難攻不落、段急崖の真田本城「上田城」
上田城 南櫓と西櫓
上田城 南櫓と西櫓

上田城の見どころとイベント

上田城 南櫓と石垣
上田城 南櫓と石垣
上田城 西櫓と石垣(尼が淵から)
上田城 西櫓と石垣(尼が淵から)
上田城_真田十勇士、顔ハメ看板
上田城_真田十勇士、顔ハメ看板
上田城の見どころは、江戸幕府を開いた徳川家の攻撃を二度とも防いだ難攻不落な防御力。
それを支えるのが千曲川の段急崖につくられた城の構造と真田の知略。
現在の上田城は中心に本丸が、周りに二の丸がある構造です。本丸中枢には特に建造物はないものの、周囲に4ヶ所の隅櫓跡が残っています。
本丸の東・北・西側は素掘りの堀と土塁が囲って、本丸南東側に東虎口櫓門が、南西側に西櫓があります。
石垣を多用はしていませんが、必要な箇所は石垣で固め、土塁に塀を高く組んで敵の侵入を防ぐ効率的な防御力。
加えて南側は急流千曲川とその支流である尼ヶ淵となっており、段急崖のさらに上には石垣が囲まれて中々侵入ができないつくりです。
更に二の丸は東西を空堀が北を大きな水堀が囲み、戦時中の水の確保もできるよう溜池となっていました。

上田城では春先の上田城桜祭りや上田真田まつり、9月の真田幸村公出陣ねぶたなど多くのイベントが行われています。特に上田真田まつりは第二次上田合戦を再現した演武・武者行列・決戦劇が見られる、迫力満点の祭りです。戦国時代を駆け抜けた真田氏の勇壮なさまを感じられるでしょう。

目次

上田城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

信州まつもと空港より車・タクシーで約1時間15分
▼レンタカーは以下
トヨタレンタリース 塩尻駅前店:0263-51-5100
タイムズカー 松本駅前店:0263-32-7040
オリックスレンタカー 松本駅前店:0263-34-3711
Jネットレンタカー 松本駅前店:0263-35-0154

信州まつもと空港よりバス・電車で約2時間55分
最寄り駅:JR上田駅より徒歩約12分、バス利用で約4分

新幹線・電車で行く場合

北陸新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線上田駅お城口より徒歩約12分、
上田市街地循環バス(あかバス)で約4分、「公園市役所前」
バス停下車後徒歩約3分

車で行く場合

上信越自動車道上田菅平I.C.より車で約15分
国道144号線を長野市方面に進み、「上田城跡公園入口」交差点で左折してください

駐車場

・上田城跡駐車場
場所:長野県上田市天神2-3-17
利用時間:24時間
料金:無料
収容台数:普通車88台
TEL:0268-23-5135(上田市都市計画課)

・上田城跡北観光駐車場
場所:長野県上田市二の丸3-6256
利用時間:24時間
料金:
<通常期間>
1時間以内 無料
1時間以上11時間以内 1時間ごと100円加算
11時間超~24時間以内:1,000円
24時間超:1日ごと1,000円を加算

<特別期間>
3時間以内:500円
3時間超~8時間以内:1時間ごと100円加算
8時間超~24時間以内:1,000円
24時間超:1日ごと1,000円を加算

※特別期間(2022年度):
4/1~17、4/29~5/7、11/6・7
収容台数:普通車224台
TEL:0268-23-5134(上田市都市計画課)

上田城、最寄りの場所からのアクセス方法

上田城は長野県上田市の中心部にある平城です。真田幸村(信繁)の父として有名な真田昌幸が築城し、2度にわたる徳川勢の侵攻を防いだ城として知られています。江戸時代には真田氏・仙石氏・松平氏が城主となり、上田藩の藩庁として機能しました。

上田城を散策する

二の丸橋と二の丸東虎口

上田城 二の丸橋入口
上田城 二の丸橋入口
上田城 二の丸東虎口の石垣
上田城 二の丸東虎口の石垣
上田城 けやき並木遊歩道(旧二の丸堀跡)
上田城 けやき並木遊歩道(旧二の丸堀跡)
二の丸前に到着すると、まずは二の丸橋を渡って上田城二の丸に入ります。
江戸時代、上田城の二の丸には北、西、そして東に虎口があり、東側には大きな空堀がありました。
明治以後は鉄道が通っていたお堀端も現在はケヤキ並木の遊歩道になっています。
石垣で囲まれた二の丸東虎口を抜けると東虎口櫓門が見えてきます。

