって何度も被害を受け、そのたびに復旧しています。
約280年間続いた中川氏が、廃藩置県によって移住するとともに廃城となりました。
毎年春に開催される「岡城桜まつり」では、満開の桜とともに大名行列や鉄砲隊の演武など様々なイベントが行われ、多くの観光客で賑わいます。
そして秋には、「たけた竹灯籠“竹楽”」が開催されます。
城下町に約2万本の竹灯籠が灯され、静けさの中に光が揺れる美しい情景が広がります。
これらのイベントは岡城の歴史と文化を今に伝える貴重な機会となっています。
岡城へのアクセス方法
飛行機で行く場合
熊本(阿蘇くまもと)空港から国道57号を使って車で約75分
大分空港から東九州自動車道を使って車で約2時間
▼レンタカーは以下
熊本(阿蘇くまもと)空港の場合
・トヨタレンタリース 熊本空港店 096-232-0100
・日産レンタカー 熊本空港店 096-287-1355
・ニッポンレンタカー 熊本空港営業所 050-1712-2378
大分空港の場合
・トヨタレンタリース 大分空港店 0978 67 0007
・ニッポンレンタカー 大分空港店 0978-67-3324
・タイムズカー 大分空港店 0978-67-2929
大分空港から東九州自動車道を使って車で約2時間
▼レンタカーは以下
熊本(阿蘇くまもと)空港の場合
・トヨタレンタリース 熊本空港店 096-232-0100
・日産レンタカー 熊本空港店 096-287-1355
・ニッポンレンタカー 熊本空港営業所 050-1712-2378
大分空港の場合
・トヨタレンタリース 大分空港店 0978 67 0007
・ニッポンレンタカー 大分空港店 0978-67-3324
・タイムズカー 大分空港店 0978-67-2929
新幹線・電車で行く場合
・山陽新幹線:JR小倉駅下車
JR小倉駅から「特急 ソニック」に乗車し、「大分駅」で下車
「大分駅」から「豊肥本線 九州横断特急(熊本行)」に乗車、「豊後竹田駅」で下車
熊本方面よりお越しの方は、「JR熊本駅」から「豊肥本線 九州横断特急(大分行)」に乗車、同様に「豊後竹田駅」で下車
「豊後竹田駅」からは、徒歩(約30分)またはレンタサイクル、タクシーで目指します。
※豊後竹田駅構内にある観光案内所では自転車の貸出を行っています。
JR小倉駅から「特急 ソニック」に乗車し、「大分駅」で下車
「大分駅」から「豊肥本線 九州横断特急(熊本行)」に乗車、「豊後竹田駅」で下車
熊本方面よりお越しの方は、「JR熊本駅」から「豊肥本線 九州横断特急(大分行)」に乗車、同様に「豊後竹田駅」で下車
「豊後竹田駅」からは、徒歩(約30分)またはレンタサイクル、タクシーで目指します。
※豊後竹田駅構内にある観光案内所では自転車の貸出を行っています。
車で行く場合
中九州横断道路の 竹田IC より国道502号経由で約10~15分
以下をナビに登録ください。
岡城跡 駐車場
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
以下をナビに登録ください。
岡城跡 駐車場
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
駐車場
岡城跡 駐車場
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
岡城、最寄りの場所からのアクセス方法
岡城へは総役所跡から向かいます。(総役所跡へはバスまたは自家用車が便利です)
今回は総役所跡を出て、大手門跡→西の丸跡→中仕切跡→太鼓櫓跡→三ノ丸石垣→二ノ丸跡→本丸跡→清水門跡→御廟所→下原門跡の順でご紹介していきます。
今回は総役所跡を出て、大手門跡→西の丸跡→中仕切跡→太鼓櫓跡→三ノ丸石垣→二ノ丸跡→本丸跡→清水門跡→御廟所→下原門跡の順でご紹介していきます。
岡城を散策する
大手門跡


