北山王国の暮らしと防衛設備を今に伝える城

今帰仁城_大隅の城壁05
目次
今帰仁城の見どころとイベント



今帰仁城の見どころは、山の尾根に沿って築かれた雄大な石垣群です。
城に多い直線的な石垣とは異なり、なだらかな美しい曲線を描きながら延びる城壁が特徴です。
北側の高台から望む城壁の全景は壮観で、亜熱帯の緑と調和した南国のグスクらしい風情が感じられます。
1月下旬には、日本一早咲きといわれる寒緋桜が石垣を彩り、華やかな景観が訪れる者を魅了します。
今帰仁城は、山の尾根を利用した連郭式の山城で、大庭を中心に七つの郭が配置され、堅固で広大な防御体制を備えていました。
琉球王国成立以前に存在した三山のひとつ、北山王国の本拠地だったため、別名「北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)」とも呼ばれています。
今帰仁城は沖縄本島北部、今帰仁村の丘陵地に位置し、標高100メートルほどの高台に築かれています。
眼下には志慶真川が流れ、背後には乙羽岳などの山々がそびえ、自然の地形を活かした堅固な立地です。
城の麓には神聖な拝所「御嶽」が点在し、かつての北山王国の宗教的中心でもありました。
また、今帰仁城周辺には琉球古道の旧羽地街道を通じて南部と結ばれ、交通・軍事の要衝としても重要な場所でした。
今帰仁城は13世紀末から14世紀頃に築かれ、北山王国の居城として栄えました。
当時の沖縄本島は北山王国・中山王国・南山王国の三山に分かれており、初代北山王・怕尼芝から三代目の攀安知までが居城としました。
1416年には中山王・尚巴志の軍勢に攻め落とされ、北山王国は滅亡します。
その後、中山王国は今帰仁城を北部統治の拠点としました。
しかし、1609年に薩摩軍の侵攻により城は炎上、1665年に廃城となりました。
毎年1月下旬から2月上旬にかけて「今帰仁グスク桜まつり」が開催されます。
今帰仁城を彩る寒緋桜と壮大な石垣が幻想的にライトアップされます。
期間中は、今帰仁の史跡巡りガイドツアーや伝統芸能、さくらマルシェなど多彩なイベントが行われ、歴史と自然の景観を楽しみながら南国の春を満喫できます。
城に多い直線的な石垣とは異なり、なだらかな美しい曲線を描きながら延びる城壁が特徴です。
北側の高台から望む城壁の全景は壮観で、亜熱帯の緑と調和した南国のグスクらしい風情が感じられます。
1月下旬には、日本一早咲きといわれる寒緋桜が石垣を彩り、華やかな景観が訪れる者を魅了します。
今帰仁城は、山の尾根を利用した連郭式の山城で、大庭を中心に七つの郭が配置され、堅固で広大な防御体制を備えていました。
琉球王国成立以前に存在した三山のひとつ、北山王国の本拠地だったため、別名「北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)」とも呼ばれています。
今帰仁城は沖縄本島北部、今帰仁村の丘陵地に位置し、標高100メートルほどの高台に築かれています。
眼下には志慶真川が流れ、背後には乙羽岳などの山々がそびえ、自然の地形を活かした堅固な立地です。
城の麓には神聖な拝所「御嶽」が点在し、かつての北山王国の宗教的中心でもありました。
また、今帰仁城周辺には琉球古道の旧羽地街道を通じて南部と結ばれ、交通・軍事の要衝としても重要な場所でした。
今帰仁城は13世紀末から14世紀頃に築かれ、北山王国の居城として栄えました。
当時の沖縄本島は北山王国・中山王国・南山王国の三山に分かれており、初代北山王・怕尼芝から三代目の攀安知までが居城としました。
1416年には中山王・尚巴志の軍勢に攻め落とされ、北山王国は滅亡します。
その後、中山王国は今帰仁城を北部統治の拠点としました。
しかし、1609年に薩摩軍の侵攻により城は炎上、1665年に廃城となりました。
毎年1月下旬から2月上旬にかけて「今帰仁グスク桜まつり」が開催されます。
今帰仁城を彩る寒緋桜と壮大な石垣が幻想的にライトアップされます。
期間中は、今帰仁の史跡巡りガイドツアーや伝統芸能、さくらマルシェなど多彩なイベントが行われ、歴史と自然の景観を楽しみながら南国の春を満喫できます。
今帰仁城へのアクセス方法
飛行機で行く場合
那覇空港から沖縄自動車道を使って車で約1時間40分
▼レンタカーは以下
那覇空港の場合
・オリックスレンタカー 那覇空港店 098-858-0543
・トヨタレンタカー 那覇空港店 098-858-0100
・ニッポンレンタカー 那覇空港営業所 098-857-0919
空港からやんばる急行バスに乗る場合は、2時間半ほどで「今帰仁城趾入口」下車し、徒歩で約15分
▼レンタカーは以下
那覇空港の場合
・オリックスレンタカー 那覇空港店 098-858-0543
・トヨタレンタカー 那覇空港店 098-858-0100
・ニッポンレンタカー 那覇空港営業所 098-857-0919
空港からやんばる急行バスに乗る場合は、2時間半ほどで「今帰仁城趾入口」下車し、徒歩で約15分
新幹線・電車で行く場合
新幹線・電車は通っていません。
車で行く場合
沖縄自動車道 許田ICより国道58号線を経由して約50分
以下をナビに登録ください。
今帰仁城跡 第1駐車場
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
以下をナビに登録ください。
今帰仁城跡 第1駐車場
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
駐車場
今帰仁城跡 第1~第4駐車場
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
今帰仁城、最寄りの場所からのアクセス方法
今帰仁歴史文化センターからスタートです。
外郭→大隅の城壁→平郎門から旧道を登り、大庭→主郭へ。主郭で大隅、カーザフを眺め見て、里主所火の祠→志慶真門郭の順で紹介します。
外郭→大隅の城壁→平郎門から旧道を登り、大庭→主郭へ。主郭で大隅、カーザフを眺め見て、里主所火の祠→志慶真門郭の順で紹介します。
今帰仁城を散策する
外郭

