難攻不落、毘沙門天が宿る上杉謙信の居城
春日山城 春日山神社
春日山城の見どころとイベント
春日山城は新潟県上越市直江津エリアの南西にそびえる春日山にある山城です。「越後の龍」と呼ばれた戦国武将上杉謙信の居城として有名です。また国史跡や日本百名城にも指定されています。
春日山城には「鉢ヶ峰城」という別名もあります。春日山が「鉢ヶ峰」と呼ばれていたことが由来です。なお春日山も、麓に奈良の春日大社の分社・春日神社が鎮座していることが語源となっています。
春日山城は山全体を城塞化しているのが特徴です。東側には上越市街や直江津港があります。標高182mの頂上には本丸があり、周辺には数多くの曲輪が並んでいました。曲輪には長尾氏(上杉氏)一門や家臣たちの屋敷もありました。曲輪群の周辺には空堀や土塁なども残っており、山の複雑な地形を巧みに活かした堅城だったことがうかがえます。一方で石垣が施されていないことも大きな特徴です。
春日山城の築城時期や築城者について詳細は不明です。南北朝時代に越後守護上杉氏が、本拠の府中の館(上越市街にあった館)を防衛する拠点として築いたとされています。
春日山城に残っている建造物としては、本丸付近にある毘沙門堂が代表的です。毘沙門天を篤く信仰していた謙信が願掛けのために籠ったとされています。また城内各所には多くの堀や土塁が残されており、春日山城を難攻不落の城としている要素です。城の北東側には春日山城史跡広場があり、発掘調査で明らかになった建物・土塁・堀が復元されています。
春日山城をテーマに行われるイベントとして、毎年8月に行われる謙信公祭りが有名です。上杉謙信の武勇や遺徳を讃える祭りで、狼煙上げ・武者行列・川中島合戦の再現などが見られるようです。
春日山城には「鉢ヶ峰城」という別名もあります。春日山が「鉢ヶ峰」と呼ばれていたことが由来です。なお春日山も、麓に奈良の春日大社の分社・春日神社が鎮座していることが語源となっています。
春日山城は山全体を城塞化しているのが特徴です。東側には上越市街や直江津港があります。標高182mの頂上には本丸があり、周辺には数多くの曲輪が並んでいました。曲輪には長尾氏(上杉氏)一門や家臣たちの屋敷もありました。曲輪群の周辺には空堀や土塁なども残っており、山の複雑な地形を巧みに活かした堅城だったことがうかがえます。一方で石垣が施されていないことも大きな特徴です。
春日山城の築城時期や築城者について詳細は不明です。南北朝時代に越後守護上杉氏が、本拠の府中の館(上越市街にあった館)を防衛する拠点として築いたとされています。
春日山城に残っている建造物としては、本丸付近にある毘沙門堂が代表的です。毘沙門天を篤く信仰していた謙信が願掛けのために籠ったとされています。また城内各所には多くの堀や土塁が残されており、春日山城を難攻不落の城としている要素です。城の北東側には春日山城史跡広場があり、発掘調査で明らかになった建物・土塁・堀が復元されています。
春日山城をテーマに行われるイベントとして、毎年8月に行われる謙信公祭りが有名です。上杉謙信の武勇や遺徳を讃える祭りで、狼煙上げ・武者行列・川中島合戦の再現などが見られるようです。
目次
春日山城へのアクセス方法
電車で行く場合
えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン春日山駅より徒歩40分、春日山駅より頸城バス利用「春日山荘」バス停下車、徒歩約15分
新幹線利用の場合、北陸新幹線上越妙高駅にてえちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン直江津方面行きに乗り換え
新幹線利用の場合、北陸新幹線上越妙高駅にてえちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン直江津方面行きに乗り換え
車で行く場合
北陸自動車道上越I.C.より車で約15分、上信越自動車道上越高田I.C.より車で約20分
・上越I.C.より:国道18号線を直江津港方面に進み、最初の交差点で左折→新潟県道43号線(謙信公大通り)を直進→突き当たりで左折後に「春日山町」交差点で右折してください
・上越高田I.C.より:インター出口で左折→「向橋」交差点で左折→県道63号線を上越市方面に進んだ後、「春日山城入口」交差点で左折してください
