鞆の浦

福山城_鞆の浦_大通り03
福山城_鞆の浦_大通り03
福山駅から一時間に1本か2本のトモテツバスに乗って向かいます。終点の鞆港までの所要時間は時間は約30分ほど。
鞆の浦は、「崖の上のポニョ」の舞台になった場所としても有名で、瀬戸内随一の名所「対潮楼」からの眺めも必見です。
室町幕府第15代将軍足利義昭が、織田信長に京都を追放され、毛利氏を頼って逃れ16年ほど移り住んだ場所で、現在も鞆城跡としてその一部が垣間見えます。
瀬戸内にひっそりとたたずむ港町は、中世より海上交通の要衝で、江戸時代も安芸・備後を治めた福島正則も海上交通の要衝を守るための強固な城をこの地に構築しました。
水野氏が福山を治めるようになってもこの地の重要性は薄れず、街には当時の貴重な面影を残す建築物があちこちに散見されます。

太田家住宅(国指定重要文化財)

福山城_鞆の浦太田家住宅02
福山城_鞆の浦太田家住宅02
鞆港のバス停を降りて目の前にある海を右折しながら進みます。
途中細い路地に入り左折すると右手に見えてきます。
太田家住宅は瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物群で、主屋や炊事場、保命酒蔵が見事に保存され、玄関には杉玉掛けもあり、造り酒屋の構えをよく残しています。
これらの建物群は江戸時代中期から後期にかけて、「旧保命酒屋」中村家が拡張・増築していったものですが、明治に入って廻船業を営んでいた太田家に継承され、今日に至っています。

常夜燈

福山城_鞆の浦_常夜燈05
福山城_鞆の浦_常夜燈05
太田家住宅を出るとすぐに、海が見えます。その真ん中に常夜燈があります。
1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で、高さは5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸時代の常夜灯としては最大級の大きさを誇ります。
雁木や船番所とともに鞆の浦の港の歴史を物語っています。

船番所跡

常夜燈を後にしてもと来た鞆港バス停方面に向かいます。港沿いを進むと雁木がずっと連なります。
その奥、海まで向かっていくと船番所跡です。
江戸時代の初め、最初の鞆奉行・萩野新右衛門重富によって造られたもので、船の出入りや安全を管理・監督する設備で、今で言う港湾管理事務所にあたります。
現在は番所跡が喫茶店担ってますので当時の気分でコーヒーでもいかがでしょうか。
当時の番所は残っていませんが、強固な石垣が当時の様子を伝えてくれます。

大可島城跡

船番所跡から細い路地を入っていくと圓福寺に出る。
現在お寺がある場所は、以前は離れ小島で、大可島と呼ばれていました。
南北朝時代、北朝と南朝が激しく争った鞆合戦でも有名です。
円福寺境内に登ると堅固な石垣が見えてきてそこにお城があったことを実感させられます。

鞆城跡

福山城_鞆の浦_鞆城跡石垣01
福山城_鞆の浦_鞆城跡石垣01
大可島城跡(圓福寺)を後にして細い路地を進むと大きな通りに出ます。
ここから最初の太田家住居方面に進むとひと際小高い場所が見えてきます。
下には鞆城跡の案内がありますので、比較的わかりやすいです。
鞆城は、備後における尼子氏の備えとして毛利元就の家臣、渡辺氏によって築かれた要害の砦で、後に足利義昭の住いともなりました。
鞆中心の丘陵地に築かれ、本丸、二の丸、三の丸があったとされます。
現在は、本丸跡に鞆の内歴史民俗資料館がたち、当時の面影を残す建築物はありませんが、二の丸跡に建つ地蔵院や、本丸途中には当時の石垣跡が垣間見えます。
本丸跡から見る瀬戸内海はきれいです。ぜひ登って見てください。

対潮楼

福山城_鞆の浦_対潮楼からの眺め11
福山城_鞆の浦_対潮楼からの眺め11
鞆城本丸跡を下ると駐車場に出ます。右に折れて細い路地を左に折れて向かうと対潮楼のある福禅寺に出ます。
対潮楼は、1690年ごろ真言宗の寺院・福禅寺の客殿として建てられました。
江戸時代,対潮楼は朝鮮通信使のための迎賓館として使われ、日本の漢学者や書家らとの交流の場にもなっていました。
座敷からは、穏やかな瀬戸内海に仙酔島や弁天島がぽっかりと浮かぶ、鞆の浦の素晴らしい眺めを一望することができます。
ぜひ、足を運んでみてください。