商船の出入り港と宗教統制の中心となる海城
府内城_内堀、石垣と人質櫓01
府内城_内堀、石垣と人質櫓01

目次

府内城の見どころとイベント

府内城_廊下橋01
府内城_廊下橋01
府内城_西二ノ丸西南隅櫓と宗門櫓、着到櫓01
府内城_西二ノ丸西南隅櫓と宗門櫓、着到櫓01
府内城_大手門01
府内城_大手門01
府内城の最大の見どころは、内堀に囲まれた石垣と復元された櫓群です。
特に、江戸時代以前から現存する「宗門櫓」や「人質櫓」は、当時の面影を残しており、堀の水面に映る姿が風情を感じさせます。
散策路からは四季折々の自然と調和した景観が楽しめ、訪れる人々を魅了します。
府内城は海に面した梯郭式平城で、石垣と堀を活かした防御構造が特徴です。
水面に浮かぶその姿から「白雉城(はくちじょう)」、または築城場所の地名から「荷揚城(にあげじょう)」とも呼ばれています。
府内城は大分県大分市中心部に位置し、かつては海に面していたことから海運や商業の要所として重要な役割を果たしました。
東には大分川、西には住吉川が流れています。
旧日出街道が近くを通り、現在は国道10号の一部となっています。
城の南側には城下町が広がり、九州でも有数の規模だったといわれています。
また、府内城の旧北の丸だった場所には、松栄神社が鎮座しており、藩主の松平氏が祀られています。
府内城は1597年、豊臣秀吉の家臣・福原直高によって築城され、その後、竹中重利や日根野吉明が城主となりました。
城築は、直高と重利の二つの段階に分かれ、直高は本丸・二の丸・三の丸までを造り、重利は石垣・天守・櫓・武家屋敷などを造り、完成へと導きました。
また、商船のための「京泊」を設けるなど、城下町の整備を行いました。
吉明は初瀬井路を開いた人物として有名です。
吉明が亡くなった後は、松平忠昭が入府し、以後幕末まで府内藩を治めました。
毎年夏には「大分七夕まつり」が開催されています。
商店街が色鮮やかな七夕飾りで彩られ、訪れる人々の目を引きます。
また、メイン・イベントとして、武者姿や昇り龍をかたどった山車「府内戦紙」や和太鼓、踊り大群が城下町を練り歩きます。
夏終わりには、「おおいた「夢」花火」が大分川沿いで開催さ府内城周辺からも鑑賞可能です。

府内城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

大分空港から大分空港道路を使って車で約1時間

▼レンタカーは以下
大分空港の場合
・トヨタレンタリース 大分空港店 0978 67 0007
・ニッポンレンタカー 大分空港店 0978-67-3324
・タイムズカー 大分空港店 0978-67-2929

空港からリムジンバスAirlinerに乗る場合は、60分ほどで「大分駅前」下車し、徒歩で約15分

新幹線・電車で行く場合

・山陽新幹線:JR小倉駅下車
JR小倉駅から「特急 ソニック」に乗車し、「大分駅」で下車
そこから徒歩で目指します。(15分ほど)

車で行く場合

東九州自動車道 大分ICより国道210号経由で約15~20分
以下をナビに登録ください。
市営荷揚立体駐車場
住所:〒870-0046 大分県大分市荷揚町3-49

駐車場

観光向けの専用駐車場はありませんので、周辺の有料駐車場をご利用ください。
市営荷揚立体駐車場
〒870-0046 大分県大分市荷揚町3-49

タイムズ 大分荷揚町
〒870-0046大分県大分市荷揚町4

三井のリパーク 大分城崎町1丁目
住所:〒870-0045大分県大分市城崎町1丁目2-5

府内城、最寄りの場所からのアクセス方法

大分城址公園前の交差点から内堀沿いを反時計周りでお城を巡り、城北側の廊下橋から本丸内に入り、人質櫓や天守台、宗門櫓や大手門を巡り、大手門から西二ノ丸西南隅櫓に向かうルートでご紹介いたします。

