楠木正成が徹底抗戦した南北朝時代の山岳城
千早城_四の丸に向かう石段入口
千早城の見どころとイベント
千早城の見どころは何といっても楠木正成とその一族が徹底抗戦した歴史とそれを可能にした支城群や山岳城の曲輪構造。
後醍醐天皇を支えた楠木正成の忠義と武勇は、江戸城皇居外苑や湊川神社、勧心寺など全国ゆかりのある場所で銅像となり今も語り継がれています。
千早城は、金剛山麓東側の尾根を活用して造られた山岳城で、尾根伝いに曲輪を配して敵の攻撃を防ぐ工夫がされています。
城内の道筋は、金剛山につながり修行僧らと連携して対応することも考えられていたといわれています。
又、金剛山の尾根には千早城を扇の要にして、楠木七城(千早城、下赤坂城、小根田城、桐山城、烏帽子形城、龍泉寺城、金胎寺城)が支城、砦として張り巡らされ、鎌倉軍、足利尊氏を中心とした北朝方の攻撃を跳ね返してきました。
特にも有名なのが千早城の戦いで、楠木軍はわら人形を兵士に見せたり、鎌倉幕府軍の長梯子を火計で焼き払うなどの奇策を駆使して疲弊させ撤退させました。
この戦いをきっかけに、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して建武の新政(親政:天皇が自らが政治を行う)で国を統治。
しかし、旧北条氏の守護国を中心に各地で反乱が起こり、この討伐の恩賞を足利尊氏が独自に与えたことで、建武政権から離反したとみなされて、後醍醐天皇は新田義貞に尊氏の討伐令を命じ、建武政権と足利氏の戦い(建武の乱)が始まります。
楠木正成は建武政権に従い最後まで足利尊氏と戦い、1336年7月(延元元年/建武3年)湊川の戦いで敗れ自害しました。
千早城は南北朝時代末期1392年(明徳3年)正月、楠木正勝(楠木正成の孫)の時に北朝方の畠山基国に攻められ落城しました。
現在三の丸、二の丸が千早神社となっており、その奥に本丸、さらにその奥に正勝の父で正成の三男正儀の墓があります。
後醍醐天皇を支えた楠木正成の忠義と武勇は、江戸城皇居外苑や湊川神社、勧心寺など全国ゆかりのある場所で銅像となり今も語り継がれています。
千早城は、金剛山麓東側の尾根を活用して造られた山岳城で、尾根伝いに曲輪を配して敵の攻撃を防ぐ工夫がされています。
城内の道筋は、金剛山につながり修行僧らと連携して対応することも考えられていたといわれています。
又、金剛山の尾根には千早城を扇の要にして、楠木七城(千早城、下赤坂城、小根田城、桐山城、烏帽子形城、龍泉寺城、金胎寺城)が支城、砦として張り巡らされ、鎌倉軍、足利尊氏を中心とした北朝方の攻撃を跳ね返してきました。
特にも有名なのが千早城の戦いで、楠木軍はわら人形を兵士に見せたり、鎌倉幕府軍の長梯子を火計で焼き払うなどの奇策を駆使して疲弊させ撤退させました。
この戦いをきっかけに、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して建武の新政(親政:天皇が自らが政治を行う)で国を統治。
しかし、旧北条氏の守護国を中心に各地で反乱が起こり、この討伐の恩賞を足利尊氏が独自に与えたことで、建武政権から離反したとみなされて、後醍醐天皇は新田義貞に尊氏の討伐令を命じ、建武政権と足利氏の戦い(建武の乱)が始まります。
楠木正成は建武政権に従い最後まで足利尊氏と戦い、1336年7月(延元元年/建武3年)湊川の戦いで敗れ自害しました。
千早城は南北朝時代末期1392年(明徳3年)正月、楠木正勝(楠木正成の孫)の時に北朝方の畠山基国に攻められ落城しました。
現在三の丸、二の丸が千早神社となっており、その奥に本丸、さらにその奥に正勝の父で正成の三男正儀の墓があります。
目次
千早城へのアクセス方法
飛行機で行く場合
伊丹空港から阪神高速道路を使って車で約1時間20分
関西国際空港から阪神高速4号湾岸線を使って車で約1時間10分
▼レンタカーは以下
伊丹空港の場合
・トヨタレンタカー大阪空港ターミナル 06-6844-0100
・日産レンタカー 大阪空港店 06-6856-2334
・ニッポンレンタカー 大阪空港ターミナル 営業所 06-4865-3970
・オリックスレンタカー 大阪空港店 06-6152-8070
関西国際空港の場合
・トヨタレンタカー関西空港 072-456-8790
・日産レンタカー 関西空港店 072-456-8623
・ニッポンレンタカー 関西空港 営業所 072-456-8787
・オリックスレンタカー 関西空港店 072-456-8780
関西国際空港から阪神高速4号湾岸線を使って車で約1時間10分
▼レンタカーは以下
伊丹空港の場合
・トヨタレンタカー大阪空港ターミナル 06-6844-0100
・日産レンタカー 大阪空港店 06-6856-2334
・ニッポンレンタカー 大阪空港ターミナル 営業所 06-4865-3970
・オリックスレンタカー 大阪空港店 06-6152-8070
関西国際空港の場合
・トヨタレンタカー関西空港 072-456-8790
・日産レンタカー 関西空港店 072-456-8623
・ニッポンレンタカー 関西空港 営業所 072-456-8787
・オリックスレンタカー 関西空港店 072-456-8780
新幹線・電車で行く場合
・東海道新幹線:JR新大阪駅下車
JR新大阪駅で「大阪環状線」に乗換、「新今宮駅」下車
「新今宮駅」から「南海高野線」橋本行き乗車、「河内長野駅」下車
