徳川・織田が武田を破る、歴史を感じる城
長篠城_本丸入り口8
長篠城_本丸入り口8

長篠城の見どころとイベント

長篠城_長篠城址史跡保存館02
長篠城_長篠城址史跡保存館02
長篠城_豊川からみた長篠城05
長篠城_豊川からみた長篠城05
長篠城_設楽原陣城跡01
長篠城_設楽原陣城跡01
長篠城と言えば、徳川・織田連合軍が武田の騎馬隊を鉄砲で破った場所として有名です。
実際には、徳川方の奥平氏が長篠城に籠城して時間を稼ぎ、長篠城の西側にある設楽原で徳川・織田連合軍が武田軍に勝利した。となるでしょう。
長篠城や設楽原古戦場近くには、武田の重臣たちの墓がいくつもあり、その戦いの激しさがうかがい知れます。
城は、宇連川と豊川の合流する河岸段丘の断崖上にあり、力攻めでは落ちにくい難攻不落の城として有名でした。
現在の城郭は、長篠の戦でほとんどが消失し、現在は帯郭の一部と主郭(=本丸)と野牛郭が残るのみとなっています。
しかし、鳥居強右衛門の有名なエピソードの地や徳川・織田と武田の戦いの舞台となった設楽原古戦場、さらには、長篠城奪還のための酒井忠次の奇襲先である「中山砦」「鳶ヶ巣山砦」など有名な戦いの舞台裏を想像させるたくさんの史跡が残り、当時の戦いにタイムスリップさせてくれます。
長篠城址史跡保存館、設楽原歴史資料館、には当時の戦いを彩った様々な武具や武器、歴史上の貴重な書物も保存されています。
史跡を旅しながら、奥平信昌、家康、信長そして勝頼と武田の重臣に想いを馳せながらそぞろ歩いてみてはいかがでしょう。

目次

長篠城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

富士山静岡空港から車・タクシーで約1時間
 ▼レンタカーは以下
  ・日産レンタカー 富士山静岡空港店 0548-29-1723
  ・トヨタレンタリース富士山静岡空港店 0548-25-3100
  ・ニッポンレンタカー 富士山静岡空港 営業所 0548-29-2660
  ・オリックスレンタカー富士山静岡空港店 0548-29-2633
中部国際空港より車・タクシーで約1時間20分
 ▼レンタカーは以下
  ・トヨタレンタリース 中部国際空港店:0569-38-0100
  ・ニッポンレンタカー 中部国際空港営業所:0569-38-8560
  ・タイムズカー 中部国際空港店:0569-38-7055
  ・オリックスレンタカー 中部国際空港カウンター:0569-38-7760
  ・日産レンタカー 中部国際空港:0569-38-1123

新幹線・電車で行く場合

新幹線「豊橋駅」からJR飯田線「長篠城駅」まで約1時間。(遠鉄バスで1時間に1、2本ほどの間隔で運行)、
駅から徒歩10分ほどで到着します。

車で行く場合

・大阪/名古屋方面、東京方面ともに、「新東名高速道路」から新城ICで出て、国道151号に乗り「新城」方面に向かいます。

■長篠城、カーナビへのセットは以下の情報で!
「長篠城跡駐車場」
住所:愛知県新城市長篠矢貝津1-10
無料駐車場があります。

駐車場

「長篠城跡駐車場」
住所:愛知県新城市長篠矢貝津1-10
手前にも「第2駐車場」があります。

長篠城、最寄りの場所からのアクセス方法

長篠城_長篠城概要図01
長篠城_長篠城概要図01
JR飯田線「長篠城駅」から徒歩で向かいます。所要時間は約10分。
緩やかながらのぼりの道で、周りにはコンビニや自動販売機もないので事前に飲み物を用意しておくといいかもしれません。
目印は長篠城址史跡保存館で手前に駐車場があり、目の前が長篠城帯郭、本丸となります。
城の郭以外にも見どころとなる史跡が点在しますので、徒歩で来られた方はレンタル自転車がおすすめです。
武田勝頼が本陣を置いた【医王寺】や酒井忠次が落とした【鳶ヶ巣山砦】【中山砦】、武田の重臣【馬場信房の墓】、鳥居強右衛門のエピソード地など効率よく回ってみれます。
又、長篠城に来たらちょっと離れていますが「設楽原古戦場」にも足を伸ばしてみてください。
長篠城駅から豊橋方面に2つ目の「三河東郷駅」から徒歩で20分ほどで「設楽原古戦場」が見えます。
古戦場には陣城跡が残り、周辺には武田重臣の有名武将たちの墓があります。
古戦場から徒歩10分ほど上ると「設楽原歴史資料館」もあります。

