日本一の巨大な濠と古代城跡を見学できる城
大濠公園 浮見堂
大濠公園 浮見堂

福岡城の見どころとイベント

福岡城 下之橋御門・潮見櫓
福岡城 下之橋御門・潮見櫓
福岡城
福岡城
大濠公園 日本庭園
大濠公園 日本庭園
福岡城は、国指定史跡にして日本百名城の一つです。現在の福岡城跡は、舞鶴公園として市民の憩いの場となっています。
春になると約1000本の桜が咲き誇り、桜の名所としても知られており、毎年「福岡城さくらまつり」が開催されています。

目次

福岡城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

福岡空港から福岡都市高速環状線を使って車で約20分
福岡空港駅から地下鉄空港線で「大濠公園前」まで約15分

▼レンタカーは以下
・トヨタレンタカー 福岡空港店 TEL:092-621-0100
・日産レンタカー 福岡空港 TEL:092-622-4123
・ニッポンレンタカー 福岡空港第1 営業所 TEL:092-622-1885
・ニッポンレンタカー 福岡空港第2 営業所 TEL:092-626-0919
・オリックスレンタカー 福岡空港ターミナル前店 TEL:092-624-9911

▼バスで行かれる場合
福岡空港から西鉄バス [37] 空港通・博多駅行でJR博多駅(約12分)
JR博多駅から西鉄バス [201] 六本松・田隈新町・福歯大病院・四箇田団地行で「赤坂三丁目」下車
赤坂三丁目から徒歩3分で福岡城に到着します。

新幹線・電車で行く場合

・山陽九州新幹線:JR博多駅下車
JR博多駅から空港線で「大濠公園前」下車(約10分)
徒歩3分で福岡城に到着します。

車で行く場合

福岡空港から福岡都市高速環状線を使って車で約20分
■福岡城、カーナビへの登録は以下の情報で!
住所:福岡県福岡市中央区城内1

駐車場

【駐車場】
大阪城周辺の駐車場で一般車が入れるのは舞鶴公園 第一駐車場、 タイムズ福岡城三の丸の2つです。
■舞鶴公園 第一駐車場
住所:〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内1−1 駐車場
TEL:092-781-2153
■タイムズ福岡城三の丸
住所:〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内2
TEL:092-733-8924

福岡城、最寄りの場所からのアクセス方法

福岡城は、玄界灘を一望に収める那珂郡警固村福崎(現在の福岡県福岡市にある舞鶴公園)という低丘陵地を利用して築城された梯郭式平山城です。関ヶ原の合戦の功績によって徳川家康から筑前52万3千石を与えられた黒田長政が築いた城で、その後も12代270年余にわたって黒田家の居城でした。
朝鮮出陣のとき長政が見てきた堅固な朝鮮半島の晋州城(しんしゅうじょう)を模範にして、大坂・江戸城の築城に参加した石垣造りの巧者 野口一成を普請奉行に据えて、1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて完成しました。博多湾側から見た城の形が、鶴が羽ばたく姿に似ていることから「舞鶴城」とも呼ばれています。総面積80万㎡(24万坪)、東西1km、南北700mの全国でも有数の規模です。
福岡城へは、福岡市地下鉄空港線の大濠公園駅から南へ徒歩2分です。タクシーでは、約5分です。
車では、都市高速「天神北ランプ」、「西公園ランプ」から約3kmの舞鶴公園を目指します。園内の駐車場(有料)を利用することができます。

福岡城を散策する

大濠公園 日本庭園
大濠公園 日本庭園
大濠公園 浮見堂
大濠公園 浮見堂
現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定されており、舞鶴公園と大濠公園となっています。
大濠公園と本来は同じ敷地内にある舞鶴公園ですが、大濠公園は福岡県の管理、舞鶴公園は福岡市の管理と分かれています。城跡の大半は舞鶴公園として、当時の外堀が大濠公園として整備されています。
城跡内には平和台陸上競技場・福岡城むかし探訪館・鴻臚館跡展示場などがあり、外堀には天然記念物のツクシオオカヤツリが自生しています。
あまりに規模が大きく、建物も広範囲にあるため、地元の方にも城というより、舞鶴公園として親しまれているようです。

福岡城 天守台と天守閣

天守台とは、天守閣をのせるための基礎となった石垣のことをいいます。大・中・小の三つの天守台があり、それぞれの天守台への順路は、まるで石塀に囲まれた迷路のようになっています。ここにも、「難攻不落」といわれた福岡城の神髄を見ることができます。

天守台周辺の発掘調査では瓦片の出土があり、天守台に建物があったことは確実視されていますが、天守が存在したという事実は確認されていません。
従来の通説では徳川幕府への遠慮から、福岡城には、天守は築かれなかったとされていました。1646年(正保3年)に作成された、福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』に天守が描かれていなかったことがその根拠です。
しかし、近年になって、当時豊前国小倉藩主であった細川忠興が、彼の三男で次期藩主の忠利へ宛てた1620年(元和6年)3月16日付の手紙に「黒田長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」と天守の存在を窺わせる記述が発見されたことにより、5層6階、高さおよそ23mほどの熊本城級の天守があった可能性が示されています。
当時の時代背景として、1615年(元和元年)には一国一城令が江戸幕府から出され、城主の居城以外の城は取り壊されることとなりました。天守閣を取り壊したとされる1620年(元和6年)は徳川の時代に入り、二代目将軍徳川秀忠が治めるようになって十数年経った頃です。もはや、戦国時代は終わりを迎え、徳川幕府の世が安定期に入ると、幕府が全国の諸大名に命じ、江戸城、大坂城や名古屋城などの天下普設が盛んに行われるようになり、藩の財政は苦しくなる一方でした。長政は天守を解体し、それを築城資材として提供することによって幕府の信任を得ようとしたという説もあります。