・上越I.C.より:国道18号線を直江津港方面に進み、最初の交差点で左折→新潟県道43号線(謙信公大通り)を直進→突き当たりで左折後に「春日山町」交差点で右折してください
・上越高田I.C.より:インター出口で左折→「向橋」交差点で左折→県道63号線を上越市方面に進んだ後、「春日山城入口」交差点で左折してください
駐車場
・春日山神社下駐車場
場所:新潟県上越市大豆
利用時間:24時間
料金:無料
収容台数:普通車30台
TEL:025-526-5111(上越市観光交流推進課)
・大手道駐車場
場所:新潟県上越市春日山町1-1-30
利用時間:24時間
料金:無料
収容台数:普通車10台
TEL:025-526-5111(上越市観光交流推進課)
場所:新潟県上越市大豆
利用時間:24時間
料金:無料
収容台数:普通車30台
TEL:025-526-5111(上越市観光交流推進課)
・大手道駐車場
場所:新潟県上越市春日山町1-1-30
利用時間:24時間
料金:無料
収容台数:普通車10台
TEL:025-526-5111(上越市観光交流推進課)
春日山城、最寄りの場所からのアクセス方法
公共交通機関で向かう場合、最寄りの駅は「JR春日山駅」になります。
徒歩では40分以上の山道なので、バスを使うのが無難でしょう。
現在想定している登城ルートは、春日山荘バス停から徒歩で15分、上杉謙信公像を基点に、まずは二の丸に向かいします。そこから御成街道を上り大井戸を見ながら天守台へ。本丸に下り、毘沙門堂を見て直江屋敷跡へ。最後は、春日山神社でお参りをして帰るルートです。
以下は、下調べした内容を記載しています。よかったら登城時の参考にしてください。
徒歩では40分以上の山道なので、バスを使うのが無難でしょう。
現在想定している登城ルートは、春日山荘バス停から徒歩で15分、上杉謙信公像を基点に、まずは二の丸に向かいします。そこから御成街道を上り大井戸を見ながら天守台へ。本丸に下り、毘沙門堂を見て直江屋敷跡へ。最後は、春日山神社でお参りをして帰るルートです。
以下は、下調べした内容を記載しています。よかったら登城時の参考にしてください。
春日山城を散策する
二の丸
二の丸は本丸から東側に下がった場所にあります。本丸を帯状に囲う構造になっている一方、本丸から見て急峻な斜面の下に位置しているのが特徴です。一方春日山城について描写した古い絵図の中では、「二段目」や「台所」という記述もあります。加えて井戸の遺構も確認されています。
二の丸の南側には樹齢500年とされる松の木も植えられていて見どころです。謙信の時代にはすでに植えられていたとも考えられるため、春日山城が歩んできた激動の歴史を見守ってきた存在とも言えます。
二の丸の南側には樹齢500年とされる松の木も植えられていて見どころです。謙信の時代にはすでに植えられていたとも考えられるため、春日山城が歩んできた激動の歴史を見守ってきた存在とも言えます。
井戸曲輪
井戸曲輪は本丸から西に下ったところに設けられている曲輪です。城下町側から見ると本丸を挟んで向かいに位置しています。直径10mもの大井戸があることが名前の由来です。
大井戸は全国にある山城のものでも最大規模を誇っています。春日山城を描いた絵図にも井戸の描写があり、古くから知られていました。なお井戸の水は江戸時代に廃城となってから400年以上経つ現在も尽きていません。西の山々と礫層によって繋がっており、サイフォンの原理によって水が湧くと考えられています。なお数十年前に行われた井戸さらいによって、底から滑車や杓が発見されました。
また井戸曲輪の西側は非常に急峻な斜面になっていることから、「油流し」と呼ばれています。
大井戸は全国にある山城のものでも最大規模を誇っています。春日山城を描いた絵図にも井戸の描写があり、古くから知られていました。なお井戸の水は江戸時代に廃城となってから400年以上経つ現在も尽きていません。西の山々と礫層によって繋がっており、サイフォンの原理によって水が湧くと考えられています。なお数十年前に行われた井戸さらいによって、底から滑車や杓が発見されました。
また井戸曲輪の西側は非常に急峻な斜面になっていることから、「油流し」と呼ばれています。
本丸
本丸は春日山の最高地点である約182mに設けられた曲輪です。最高地点に位置することもあり、眼下には日本海・頚城平野・上越市街を一望できます。「実城」という別名もあります。