東虎口櫓門・真田石

上田城 東虎口櫓門
上田城 東虎口櫓門
東虎口櫓門は上田城の本丸南東側にそびえる門です。1994(平成6)年に復元された上田城の代表的な名所であり、櫓門・南北の櫓・塀が連結している形になっています。
二の丸から本丸に入るところに位置しており、門自体も東側の大手門として機能していました。なお門の手前には本丸を囲う水堀に橋が渡してあり、門と一緒に復元されたものです。加えて門の外側には二の丸の堀や石垣もあったため、敵の侵入を難しくする存在でした。
門の大きさは横幅約12m・奥行き約6m・高さ約12mとなっています。上層は櫓で床面積は約70.6㎡です。門両側の下層部にも石垣が施されており、上層の櫓からは石垣の上を通って南北の両櫓に行けるようになっています。また石垣はずらして配置してあり、攻撃側の兵を横から襲ったり狙ったりすることもできる構造でした。
右側の石垣には、「真田石(鏡石)」と呼ばれる巨石がはめ込まれています。1622(元和8)年に当時の城主・真田信之が松代に移る際、父昌幸の形見に運ぼうとしたものの、簡単に動かせなかったとされるものです。ただ石が積まれたのは、信之の後に入城した仙石忠政によって復元工事が行われた際のことでした。

北櫓・南櫓

上田城 北櫓
上田城 北櫓
上田城 南櫓
上田城 南櫓
上田城 南櫓(本丸から見た)
上田城 南櫓(本丸から見た)
北櫓・南櫓は東虎口櫓門の南北に建っている櫓です。1626(寛永3)年以降に仙石忠政が本丸に建てた7基の櫓のうち、現存している3基に数えられます。明治時代に上田城が廃城になった後、払い下げを経て近隣の太郎山山麓にあった遊郭に移築されました。後に上田城址保存会が買い戻し、戦後の1949(昭和24)年に現在地に復元されています。1959(昭和34)年には長野県宝の指定を受けました。
櫓は両方とも2階建てで、屋根の部分は本瓦葺きの入母屋造りになっています。1階部分を建ててから2階部分を乗せる形になっている点も特徴です。なお規模は1階部分が桁行9.85m・梁間7.88m、2階部分が桁行8.64m・梁間6.67mとなっています。
外壁部分は1階・2階それぞれで下側3分の2が板張りで、上の部分は土壁で覆っているのが特徴です。雪が降るような寒冷地の城郭に見られるとともに、安土桃山時代当時の城郭建築の特徴が見られます。仙石忠政による復元工事は真田昌幸の時代の上田城を蘇らせる形で行われていたことから、櫓も昌幸時代のものに基づいたものとも言えます。

真田神社

上田城 本丸内の真田神社
上田城 本丸内の真田神社
上田城 真田神社の幸村公大兜
上田城 真田神社の幸村公大兜
上田城 真田神社のおみくじ所
上田城 真田神社のおみくじ所
上田城の城主を祭神として祀った神社で、江戸中期から幕末まで城主だった松平氏によって創建されました。
現在は、歴代の城主だった真田氏、仙谷氏、松平氏を祀っています。
有名なのは、真田信繁(=幸村)公の大兜でしょう。
後の天下人、徳川家の侵攻を二度撃退したことや真田幸村が大阪の陣で活躍したこともあり、武運(=合格運)がつくとして受験生にも大人気です。
大兜とともに有名なのが、神社奥にある真田井戸です。
井戸は直径2m、深さは16.5mもあり、底から先に周辺の砦に通じる抜け穴があったという言い伝えがあります。
1600(慶長5)年の第二次上田合戦で城が3万5000余りの徳川軍に囲まれた際も井戸を通じて兵糧を運び込んだりゲリラ戦法で敵軍に奇襲をかけたりしたという伝説が残っています。
現在井戸には封がされ、周りに柵が設けられているため、真偽は確認できませんが、ロマン浸れる伝説です。