府内城を散策する

大手門と着到櫓

府内城_着到櫓と大手門01
府内城_着到櫓と大手門01
大分県庁の目の前が府内城【大手門】と【着到櫓】です。
【大手門】は府内城の正門で、城の玄関口としての格式を象徴し、城下町と本丸を結ぶ主要な出入口でした。攻防面では、門前の堀や枡形と連動し、侵入者を正面から迎え撃つ要の防御拠点として機能しました。
構造的には多聞櫓門形式(櫓門型)で、石垣の上に長屋状の櫓を組み合わせた構造が特徴です。門は高い石垣と堀に囲まれ、二重の防御を形成。扉は分厚い木材と鉄金具で補強され、上層の櫓から弓矢や鉄砲による攻撃が可能な設計でした。
【着到櫓】は、その名のとおり「着到」(=到着報告や出勤記録)を確認する場として使われたと考えられています。
府内城に出入りする武士や来訪者の動静を記録・監視し、特に城主や上級武士が登城する際の動線管理に関与していました。また、門の警備や見張り台としての役割も兼ねていた可能性が高いです。構造は、二階建ての櫓門形式で下層は門として人や馬の出入りを管理し、上層は見張りや矢狭間・鉄砲狭間からの防御行動が可能な空間でした。現在は復元されており、白漆喰の壁や瓦屋根、格子窓が当時の姿を再現しています。

東二ノ丸北東隅櫓

府内城_東二ノ丸北東隅櫓01
府内城_東二ノ丸北東隅櫓01
大手門、着到櫓を右に進み、水堀沿いに北に進むと【東二ノ丸北東隅櫓】です。
【東二ノ丸北東隅櫓】は、城の角(隅)を守るために配置された「隅櫓(すみやぐら)」のひとつで、防御拠点として極めて重要な役割を担っていました。この櫓は東二の丸の北東の角に位置し、外郭や堀、周辺の動静を監視・防衛する役目を果たしていました。また、城内の火災や異変にも対応できる見張り台としての機能も兼ねていたと考えられます。
構造は、二層二階建ての櫓建築で、下層は石垣に基礎を築き、上層は白漆喰仕上げの土壁と瓦葺きの屋根で構成されています。屋根は入母屋造り(いりもやづくり)で、防火と耐久性が重視された設計です。また、**鉄砲狭間(てっぽうざま)や矢狭間(やざま)**といった開口部が設けられており、敵に対する攻撃と監視の両方に備えた構造です。
城の角にあるため、三方向を見渡せる配置となっており、防御線の要所としての機能が最大限に発揮されるよう工夫されていました。

内堀と石垣

府内城の石垣は、野面積み(のづらづみ)から始まり、のちに打込接(うちこみはぎ)や切込接(きりこみはぎ)といった技法に進化したとされます。特に大手門周辺や櫓台の石垣は高く積まれており、敵の接近を困難にする構造でした。又、犬走が設けられ水辺に接して積まれた石垣は、水面に美しく映えるよう計算された配置がなされており、城の景観美の一部にもなっています。

人質櫓

府内城_人質櫓01
府内城_人質櫓01
【人質櫓】という名前は非常に印象的ですが、実際には大名や武士の家族・縁者などを一時的に預かっていたという説と、城の監視・警備を行う櫓に後世この名が付けられたという説が存在します。
江戸時代、幕藩体制では「参勤交代」制度の一環として、藩主が江戸に赴く間、家族を江戸屋敷に残すことが義務付けられていました。そうした背景から、藩主や重臣の家族を城内に留め置くための施設が必要とされたこともあり、「人質櫓」はそれを象徴する名称と考えられています。
ただし、実際にこの櫓が人質収容のために使われていたという明確な記録はなく、見張りや防備、物資の保管を目的とした一般的な隅櫓であった可能性が高いです。

帯曲輪と松栄神社

府内城_松栄神社と帯曲輪01
府内城_松栄神社と帯曲輪01
【帯曲輪】は、城の主郭部(本丸や二の丸など)を取り囲むように設けられた細長い防御用の区画(曲輪)で、「帯」のように細長い形状からその名が付いています。本丸、東二ノ丸の北と東側をぐるっと囲むように配置され、石垣と堀との間を取り巻く緩衝地帯としての役割を果たし、敵の攻撃を直接本丸に届かせないようにする防御クッション的な存在でした。
【帯曲輪】をさらに進むと【松栄神社】です。
松栄神社は、江戸時代の初期に府内藩の藩主であった松平氏によって創建されました。
創建の目的は、徳川幕府の権威を象徴する家康公を祀ることで、藩政の安定と領民の守護を祈願するためでした。
当時、徳川家に忠誠を示す意図も含まれており、城内または城下の要所に家康を祀る社殿を建てることは多くの藩で見られた慣習でした。松榮神社もその流れに従い、城の北側=「鬼門封じ」の方角にあたる場所に建立されたと考えられています。

