鶴羽に似た白門と富士を望む美しい高石垣
甲府城 山手御門
甲府城の見どころとイベント
甲府城の見どころは、美しく天に向かって聳えるような石垣群と、まるで鶴が羽を広げているように見えたため舞鶴城と呼ばれた美しい白壁の櫓、門、土塀の遺構です。
門は本丸から近い順に、鉄(くろがね)門・稲荷曲輪門・内松陰門・鍛冶曲輪門・山手御門があります。
櫓は北東に明治時代まであった稲荷櫓が、展望スペースや展示施設を兼ねる形で復元されているほか城内には天守台や数寄屋曲輪石垣をはじめ、見事に組まれた石垣も見どころです。
2000年代には城跡の整備事業が進められ、2004(平成16)年には稲荷櫓が、2007(平成19)年には線路を挟んで北側に甲府城歴史公園・山手御門が復元されました。合わせて2006(平成18)年には日本城郭協会より「日本百名城」の1つに選ばれています。2019(平成31/令和元)年2月には国の史跡にも指定されました。
甲府城を舞台にしたイベントとして、城の歴史に直接関わりはないものの、毎年4月に催される信玄公祭りがあります。もともと1947(昭和22)年から舞鶴城公園で行われてきた桜祭りが前身でした。現在では武田信玄を前面に出したものになりましたが、祭り最大の見せ場である「武田二十四将時代行列」の出陣式と帰陣式は甲府城で行われています。
お城は甲府駅から徒歩10分圏内と非常に近く、お城と駅周辺には数多くのワイナリーがありますので、ワインを味わいながらの散策もいいかもしれませんね。
城Trip公式youtubeチャンネルにて、甲府城の動画を配信中です。
合わせて是非ご覧ください。
→【甲府城】歴史から紐解く城の特徴と魅力を紹介!日本の城シリーズ
門は本丸から近い順に、鉄(くろがね)門・稲荷曲輪門・内松陰門・鍛冶曲輪門・山手御門があります。
櫓は北東に明治時代まであった稲荷櫓が、展望スペースや展示施設を兼ねる形で復元されているほか城内には天守台や数寄屋曲輪石垣をはじめ、見事に組まれた石垣も見どころです。
2000年代には城跡の整備事業が進められ、2004(平成16)年には稲荷櫓が、2007(平成19)年には線路を挟んで北側に甲府城歴史公園・山手御門が復元されました。合わせて2006(平成18)年には日本城郭協会より「日本百名城」の1つに選ばれています。2019(平成31/令和元)年2月には国の史跡にも指定されました。
甲府城を舞台にしたイベントとして、城の歴史に直接関わりはないものの、毎年4月に催される信玄公祭りがあります。もともと1947(昭和22)年から舞鶴城公園で行われてきた桜祭りが前身でした。現在では武田信玄を前面に出したものになりましたが、祭り最大の見せ場である「武田二十四将時代行列」の出陣式と帰陣式は甲府城で行われています。
お城は甲府駅から徒歩10分圏内と非常に近く、お城と駅周辺には数多くのワイナリーがありますので、ワインを味わいながらの散策もいいかもしれませんね。
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→【甲府城】歴史から紐解く城の特徴と魅力を紹介!日本の城シリーズ
目次
甲府城へのアクセス方法
電車で行く場合
JR甲府駅(中央本線・身延線)南口から東へ徒歩2分
車で行く場合
甲府昭和IC(中央道)、甲府南IC(中央道)から15分
駐車場
甲府市 歴史公園 駐車場
営業 24時間
全日 最初の60分無料
7:00~21:00 30分/100円
21:00~7:00 60分/100円
台数 15台ほど
営業 24時間
全日 最初の60分無料
7:00~21:00 30分/100円
21:00~7:00 60分/100円
台数 15台ほど
甲府城、最寄りの場所からのアクセス方法
JR甲府駅南口から歩いて3分程度で来られます。
車を利用する場合は、中央自動車道の甲府昭和インターから国道20号線や昭和通りなどを経由して約15分です。
車を利用する場合は、中央自動車道の甲府昭和インターから国道20号線や昭和通りなどを経由して約15分です。
甲府城を散策する
甲府城は甲府駅南東側にそびえる独立丘陵・一条小山に築かれています。駅から歩いてすぐなので電車で来ても非常に登城しやすいです。見所は、線路を挟んで山手御門側と天守台や各種門、櫓が見れる本城側の2つに分かれます。
お城や駅周辺にはたくさんのワイナリーやワインを試飲できるバルがあります。