本丸自体の規模は南北36m・東西24mで、決して広いものではありません。物見台状の建物が存在したことから、外敵をいち早く見つけて危機を知らせるために使われたと考えられます。本丸の途中には堀切が設けられており、南側は天守台となっていました。ただ天守が築かれた痕跡はありません。
本丸自体の規模は南北36m・東西24mで、決して広いものではありません。物見台状の建物が存在したことから、外敵をいち早く見つけて危機を知らせるために使われたと考えられます。本丸の途中には堀切が設けられており、南側は天守台となっていました。ただ天守が築かれた痕跡はありません。
毘沙門堂
毘沙門堂は本丸の最高地点より少し下がった場所にある建物です。毘沙門天を信仰していた上杉謙信が祈願の際に使っていました。なお謙信が生きていた頃の毘沙門堂は、諏訪堂跡の近くに石碑が建っている場所にあったとされています。現在建っている毘沙門堂は、1931(昭和6)年に再建されたものです。
毘沙門堂には青銅製の毘沙門天の尊像が安置されています。謙信が実際に祈りを捧げる際に用いた木造の尊像の分身です。尊像は謙信の後を継いだ景勝が会津や米沢に移る際、一緒に移されて米沢藩でも大切に祀られていました。しかし1849(嘉永2)年に火災に遭って損傷したため、1928(昭和3)年に上杉氏当主だった憲章氏が東京美術学校に修理を依頼しました。
修理に携わった高村光雲は作業前に尊像の分身を作り、損傷部分を胎内に入れました。1930(昭和5)年3月に修理が完了した木造の尊像は、翌1931(昭和6)年に小規模なお堂を再建した際に安置されました。後に盗難対策で上越市の埋蔵文化財センターが保管し、代わりに青銅製の分身を安置するようになりました。
毘沙門堂には青銅製の毘沙門天の尊像が安置されています。謙信が実際に祈りを捧げる際に用いた木造の尊像の分身です。尊像は謙信の後を継いだ景勝が会津や米沢に移る際、一緒に移されて米沢藩でも大切に祀られていました。しかし1849(嘉永2)年に火災に遭って損傷したため、1928(昭和3)年に上杉氏当主だった憲章氏が東京美術学校に修理を依頼しました。
修理に携わった高村光雲は作業前に尊像の分身を作り、損傷部分を胎内に入れました。1930(昭和5)年3月に修理が完了した木造の尊像は、翌1931(昭和6)年に小規模なお堂を再建した際に安置されました。後に盗難対策で上越市の埋蔵文化財センターが保管し、代わりに青銅製の分身を安置するようになりました。
直江屋敷跡
直江屋敷跡は本丸跡から北へ下った曲輪にあります。家臣の直江氏の屋敷があったとされる場所です。本丸近くにあったお花畑曲輪から麓側の千貫門の間にある三段の曲輪に屋敷が設けられていました。
直江氏は長尾氏(上杉氏)譜代の重臣で、謙信の時代には景綱(実綱)を、景勝の時代には山城守兼続(景綱の娘・お船の夫)を輩出しています。特に兼続は幼少期から景勝の小姓として仕え、最後は上杉氏や米沢藩の家老として主君を支えました。屋敷跡にも「直江山城守屋敷址」と刻まれた石碑があり、兼続の面影をしのべます。
直江氏は長尾氏(上杉氏)譜代の重臣で、謙信の時代には景綱(実綱)を、景勝の時代には山城守兼続(景綱の娘・お船の夫)を輩出しています。特に兼続は幼少期から景勝の小姓として仕え、最後は上杉氏や米沢藩の家老として主君を支えました。屋敷跡にも「直江山城守屋敷址」と刻まれた石碑があり、兼続の面影をしのべます。
春日山城史跡広場
春日山城史跡広場は春日山城の東の麓側に設けられた広場です。城の一番外側の備えとして掘られた1.2㎞に及ぶ監物堀や上に築かれた土塁の一部を再現しています。堀と土塁によって総構えとしている例は山城ではめったにないため、見どころです。
すぐ近くには春日山城跡ものがたり館もあり、春日山城や上杉謙信について展示やビデオなどで解説しています。1561(永禄4)年9月に謙信が武田信玄と死闘を演じた川中島合戦を描いた屏風も必見です。
すぐ近くには春日山城跡ものがたり館もあり、春日山城や上杉謙信について展示やビデオなどで解説しています。1561(永禄4)年9月に謙信が武田信玄と死闘を演じた川中島合戦を描いた屏風も必見です。
二の丸
二の丸は本丸から東側に下がった場所にあります。本丸を帯状に囲う構造になっている一方、本丸から見て急峻な斜面の下に位置しているのが特徴です。一方春日山城について描写した古い絵図の中では、「二段目」や「台所」という記述もあります。加えて井戸の遺構も確認されています。