長篠城と古戦場を散策する

長篠城搦手門跡

長篠城_搦手門跡1
長篠城_搦手門跡1
駅から城に向かうと一番最初に目に入る史跡が搦手門跡です。
石碑に気づかないかもしれないので注意深く見ながら進みましょう。
(石碑は進行方向左手にあります)

長篠城跡駐車場

長篠城_駐車場1
長篠城_駐車場1
長篠城_さかさ桑02
長篠城_さかさ桑02
長篠城_本丸土塁上からみた二の丸帯郭と駐車場02
長篠城_本丸土塁上からみた二の丸帯郭と駐車場02
長篠城址史跡保存館が見えてくると手前に旧二の丸帯郭につくられた駐車場が見えてきます。
近くには、戦いに敗れた勝頼が植えたとされる「さかさ桑」があります。

長篠城帯郭と土塁跡

長篠城_帯郭4
長篠城_帯郭4
長篠城_長篠城_二ノ丸帯郭と土塁01
長篠城_長篠城_二ノ丸帯郭と土塁01
長篠城_本丸土塁跡05
長篠城_本丸土塁跡05
駐車場、史跡保存館と隣接するようにあるのが、帯郭と本丸土塁跡です。
現在は空堀になっていますが当時は、水が張った濠で、土塁も非常に高く攻略するのには犠牲も多そうな雰囲気がします。

本丸

長篠城_本丸07
長篠城_本丸07
長篠城_本丸からみた土塁09
長篠城_本丸からみた土塁09
長篠城_城内を通るJR飯田線の電車01
長篠城_城内を通るJR飯田線の電車01
紫の旗印の入り口を抜けると本丸です。
本丸は広く、とこどころに記念の石碑があります。
また、土塁へは石段で登れるようになっており、奥の方には鳥居もあります。
本丸と野牛郭の間には、JR飯田線が通り、列車と奥に見える山間に風情を感じさせます。
本丸内の再南端は、宇連川と豊川がぶつかり断崖絶壁になっています。
正面右奥からは、鳥居強右衛門が援軍到着を叫んだという場所が見えます。
長篠城_本丸土塁上の石碑5
長篠城_本丸土塁上の石碑5
長篠城_本丸から見た豊川01
長篠城_本丸から見た豊川01
長篠城_本丸土塁上の鳥居01
長篠城_本丸土塁上の鳥居01

野牛郭

長篠城_城内にある線路と野牛郭02
長篠城_城内にある線路と野牛郭02
残念ながら郭内には入れませんが、本丸から垣間見えます。
鳥居強右衛門は、ここの不浄口(下水道)から抜けて徳川に援軍要請したといわれています。

長篠城址史跡保存館

長篠城址史跡保存館2
長篠城址史跡保存館2
長篠城本丸のすぐ目の前にあります。
館内には、当時の様子が垣間見える槍や鎧の展示、屏風絵などもあり貴重な当時の様子を伝えています。
スタンプもここにあります。

馬場信房の墓

長篠城_馬場信房墓所04
長篠城_馬場信房墓所04
城を後にして右手方向(設楽原方向)に進むとあります。
わかりにくいので事前に場所を確認した方がいいかもしれません。
保存館でもらえるパンフレットには道すがらの目印などもあるので参考にしてください。