総役所跡から登城口である【大手門】に向かいます。
岡城の大手門は、江戸時代初期に岡藩初代藩主、中川秀成(ひでしげ)により整備され、藩主や重要な来訪者を迎える正門としての役割を果たしました。現在見られる石垣遺構は、左右に曲がる枡形虎口形式で、西から向かってくる敵の侵入を防ぐ構造が特徴です。石段を上がると高石垣に囲まれた堅固な構えで、門の規模も大きく、威厳ある造りでした。秀成が城主となる前の門は、【古大手門】とよばれ、南東側に向かっては設けられていましたが、築城名手の藤堂高虎に「陽の光が入り防衛しずらいのではないか」との指摘を受け改修されたとされます。
岡城の大手門は、江戸時代初期に岡藩初代藩主、中川秀成(ひでしげ)により整備され、藩主や重要な来訪者を迎える正門としての役割を果たしました。現在見られる石垣遺構は、左右に曲がる枡形虎口形式で、西から向かってくる敵の侵入を防ぐ構造が特徴です。石段を上がると高石垣に囲まれた堅固な構えで、門の規模も大きく、威厳ある造りでした。秀成が城主となる前の門は、【古大手門】とよばれ、南東側に向かっては設けられていましたが、築城名手の藤堂高虎に「陽の光が入り防衛しずらいのではないか」との指摘を受け改修されたとされます。
西の丸跡

大手門から虎口を折れて中に入ると西の丸です。
岡城の【西の丸】は、江戸時代初期に整備された郭のひとつで、藩主中川家の居館である御殿が置かれていました。【西の丸御殿】は藩政の中心であり、政務や藩主の生活の場として機能しました。広大な敷地に書院造の建物や庭園が配され、格式の高さがうかがえます。周囲は高石垣で囲まれ、防御面にも配慮されていました。現在は建物は残っていませんが、礎石や石垣から当時の規模と構造を知ることができます。
岡城の【西の丸】は、江戸時代初期に整備された郭のひとつで、藩主中川家の居館である御殿が置かれていました。【西の丸御殿】は藩政の中心であり、政務や藩主の生活の場として機能しました。広大な敷地に書院造の建物や庭園が配され、格式の高さがうかがえます。周囲は高石垣で囲まれ、防御面にも配慮されていました。現在は建物は残っていませんが、礎石や石垣から当時の規模と構造を知ることができます。
西中仕切跡

西の丸から本丸方面に向かうとくびれた場所に【西中仕切跡】があります。
岡城の中仕切は、本丸・二ノ丸・三ノ丸といった本郭部(=中枢部)と西ノ丸・東の郭といいた外郭部を区切る防御構造で、西ノ丸と本郭部を仕切る【西中仕切】、東の郭と本郭部を仕切る【東中仕切】があります。こうした中仕切は城内の動線を制御し、敵の侵入を遅らせる役割を果たしました。
高石垣と枡形虎口によって形成され、曲がりくねった通路や石段を通らなければ先へ進めない構造が特徴で、このような複雑な配置により、攻め手の視界を遮り、守備側が有利に戦える工夫が施されていました。
岡城の中仕切は、本丸・二ノ丸・三ノ丸といった本郭部(=中枢部)と西ノ丸・東の郭といいた外郭部を区切る防御構造で、西ノ丸と本郭部を仕切る【西中仕切】、東の郭と本郭部を仕切る【東中仕切】があります。こうした中仕切は城内の動線を制御し、敵の侵入を遅らせる役割を果たしました。
高石垣と枡形虎口によって形成され、曲がりくねった通路や石段を通らなければ先へ進めない構造が特徴で、このような複雑な配置により、攻め手の視界を遮り、守備側が有利に戦える工夫が施されていました。
太鼓櫓跡