今帰仁歴史文化センターでチケットを購入し左に進むと石垣で囲まれた広大な広場に遺跡跡が点在する場所が現れます。これが今帰仁城の外郭です。
外郭は、城全体を広く囲む防御線で、北山王国時代には城内の主要施設や居住区を守る第一の防壁として機能しました。総延長は約1.5キロメートルに及び、尾根や斜面の地形を巧みに利用しながら、琉球石灰岩を野面積みで積み上げた石垣が続きます。幅は場所によって4〜8メートル、高さは最大で約6メートルあり、曲線的な築造が特徴です。外郭内には農地や集落跡も含まれ、戦時には避難所、平時には生活圏としての役割を果たしていました。
外郭は、城全体を広く囲む防御線で、北山王国時代には城内の主要施設や居住区を守る第一の防壁として機能しました。総延長は約1.5キロメートルに及び、尾根や斜面の地形を巧みに利用しながら、琉球石灰岩を野面積みで積み上げた石垣が続きます。幅は場所によって4〜8メートル、高さは最大で約6メートルあり、曲線的な築造が特徴です。外郭内には農地や集落跡も含まれ、戦時には避難所、平時には生活圏としての役割を果たしていました。
大隅の城壁

外郭の遺跡群近くにある巨大な城壁が大隅の城壁です。
大隅を囲む城壁は琉球石灰岩を積み上げた野面積みで、緩やかな曲線を描きながら尾根に沿って築かれています。その規模は壮大で、特に外側から見上げると石垣の高さと迫力が際立ちます。
大隅を囲む城壁は琉球石灰岩を積み上げた野面積みで、緩やかな曲線を描きながら尾根に沿って築かれています。その規模は壮大で、特に外側から見上げると石垣の高さと迫力が際立ちます。
平郎門

城壁を見ながら右に進むと平郎門です。
平郎門は、北山王国時代の正門であり、城内への主要な出入口として使われました。現在のものは発掘調査をもとに復元されたもので、琉球石灰岩の石垣に挟まれた木造の門と赤瓦葺きの屋根が特徴です。門はやや湾曲した石垣の間に設けられ、敵の侵入を防ぐ枡形状の構造を備えていました。かつては儀礼や賓客の出迎えにも用いられ、政治・軍事の要衝として重要な役割を果たしました。現在も城の象徴的存在として訪れる人々を迎えています。
平郎門は、北山王国時代の正門であり、城内への主要な出入口として使われました。現在のものは発掘調査をもとに復元されたもので、琉球石灰岩の石垣に挟まれた木造の門と赤瓦葺きの屋根が特徴です。門はやや湾曲した石垣の間に設けられ、敵の侵入を防ぐ枡形状の構造を備えていました。かつては儀礼や賓客の出迎えにも用いられ、政治・軍事の要衝として重要な役割を果たしました。現在も城の象徴的存在として訪れる人々を迎えています。
石畳の道と旧道