二の丸の南側には樹齢500年とされる松の木も植えられていて見どころです。謙信の時代にはすでに植えられていたとも考えられるため、春日山城が歩んできた激動の歴史を見守ってきた存在とも言えます。
二の丸の南側には樹齢500年とされる松の木も植えられていて見どころです。謙信の時代にはすでに植えられていたとも考えられるため、春日山城が歩んできた激動の歴史を見守ってきた存在とも言えます。
井戸曲輪
井戸曲輪は本丸から西に下ったところに設けられている曲輪です。城下町側から見ると本丸を挟んで向かいに位置しています。直径10mもの大井戸があることが名前の由来です。
大井戸は全国にある山城のものでも最大規模を誇っています。春日山城を描いた絵図にも井戸の描写があり、古くから知られていました。なお井戸の水は江戸時代に廃城となってから400年以上経つ現在も尽きていません。西の山々と礫層によって繋がっており、サイフォンの原理によって水が湧くと考えられています。なお数十年前に行われた井戸さらいによって、底から滑車や杓が発見されました。
また井戸曲輪の西側は非常に急峻な斜面になっていることから、「油流し」と呼ばれています。
大井戸は全国にある山城のものでも最大規模を誇っています。春日山城を描いた絵図にも井戸の描写があり、古くから知られていました。なお井戸の水は江戸時代に廃城となってから400年以上経つ現在も尽きていません。西の山々と礫層によって繋がっており、サイフォンの原理によって水が湧くと考えられています。なお数十年前に行われた井戸さらいによって、底から滑車や杓が発見されました。
また井戸曲輪の西側は非常に急峻な斜面になっていることから、「油流し」と呼ばれています。
春日山城の御城印と百名城スタンプ
■春日山城の御城印
春日山城では御城印を販売しています。
・上越市埋蔵文化財センター
住所:〒943-0807 上越市春日山町1丁目2-8
TEL:025-521-6280
開館時間:9時~17時(展示室入館は16時30分まで)
定休日 :火曜日(祝休日の場合は翌日)、年末年始、臨時休業あり
料金は1枚300円です。
■春日山城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・春日山城跡ものがたり館(春日山城史跡広場)
住所:〒943-0819 新潟県上越市中屋敷字春日山
TEL:025-544-3728(春日山城跡ものがたり館)
開館時間:9時~16時30分まで
休館日 :月曜日(祝日の場合は翌日)、冬季期間(12月1日から2月末日まで)
春日山城では御城印を販売しています。
・上越市埋蔵文化財センター
住所:〒943-0807 上越市春日山町1丁目2-8
TEL:025-521-6280
開館時間:9時~17時(展示室入館は16時30分まで)
定休日 :火曜日(祝休日の場合は翌日)、年末年始、臨時休業あり
料金は1枚300円です。
■春日山城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・春日山城跡ものがたり館(春日山城史跡広場)
住所:〒943-0819 新潟県上越市中屋敷字春日山
TEL:025-544-3728(春日山城跡ものがたり館)
開館時間:9時~16時30分まで
休館日 :月曜日(祝日の場合は翌日)、冬季期間(12月1日から2月末日まで)
春日山城の入城情報
所在地
住所:新潟県上越市大字中屋敷ほか
TEL:026-278-2801
TEL:026-278-2801
開城時間
[春日山城跡]
自由
[春日山城跡ものがたり館]
9:00~16:30
(入場は閉場時間の30分前まで)
自由
[春日山城跡ものがたり館]
9:00~16:30
(入場は閉場時間の30分前まで)
休城日
[春日山城跡]
なし
[春日山城跡ものがたり館]
月曜(祝日の場合は翌日)、冬季期間(12月1日から2月末日)
※観桜会・ゴールデンウィーク・観蓮会期間中は無休
なし
[春日山城跡ものがたり館]
月曜(祝日の場合は翌日)、冬季期間(12月1日から2月末日)
※観桜会・ゴールデンウィーク・観蓮会期間中は無休
料金
無料
製作スタッフ紹介
記事
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
※写真は「写真AC」を使用
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
※写真は「写真AC」を使用