【西中仕切跡】を過ぎるとすぐに右側に【太鼓櫓跡】があります。
岡城の【太鼓櫓】は、城内の時を告げる役割を持つ建物で、太鼓の音で登城や門の開閉、非常時の合図などを伝えていました。場所は三ノ丸近くの見通しの良い位置に設けられ、城下町にも音が届くよう工夫されていました。櫓自体は比較的小規模ながら、石垣上に築かれ、周囲に視界を確保する構造でした。太鼓は日常の統制だけでなく緊急時の連絡手段でもあり、岡城の統治と防衛を支える重要な施設だと考えられます。
岡城の【太鼓櫓】は、城内の時を告げる役割を持つ建物で、太鼓の音で登城や門の開閉、非常時の合図などを伝えていました。場所は三ノ丸近くの見通しの良い位置に設けられ、城下町にも音が届くよう工夫されていました。櫓自体は比較的小規模ながら、石垣上に築かれ、周囲に視界を確保する構造でした。太鼓は日常の統制だけでなく緊急時の連絡手段でもあり、岡城の統治と防衛を支える重要な施設だと考えられます。
三ノ丸石垣

太鼓櫓を後にして進むと【三ノ丸】です。
岡城の三ノ丸は、本丸・二の丸を防衛する外郭の一部として機能し、城内への進入経路を監視・防御する重要な役割を担っていました。特に西側からの攻撃に備える配置で、兵の駐屯や物資の集積所としても使われていたと考えられます。【三ノ丸石垣】は高く堅固で、自然の地形を巧みに利用しながら積み上げられており、曲線を描くような独特のラインが美しく、技術の高さがうかがえます。この石垣が岡城の堅牢さを象徴する構造のひとつで、観光写真にもよく使われています。
岡城の三ノ丸は、本丸・二の丸を防衛する外郭の一部として機能し、城内への進入経路を監視・防御する重要な役割を担っていました。特に西側からの攻撃に備える配置で、兵の駐屯や物資の集積所としても使われていたと考えられます。【三ノ丸石垣】は高く堅固で、自然の地形を巧みに利用しながら積み上げられており、曲線を描くような独特のラインが美しく、技術の高さがうかがえます。この石垣が岡城の堅牢さを象徴する構造のひとつで、観光写真にもよく使われています。
二ノ丸跡

【三ノ丸】を後にして【二ノ丸】に登りました。「荒城の月」で有名な滝廉太郎の銅像もあります。
岡城の【二ノ丸】は、本丸に次ぐ重要な郭で、政務や儀式を行う場として使用されました。また、【本丸】への防衛線としての役割も果たしており、戦時には指揮所や兵の展開拠点ともなりました。広さは比較的大きく、周囲を高石垣で囲まれた堅固な構造を持ち、敵の進入を防ぐために枡形虎口を備えていました。現在も見事な石垣が残されており、岡城の中枢部としての威容と、防御性を兼ね備えた巧みな構造がうかがえます。
岡城の【二ノ丸】は、本丸に次ぐ重要な郭で、政務や儀式を行う場として使用されました。また、【本丸】への防衛線としての役割も果たしており、戦時には指揮所や兵の展開拠点ともなりました。広さは比較的大きく、周囲を高石垣で囲まれた堅固な構造を持ち、敵の進入を防ぐために枡形虎口を備えていました。現在も見事な石垣が残されており、岡城の中枢部としての威容と、防御性を兼ね備えた巧みな構造がうかがえます。
本丸跡


城の中心部、【本丸】に到着です。
岡城の本丸は城の最上部に位置し、もっとも重要な防御拠点として築かれました。広さは約1,000平方メートルとされ、藩主の指揮所や最終防衛線としての役割を担いました。高石垣に囲まれ、周囲を見渡せる戦略的な構造が特徴です。本丸内には江戸時代に建立された天満神社が移され、学問の神・菅原道真を祀っています。藩主や家臣の信仰を集め、精神的支柱ともなったこの神社は、現在も本丸跡に残され、歴史と信仰の象徴となっています。
岡城の本丸は城の最上部に位置し、もっとも重要な防御拠点として築かれました。広さは約1,000平方メートルとされ、藩主の指揮所や最終防衛線としての役割を担いました。高石垣に囲まれ、周囲を見渡せる戦略的な構造が特徴です。本丸内には江戸時代に建立された天満神社が移され、学問の神・菅原道真を祀っています。藩主や家臣の信仰を集め、精神的支柱ともなったこの神社は、現在も本丸跡に残され、歴史と信仰の象徴となっています。
清水門跡