平郎門を越えるとまっすぐ大庭や主郭につながる道が現れます。このきれいな道は昭和に整備された石畳の道で、北山王国時代の旧道は右わきをぐるっと回るように進み途中でこの石畳の道につながります。
今帰仁城城内の旧道は、北山王国時代から物資や人の往来に利用されました。道幅はおよそ1.5〜2メートルで、琉球石灰岩や赤土を踏み固めた路面が特徴です。緩やかな勾配と曲線的な道筋は、防衛上の配慮と雨水排水を兼ねています。沿道には御嶽や拝所が点在し、信仰と生活が結びついた空間でもありました。
今帰仁城城内の旧道は、北山王国時代から物資や人の往来に利用されました。道幅はおよそ1.5〜2メートルで、琉球石灰岩や赤土を踏み固めた路面が特徴です。緩やかな勾配と曲線的な道筋は、防衛上の配慮と雨水排水を兼ねています。沿道には御嶽や拝所が点在し、信仰と生活が結びついた空間でもありました。
大庭

道を上ると大庭です。
大庭(うーみやー)は、城内中央部に広がる長方形の広場で、北山王国時代には儀式や公式行事、迎賓の場として使用されました。規模は長さ約60メートル、幅約25メートルで、周囲を高い石垣と建物跡が囲み、荘厳な雰囲気を漂わせます。地面は平坦に整地され、玉砂利が敷かれていたと考えられ、視覚的にも格式を演出していました。城主が臣下や来賓と対面し、政治・外交・祭祀が交わる、城の象徴的な空間でした。
大庭(うーみやー)は、城内中央部に広がる長方形の広場で、北山王国時代には儀式や公式行事、迎賓の場として使用されました。規模は長さ約60メートル、幅約25メートルで、周囲を高い石垣と建物跡が囲み、荘厳な雰囲気を漂わせます。地面は平坦に整地され、玉砂利が敷かれていたと考えられ、視覚的にも格式を演出していました。城主が臣下や来賓と対面し、政治・外交・祭祀が交わる、城の象徴的な空間でした。
主郭

大庭を後にして主郭に進みます。
今帰仁城の主郭は、城内で最も高い位置にあり、北山王や按司の居館、政務施設が置かれた中枢部です。14世紀の北山王国時代には政治・儀礼の中心として機能し、城全体の防衛指揮所の役割も担いました。規模は長さ約150メートル、幅約60メートルで、周囲は高い琉球石灰岩の石垣に囲まれています。石垣は尾根の地形に沿って曲線を描き、美しさと堅牢さを兼ね備えています。内部には御嶽などの祭祀跡が残り、政治と信仰が融合した空間でした。
今帰仁城の主郭は、城内で最も高い位置にあり、北山王や按司の居館、政務施設が置かれた中枢部です。14世紀の北山王国時代には政治・儀礼の中心として機能し、城全体の防衛指揮所の役割も担いました。規模は長さ約150メートル、幅約60メートルで、周囲は高い琉球石灰岩の石垣に囲まれています。石垣は尾根の地形に沿って曲線を描き、美しさと堅牢さを兼ね備えています。内部には御嶽などの祭祀跡が残り、政治と信仰が融合した空間でした。
大隅

主郭から右を眺め見ると大隅です。
今帰仁城の大隅は、城郭の北東部に位置する広い曲輪で、かつては兵の駐屯や物資の貯蔵など、防衛拠点として重要な役割を果たしました。大隅を囲む城壁は琉球石灰岩を積み上げた野面積みで、緩やかな曲線を描きながら尾根に沿って築かれています。その規模は壮大で、特に外側から見上げると石垣の高さと迫力が際立ちます。周囲は亜熱帯の樹木に覆われ、青い空と石垣、緑のコントラストが美しく、南国特有のグスク景観を楽しめる場所です。
今帰仁城の大隅は、城郭の北東部に位置する広い曲輪で、かつては兵の駐屯や物資の貯蔵など、防衛拠点として重要な役割を果たしました。大隅を囲む城壁は琉球石灰岩を積み上げた野面積みで、緩やかな曲線を描きながら尾根に沿って築かれています。その規模は壮大で、特に外側から見上げると石垣の高さと迫力が際立ちます。周囲は亜熱帯の樹木に覆われ、青い空と石垣、緑のコントラストが美しく、南国特有のグスク景観を楽しめる場所です。
カーザフ