廊下橋

府内城_廊下橋02
府内城_廊下橋02
【松栄神社】をあとにしていよいよ本丸に向かいます。
神社のある旧三ノ丸と本丸をつなぐ橋が【廊下橋】です。
府内城の廊下橋は、三ノ丸と本丸をつなぐ屋根付き・壁付きの木造橋(いわゆる「渡櫓形式(わたりやぐら)」)です。
外部からの視線を遮るため、窓や開口部が最小限に抑えられた閉鎖的構造になっていて、通路の下は堀で、有事の際には、落とし橋のように一部を切り離すことで防御性を高める設計も考えられていました。

天守台

府内城_天守台01
府内城_天守台01
本丸内に入るとひときわ大きな石垣が現れます。
これが【天守台】です。
府内城の天守は、1597年(慶長2年)に初代城主・福原直高(ふくはら なおたか)によって築城が開始された際に建てられたと考えられています。この天守は、府内城の完成と同時に建てられたとされ、当時としては珍しく海に面した平城に立つ天守閣として注目されました。
ただし、1766年(明和3年)の大火(府内火災)により天守は焼失しており、以降再建されることはありませんでした。
そのため、現存する天守はなく、天守台の石垣が残るのみとなっています。

宗門櫓と西二ノ丸西南櫓

府内城_西二ノ丸隅櫓01
府内城_西二ノ丸隅櫓01
天守台を後にして公園内を見ていきます。以前は、本丸、東二ノ丸、西二ノ丸の3つの郭に分かれていましたが、現在は内側の濠が埋め立てられて1つの郭のようになっています。
人質櫓のちょうど反対側には、【宗門櫓】があります。 
宗門櫓の名称にある「宗門」とは、江戸幕府の宗教統制政策、すなわちキリスト教禁制(踏み絵制度や宗門人別帳)に関連する言葉です。
この櫓は、城内に出入りする人々の宗教的背景や身分を監視・管理する役目を担っていたとされており、宗門改めや人別帳の取り扱いに関連した機能を持っていた可能性があります。
構造は、一階部分が門になっており、出入口を構成(櫓門)、二階部分が武者の詰所や見張りの場となる櫓空間、屋根は入母屋造り、黒瓦葺きで、白漆喰壁とのコントラストが美しいつくりです。
大手門を出て、右側に折れ大分市役所方面に向かうと、【西二ノ丸西南隅櫓】が見えます。(西二ノ丸隅櫓と宗門櫓、着到櫓と白壁がきれにみえる写真スポットです。)
【西二ノ丸西南隅櫓】も他の櫓同様、白漆喰が美しいつくりで、より城下に近い位置であったことから、東二ノ丸の櫓群が外敵や海風に対応した喪に対してより城下の防衛と城内の監視をになっていたと考えられる。

府内城の御城印と百名城スタンプ

府内城の御城印

府内城の御城印は以下の場所で購入できます。
セブン・イレブン 大分荷揚町店
住所:〒870-0046 大分県大分市荷揚町9-21
営業時間:24時間営業
休業日:年中無休
販売金額:500円

大分市観光案内所
住所:〒870-0831 大分県大分市要町1-1(JR大分駅構内)
営業時間:8:30~19:00(12/31~1/2は、8:30~17:00)
休業日:年中無休
販売金額:500円

府内城の日本百名城スタンプ

府内城の日本百名城スタンプは以下で押せます。
府内城 大手門下
住所:〒870-0046大分県大分市荷揚町4
営業時間:24時間営業
休業日:年中無休

府内城の入城情報

所在地

〒870-0046大分県大分市荷揚町4

開城時間

24時間OK
廊下橋の見学は8:00~18:00頃まで

休城日

年中無休

料金

無料

製作スタッフ紹介

記事担当

倉の丞
倉の丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。