「河内長野駅」から「南海バス小深線 金剛山ロープウェイ前」行きで「金剛登山口」下車、
そこから徒歩で目指します。(15分ほど)
JR新大阪駅で「大阪環状線」に乗換、「新今宮駅」下車
「新今宮駅」から「南海高野線」橋本行き乗車、「河内長野駅」下車
「河内長野駅」から「南海バス小深線 金剛山ロープウェイ前」行きで「金剛登山口」下車、
そこから徒歩で目指します。(15分ほど)
車で行く場合
伊丹空港から阪神高速道路を使って車で約1時間20分
関西国際空港から阪神高速4号湾岸線を使って車で約1時間10分
以下をナビに登録ください。
千早城
住所:〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早1059
関西国際空港から阪神高速4号湾岸線を使って車で約1時間10分
以下をナビに登録ください。
千早城
住所:〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早1059
駐車場
金剛山登山口 千早駐車場 で車を止めて向かいます。(金剛登山道口バス停の向かいにあります。)
金剛山登山口 千早駐車場
住所:〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早1059
金剛山登山口 千早駐車場
住所:〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早1059
千早城、最寄りの場所からのアクセス方法
車や公共交通機関で向かう場合でも最寄りは「金剛登山道口」となります。
そこから石段を登り、「千早城四の丸跡」を目指して進みます。
そこから石段を登り、「千早城四の丸跡」を目指して進みます。
千早城を散策する
千早城四の丸
千早城四の丸へは駐車場からの石段を登り進みます。
石段の入り口には大きな八重桜があります。
曲輪内には売店もあります。
石段の入り口には大きな八重桜があります。
曲輪内には売店もあります。
千早城三の丸、二の丸(千早神社)
四の丸をさらに進むと水場に進む小さな裏参道があります。
さらに進むと三の丸です。
現在は千早神社の社務所があり、さらに進むと二の丸に千早神社の本殿があります。
さらに進むと三の丸です。
現在は千早神社の社務所があり、さらに進むと二の丸に千早神社の本殿があります。
千早城、本丸
二の丸右側の小径を下ると研修施設「府立千早山の家」があり、下らずまっすぐ進むと左手に本丸があります。
楠木塚(楠木正儀の墓)
本丸を後にさらに小道を金剛山方面に進むと左手に楠木塚があります。
楠木塚は、楠木正成の三男、正儀の墓といわれております。
正成亡き後、一族を率いて徹底抗戦を行い、南朝方をよく支えました。
楠木塚は、楠木正成の三男、正儀の墓といわれております。
正成亡き後、一族を率いて徹底抗戦を行い、南朝方をよく支えました。
上赤坂城と下赤坂城
千早城より東側に、上赤坂城、下赤坂城があったとされます。
楠木正成の元々の本城はこの上赤坂城だったといわれ、その一部曲輪が小根田城や桐山城とも呼ばれていました。
残念ながらその遺構はほとんどありませんが、下赤坂城周辺は、下赤坂の棚田として有名になっています。
楠木正成の元々の本城はこの上赤坂城だったといわれ、その一部曲輪が小根田城や桐山城とも呼ばれていました。
残念ながらその遺構はほとんどありませんが、下赤坂城周辺は、下赤坂の棚田として有名になっています。
千早城の御城印と百名城スタンプ
千早城の御城印
千早城の御城印は以下の場所で購入できます。
金剛山 山の豆腐
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早950
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始
販売金額:500円
金剛山 山の豆腐
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早950
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始
販売金額:500円
千早城の日本百名城スタンプ
千早城の日本百名城スタンプは以下で押せます。
金剛山 山の豆腐
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早950
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始
金剛山 山の豆腐
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早950
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年末年始
千早城の入城情報
所在地
〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早
開城時間
24時間OK
休城日
年中無休
料金
無料
製作スタッフ紹介
記事担当
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
※写真は「写真AC」を使用
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
※写真は「写真AC」を使用