鳶ヶ巣山砦

長篠城_鳶ヶ巣山砦01
長篠城_鳶ヶ巣山砦01
長篠城_鳶ヶ巣山砦06
長篠城_鳶ヶ巣山砦06
長篠城_鳶ヶ巣山砦08
長篠城_鳶ヶ巣山砦08
レンタル自転車か車で向かいます。どちらで向かうにしろ狭くところどころでこぼこ道ですので覚悟して進みましょう。山頂には狭いながらも駐車スペースがありますのでそこに止めて砦へは徒歩で向かいます。
途中少し開けた場所がありますがその後は木々の木漏れ日を縫うように砦に向かいます。
砦は現在お社になっており、当時の戦いの様子を伝える看板などもあります。
残念ながら当時見えていた長篠城の様子は、木々に囲まれて全く見えません。

医王寺(現在の長篠荏柄天神社)

長篠城_武田勝頼本陣跡03
長篠城_武田勝頼本陣跡03
長篠城に戻り、北の方向に進むと医王寺(=長篠荏柄天神社)があります。
寺入口は石段になっており、勝頼本陣跡の看板もあります。

設楽原古戦場

長篠城_設楽原陣城跡08
長篠城_設楽原陣城跡08
長篠城_設楽原陣城跡20
長篠城_設楽原陣城跡20
長篠城_設楽原陣城跡36
長篠城_設楽原陣城跡36
三河東郷駅から徒歩20分ほどで「設楽原古戦場」です。
道すがら案内も少ないことから事前にパンフレットなどで確認してから向かいましょう。
連吾川沿いを北上するように進むと迷わないでしょう。
途中大きな道路と橋が見えますのでここまでくると目的地まではあと少しです。
古戦場の北部分には当時の陣城を再現したスペースがありますので、攻める武田、守る徳川の気持ちになりながら見学すると当時の戦いの様子をリアルに感じられます。

設楽原歴史資料館

長篠城_新城市設楽原歴史資料館08
長篠城_新城市設楽原歴史資料館08
古戦場から徒歩で10分ほどのところに資料館があります。
古戦場に向かう道すがら駐車場がありますのでまずは駐車場まで戻り、そこから道を上るように進みます。
資料館周辺は遊歩道にもなっていますので、武田重臣の「山県昌景」など墓を見ながら上っていくのもあるかもしれません。(40分ほどかかります)
資料館内は非常にきれいで、展示物も槍や武具のほかに、戦いの様子が模型で表現されるなど当時の様子がわかりやすくイメージできます。

長篠城のトリビア

奥平信昌を大河で知った方も多かったのではないかと思います。
なぜ奥平氏は長篠城にこもり必死の籠城戦を耐えられたのでしょうか?
当時の城主信昌はまだ20歳にも満たない子供でしたし、先代当主の父も城にはいません。
籠城している家臣は500名ほど、対する武田は1万5000名以上の大軍です。
無理せず武田に降伏するのが普通かもしれません。
しかし、そうしなかった。
その理由は、長篠城戦いの前にあった「作手城攻略戦」にあったのかもしれません。
奥平氏は元々現在の新城市北部にある作手を中心とした領地を有する土豪でした。その南にある長篠は血縁関係のある「菅沼氏」だったのですが、領土問題で諍いがおき、当時の主家であった武田勝頼に仲裁をお願いしていたとされます。
しかし、仲介はあいまいなままにされ不満をためた奥平氏は武田を裏切り、徳川方に寝返ります。
この際に、人質に出していた、信昌の実母、妻(許嫁)、実弟が磔にされ殺されます。
さらに武田の重臣が作手に攻め込み戦となりました。
結局戦いは決着つかず、武田軍は自国に引き返しますが、その間隙縫って徳川軍が長篠城を攻め落とし、奥平氏が長篠も所領とします。
こうした背景から、信昌には「降伏」という選択肢はなかったのかもしれません。

長篠城の御城印と百名城スタンプ

御城印販売場所

長篠城址史跡保存館
住所:愛知県新城市長篠字市場22番地1
開館時間:9:00~17:00

日本100名城スタンプ設置場所

長篠城址史跡保存館
住所:愛知県新城市長篠字市場22番地1
開館時間:9:00~17:00

長篠城の入城情報

所在地

住所:新城市長篠市場22ー1 長篠城址

開城時間

年中無休、24時間入城可能

休城日

なし

料金

無料