本丸内堀と北虎口

上田城 二の丸内堀(西側)
上田城 二の丸内堀(西側)
上田城 二の丸北虎口の石垣
上田城 二の丸北虎口の石垣
上田城 二の丸北側の散策路
上田城 二の丸北側の散策路
再度東虎口櫓門を通り、二の丸東側に出て本丸内堀を巡るように二の丸北側に向かいます。
左手にはずっと内堀が本丸を囲むようにつくられています。
上田城北側には、足軽や下級武士たちの町があり、いざというときにはこの二の丸北側に詰められるようになっていました。
当時は大きな濠ややめ池がありましたが、現在は埋め立てられ、北虎口付近の石垣がわずかに残る程度になっています。

西櫓

上田城 二の丸西虎口跡
上田城 二の丸西虎口跡
上田城 西櫓
上田城 西櫓
上田城 本丸西虎口
上田城 本丸西虎口
北虎口から西虎口に向かいます。
西虎口へも同様に内堀を左手に見ながら進むことになります。ほどなくすると右手に虎口、左手に西櫓が見えてきます。
西櫓は本丸の南西側に建つ櫓です。東虎口櫓門から真田神社の境内に入った先にあります。北櫓・南櫓と同じく仙石忠政の復元工事で建てられたものです。
両櫓とは異なり、かつて存在した西虎口櫓門を守るための施設でした。大きな戦乱に見舞われることがなかったため、上田藩の時代は活用されていました。なお江戸時代当時は「西川手櫓」と呼ばれていました。
明治時代に上田城が廃城になった後も破却や移築を免れています。城内にある建造物では江戸時代当時の姿で残っている貴重な存在です。1959(昭和34)年には南北両櫓とともに長野県宝に指定されています。
南北両櫓と同時に建てられたため、規模や外見上の特徴は両櫓と同じです。1階部分に2階部分が乗っており、外壁の部分も下側3分の2が板張り、上側が土壁になっています。なお内部中央にある心柱には、仙石氏による再建を示す「仙」の字の焼き印が刻印されています。

本丸

上田城 本丸内部
上田城 本丸内部
西櫓を右手に見ながら本丸内に進むと少しだけ段差がある石垣があり石段を数段上ると本丸跡になります。
江戸時代、真田幸村の兄信之が上田城主となった際に、西軍に味方した城として破却され、本丸内の建物も取り壊された。
通常出れば藩政務は本丸や二の丸で行うのだが、政務所や居館を三の丸に移したため、江戸時代を通じて本丸内に大きな建物がなかった。といわれている。

尼ヶ淵

上田城 西櫓脇の急階段
上田城 西櫓脇の急階段
上田城 尼が淵と石垣
上田城 尼が淵と石垣
上田城 南櫓と尼が淵公園内
上田城 南櫓と尼が淵公園内
本丸跡から再度西櫓に向かい、その脇にある急な石段を下ると尼ヶ淵に出ます。
現在、尼ヶ淵は上田城本丸の南側にある平地ですが、上田城が築かれた当時、千曲川の分流が流れており、南側を守る天然の堀とされていました。
分流は時代とともに失われ、現在は一帯が駐車場となっています。
尼ヶ淵から上を見上げると、急峻な絶壁に石垣や南櫓・西櫓がそびえたつ様子が見えます。あまりにも急峻で防御に適していたため、南側だけ本丸と城外が直接接している形です。同時に崖の部分は千曲川沿いの河岸段丘になっており、城が建っている地形の特徴を示しています。
一方分流があった頃は、洪水で崖や上の櫓が崩れる懸念に見舞われることもありました。現在見られる石垣は、1733(享保18)年に当時の上田藩主・松平忠愛(ただざね)が、前年の洪水を受けて崖を守るために築かせたものです。

上田城の入城情報

所在地

住所:長野県上田市二の丸6263-イ
TEL:026-278-2801

開城時間

4~10月:9:00~17:00
11~3月:9:00~16:30
(入場は閉場時間の30分前まで)

休城日

年末年始(12月29日~1月3日)

料金

無料