主郭から左側を眺めると、カーグフ跡が見えます。
今帰仁城のカーグフは、城内に設けられた湧水施設で、城や周辺集落の貴重な水源として利用されました。「カー」は井戸、「グフ」は崖を意味し、岩壁から湧き出る水を石組みで囲い、取水しやすくした構造が特徴です。規模は人が数人並んで水汲みできるほどで、雨の少ない時期でも水量が安定していました。北山王国時代から城の防衛・生活の維持に不可欠であり、籠城時にも命を支える重要な役割を果たした施設です。
今帰仁城のカーグフは、城内に設けられた湧水施設で、城や周辺集落の貴重な水源として利用されました。「カー」は井戸、「グフ」は崖を意味し、岩壁から湧き出る水を石組みで囲い、取水しやすくした構造が特徴です。規模は人が数人並んで水汲みできるほどで、雨の少ない時期でも水量が安定していました。北山王国時代から城の防衛・生活の維持に不可欠であり、籠城時にも命を支える重要な役割を果たした施設です。
里主所火の祠

主郭の小さな堀跡を越えると木の陰に里主所火の祠があります。
「里主所火の祠」は、かつて里主(村の長)が火を守り祀った祭祀所で、集落や城の安寧を祈る神聖な場所でした。祠は石組みで簡素に造られ、信仰と政治が共存する今帰仁城の特色を象徴しています。
「里主所火の祠」は、かつて里主(村の長)が火を守り祀った祭祀所で、集落や城の安寧を祈る神聖な場所でした。祠は石組みで簡素に造られ、信仰と政治が共存する今帰仁城の特色を象徴しています。
志慶真門郭

主郭を後にして城壁に設置された階段を下ると志慶真門郭です。
志慶真門郭(しげまじょうかく)は、城の南西部に位置する曲輪で、外郭と主郭をつなぐ重要な防衛拠点でした。名称は付近の集落「志慶真」に由来し、門を通じて物資や人員の出入りを管理していました。規模は長さ約80メートル、幅約40メートルで、周囲は高い琉球石灰岩の石垣に囲まれています。門の構造は敵の直進を防ぐ屈折配置となっており、防御性に優れました。内部には兵の詰所跡も推定され、戦時・平時を問わず城の機能維持に欠かせない区域でした。
志慶真門郭(しげまじょうかく)は、城の南西部に位置する曲輪で、外郭と主郭をつなぐ重要な防衛拠点でした。名称は付近の集落「志慶真」に由来し、門を通じて物資や人員の出入りを管理していました。規模は長さ約80メートル、幅約40メートルで、周囲は高い琉球石灰岩の石垣に囲まれています。門の構造は敵の直進を防ぐ屈折配置となっており、防御性に優れました。内部には兵の詰所跡も推定され、戦時・平時を問わず城の機能維持に欠かせない区域でした。
今帰仁城の御城印と百名城スタンプ
今帰仁城の御城印
今帰仁城の御城印は以下の場所で購入できます。
今帰仁村グスク交流センター
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
営業時間: 通常期間(1~4、9~12月)
8:00~18:00
夏期延長期間(5~8月)
8:00~19:00
休業日:年中無休
販売金額:500円
今帰仁村グスク交流センター
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
営業時間: 通常期間(1~4、9~12月)
8:00~18:00
夏期延長期間(5~8月)
8:00~19:00
休業日:年中無休
販売金額:500円
今帰仁城の日本百名城スタンプ
今帰仁城の日本百名城スタンプは以下で押せます。
今帰仁村グスク交流センター
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
営業時間: 通常期間(1~4、9~12月)
8:00~18:00
夏期延長期間(5~8月)
8:00~19:00
休業日:年中無休
今帰仁村グスク交流センター
住所:〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
営業時間: 通常期間(1~4、9~12月)
8:00~18:00
夏期延長期間(5~8月)
8:00~19:00
休業日:年中無休
今帰仁城の入城情報
所在地
〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101番地
開城時間
今帰仁城趾・今帰仁村歴史文化センター
通常期間(1~4、9~12月)
8:00~18:00(最終入場 17:30)
夏期延長期間(5~8月)
8:00~19:00(最終入場 18:30)
通常期間(1~4、9~12月)
8:00~18:00(最終入場 17:30)
夏期延長期間(5~8月)
8:00~19:00(最終入場 18:30)
休城日
今帰仁城趾・今帰仁村歴史文化センター
年中無休
年中無休
料金
今帰仁城趾・今帰仁村歴史文化センター(両施設統一チケット)
大人:600円、中学生・高校生450円、小学生以下:無料
大人:600円、中学生・高校生450円、小学生以下:無料
製作スタッフ紹介
記事担当

歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。