本丸から東中仕切りを通って東ノ郭に向かいます。進むと東側に門の石垣が見えます。これが【清水門跡】です。
岡城の【清水門】は、城の南西部に位置する門で、城内の清水(湧水地)へ通じる出入口として機能していました。この門は主に生活用水の確保や緊急時の水の運搬路として重要で、日常的な実用性を持つ施設でした。規模は他の主要門より小さめですが、石垣に囲まれた通路や狭間を備え、防御機能も兼ね備えていました。清水門周辺には自然の崖や傾斜を利用した地形が広がり、敵の侵入を防ぐ工夫が随所に見られます。
岡城の【清水門】は、城の南西部に位置する門で、城内の清水(湧水地)へ通じる出入口として機能していました。この門は主に生活用水の確保や緊急時の水の運搬路として重要で、日常的な実用性を持つ施設でした。規模は他の主要門より小さめですが、石垣に囲まれた通路や狭間を備え、防御機能も兼ね備えていました。清水門周辺には自然の崖や傾斜を利用した地形が広がり、敵の侵入を防ぐ工夫が随所に見られます。
御廟所

清水門跡から下原門方面に向かう途中に【御廟所跡】があります。
岡城の【御廟所】は、藩主中川家の歴代当主や一族の墓所であり、城の北西部の静かな一角に設けられました。江戸時代中期以降に整備され、藩主の尊厳を保つとともに、城と藩の精神的支柱としての役割を果たしました。敷地は石垣で囲まれ、墓石や石灯籠が整然と配置されており、格式の高さを感じさせます。一般的な郭とは異なり、防御性よりも厳粛さが重視された空間で、藩の歴史と信仰が息づく場となっています。
岡城の【御廟所】は、藩主中川家の歴代当主や一族の墓所であり、城の北西部の静かな一角に設けられました。江戸時代中期以降に整備され、藩主の尊厳を保つとともに、城と藩の精神的支柱としての役割を果たしました。敷地は石垣で囲まれ、墓石や石灯籠が整然と配置されており、格式の高さを感じさせます。一般的な郭とは異なり、防御性よりも厳粛さが重視された空間で、藩の歴史と信仰が息づく場となっています。
下原門跡

城の東端に来ました。
岡城の【下原門】は、城の南東部に位置する城門で、主に物資の搬入や家臣の出入りに使われた通用門のひとつです。中川氏が城主となる以前はここが大手門として使われていました。現在の門は、正式な表門である大手門とは異なり、実用性を重視した構造で、敵の侵入を防ぐために枡形虎口を備え、石垣と折れを多用した防御的配置が特徴です。門は大手門ほど大規模ではないものの周囲には石段や通路が整備されています。
岡城の【下原門】は、城の南東部に位置する城門で、主に物資の搬入や家臣の出入りに使われた通用門のひとつです。中川氏が城主となる以前はここが大手門として使われていました。現在の門は、正式な表門である大手門とは異なり、実用性を重視した構造で、敵の侵入を防ぐために枡形虎口を備え、石垣と折れを多用した防御的配置が特徴です。門は大手門ほど大規模ではないものの周囲には石段や通路が整備されています。
岡城の御城印と百名城スタンプ
岡城の御城印
岡城の御城印は以下の場所で購入できます。
岡城 料金所
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始(12月31日〜1月3日)
販売金額:通常版 500円、切絵版 800円
岡城 料金所
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始(12月31日〜1月3日)
販売金額:通常版 500円、切絵版 800円
岡城の日本百名城スタンプ
岡城の日本百名城スタンプは以下で押せます。
岡城 料金所
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始(12月31日〜1月3日)
※岡城料金所の窓口にて、スタッフよりスタンプ提供
岡城 料金所
住所:〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2761番地
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始(12月31日〜1月3日)
※岡城料金所の窓口にて、スタッフよりスタンプ提供
岡城の入城情報
所在地
〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2889
開城時間
9:00〜17:00
休城日
年末年始(12月31日〜1月3日)
料金
高校生以上 300円
小・中学生 150円
小・中学生 150円
製作スタッフ紹介
記事担当

歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。