福岡城 多門櫓

南丸(二の丸南郭)にある多聞櫓は、江戸時代から城内に残っている数少ない建物のひとつです。福岡城の47にもおよぶ櫓のうち、現在位置を保っているのはこの櫓のみです。構造は、南西角にある二層二階建切妻造の角櫓と桁行30間の平櫓とからなっています。
一般に、多聞櫓は防御のための長塀であり、平素は倉庫等に利用していたものといわれています。また、有事の際には編んでいる竹がすべて弓の矢になり、それらを結んでいる干しワラビは食料になるといった工夫もされていたそうです。部屋の内部は突き抜けの状態が普通とされていますが、この多聞櫓は16の部屋に独立しており、石落しのみで城外を見る窓のない部屋もあります。

平櫓は1853年(嘉永6年)から翌年にかけて大改修を受けています。戦後、現在の西日本短期大学の学生寮として使われたこともありました。また、1971年(昭和46年)12月に重要文化財に指定され、1972年(昭和47年)10月から1975年(昭和50年)3月にかけて解体修理が行われました。

この多聞櫓の内部は非公開となっていますが、イベント時等に一般公開しているほか、桜の季節にはライトアップされ、幻想的な空間をつくりだします。

福岡城 下之橋御門

福岡城 下之橋御門
福岡城 下之橋御門
福岡城の三の丸の外側にある堀には、西側に大手(玄関口)として下之橋(しものはし)、東側に搦手(からめて=裏口)として上之橋(かみのはし)、さらに追廻橋という3つの橋が架けられており、それぞれ城内への門がありました。このうち、下之橋を渡って入る門が、下之橋御門です。

福岡城の門のうち、現在も本来の位置を保っているのはこの門のみです。
本来は2層の櫓門(やぐらもん)でした。それが1層の門に改装された時期は不明ですが、1934年(昭和9年)に撮影された写真では、すでに1層であり、明治時代の間に1層に改築されたものと推測されています。その改築の際、旧来の部材を転用しており、2層であった痕跡を明瞭にとどめていたようです。転用した部材には「文化二年」の墨書が残されていました。
近年まで現存する貴重な城門だったのですが、2000年(平成12年)8月の不審火で焼失してしまい、2006年(平成18年)~2008年(平成20年)に本来の2層の櫓門として復元工事が行われました。
この下之橋御門も潮見櫓と並んで福岡県指定文化財に指定されています。

福岡城 幅50mの巨大な堀(肥前堀跡)

福岡城内堀東側には赤坂門から那珂川まで続く堀がありました。1910年(明治43年)まで、天神地域の真ん中を「肥前堀」とよばれる福岡城の お堀が横切っていました。肥前堀はその後、明治43年に産業博覧会開催のために埋め立てられ、現在のような形になりました。
「肥前堀通り」という愛称の道路が堀の北側の名残りです。肥前鍋島家が建設を手伝ったことから肥前堀と呼ばれていました。

「肥前」とは佐賀県から長崎県一帯ですが、なぜ福岡に肥前という名前が存在しているのでしょうか。
福岡城が作られる以前にまでさかのぼり、関ヶ原の戦いで、福岡藩の隣にある佐賀藩(肥前)鍋島氏は徳川家康に対抗し、西軍の石田三成に味方をしていました。徳川家康が勝利し、お家取り潰しの危機となった鍋島家は、徳川家康に高く評価されていた隣の福岡藩の黒田官兵衛に頼んで、何とか徳川家に許してもらえるようにお願いできないかと頼みました。そして佐賀藩は許され、お家断絶は免れました。その礼として福岡城を作るときに堀の工事を佐賀藩が請け負い、その堀の名前が「肥前堀」となったようです。

鴻臚館跡

福岡城のもう1つの魅力は、古代の城跡が見学できるところです。江戸時代と古代の城を両方味わえるのは日本でここしかありません。
古代の城跡は福岡城跡の東側、鴻臚館広場の南側の展示館で確認できます。
鴻臚館(=昔の福岡城)は平安時代、「平安京」「難波」「筑紫」につくられた3つの外交施設のうちの1つで、中国や韓国、東南アジア諸国との国際交流拠点であったと考えられています。
当時の堀や門の遺構と陶磁器など出土品が展示されています。

福岡城の御城印と百名城スタンプ

福岡城の御城印

福岡城では、御城印は不定期で販売しています。(2022年4月現在は販売されていません)

・福岡城むかし探訪館
住所:福岡市中央区城内1-4

・舞遊の館
住所:福岡市中央区城内2-5 三の丸スクエア内(月曜休館)
お問い合わせ:(公財) 福岡観光コンベンションビューロー
TEL:092-733-5050(平日のみ10時~17時)
料金はいずれも300円

福岡城の日本百名城スタンプ

福岡城の日本百名城スタンプは以下で押せます。
・福岡城むかし探訪館
住所:福岡市中央区城内1-4

・福岡城・ 鴻臚館案内処 三の丸スクエア
住所:〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内2−5
TEL:092-720-7510

・鴻臚館跡展示館
住所:〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内1
TEL:092-721-0282

福岡城の入城情報

所在地

住所:福岡県福岡市中央区城内1

開城時間

24時間営業

休城日

年中無休

料金

城内無料