今回は、甲府駅から南に出て、内松陰門から稲荷櫓、東の数寄屋曲輪石垣を見ながら登城し、天守台、鉄門等を見た跡、山手御門に向かうルートでご紹介いたします。
お城や駅周辺にはたくさんのワイナリーやワインを試飲できるバルがあります。
今回は、甲府駅から南に出て、内松陰門から稲荷櫓、東の数寄屋曲輪石垣を見ながら登城し、天守台、鉄門等を見た跡、山手御門に向かうルートでご紹介いたします。
内松陰門
内松陰門(うちまつかげもん)は、甲府城の屋形曲輪と二の丸をつなぐ門で本丸の北西側に位置します。
ここから天守台に向かう場合には、中門跡を通て向かえます。
現在の門は平成11年に復元されたもので、高麗門形式で、2本の大きな柱の上に切妻屋根をのせます。
ここら左手に坂を下るようにぐるりと進むと美しい石垣と白い土塀、そして稲荷櫓につきます。
ここから天守台に向かう場合には、中門跡を通て向かえます。
現在の門は平成11年に復元されたもので、高麗門形式で、2本の大きな柱の上に切妻屋根をのせます。
ここら左手に坂を下るようにぐるりと進むと美しい石垣と白い土塀、そして稲荷櫓につきます。
稲荷櫓
稲荷櫓は甲府城の北東、稲荷曲輪にそびえている櫓です。
稲荷櫓を通って稲荷曲輪に出ながら本丸登城もできますし、100名城スタンプもここで押せますのでおすすめのスポットです。
鬼門とされる北東(丑寅・艮)の方角にあることから「艮(うしとら)櫓」の別名もあります。
江戸時代前期の1664(寛文4)年の大改修の際に新たに築かれ、江戸時代には武具を納める蔵として使われました。また6点の輪宝(りんぽう)も出土しており、城のある土地の平安を願って埋められたと考えられています。1868(明治元)年まで建っていたことが古写真で確認されたため、写真の様子をもとに2004(平成16)年に再建されました。
櫓は2階建てで、瓦葺きの屋根と白壁が特徴的な入母屋造りになっています。規模は南北五間(10m)・東西六間(約12m)です。高さ14.5mの石垣の上に立っていることもあり、内部は展望スペースにもなっています。城内だけでなく甲府市内や周囲の山々も一望できる点でおすすめの場所です。また甲府城の歴史を解説する展示室も兼ねています。甲府城築城の際に使われた工具やしゃちほこのレプリカなどが飾ってあり、見どころが豊富です。
稲荷櫓を通って稲荷曲輪に出ながら本丸登城もできますし、100名城スタンプもここで押せますのでおすすめのスポットです。
鬼門とされる北東(丑寅・艮)の方角にあることから「艮(うしとら)櫓」の別名もあります。
江戸時代前期の1664(寛文4)年の大改修の際に新たに築かれ、江戸時代には武具を納める蔵として使われました。また6点の輪宝(りんぽう)も出土しており、城のある土地の平安を願って埋められたと考えられています。1868(明治元)年まで建っていたことが古写真で確認されたため、写真の様子をもとに2004(平成16)年に再建されました。
櫓は2階建てで、瓦葺きの屋根と白壁が特徴的な入母屋造りになっています。規模は南北五間(10m)・東西六間(約12m)です。高さ14.5mの石垣の上に立っていることもあり、内部は展望スペースにもなっています。城内だけでなく甲府市内や周囲の山々も一望できる点でおすすめの場所です。また甲府城の歴史を解説する展示室も兼ねています。甲府城築城の際に使われた工具やしゃちほこのレプリカなどが飾ってあり、見どころが豊富です。
数寄屋曲輪石垣と遊亀橋、鍛冶曲輪
稲荷櫓を後にして南側に下っていくと右手に数寄屋曲輪の美しい石垣群が見えてきます。
さらに進むと、駐車場正面にあたる遊亀橋、そして本丸、天守台まで段々に積まれた石垣群が見えてきます。
遊亀橋を渡って城内に入ると鍛冶曲輪です。
左手に舞鶴城公園管理事務所があり、100名城スタンプと御城印の購入ができます。
右手に進むと多目的広場となっていて、更に石段を登っていくと数寄屋曲輪につながります。
今回は右手に進んで天守台を目指します。
さらに進むと、駐車場正面にあたる遊亀橋、そして本丸、天守台まで段々に積まれた石垣群が見えてきます。
遊亀橋を渡って城内に入ると鍛冶曲輪です。
左手に舞鶴城公園管理事務所があり、100名城スタンプと御城印の購入ができます。
右手に進むと多目的広場となっていて、更に石段を登っていくと数寄屋曲輪につながります。
今回は右手に進んで天守台を目指します。
稲荷曲輪門、そして本丸へ
数寄屋曲輪は、土塀に囲まれ、北側に稲荷曲輪へとつながる門がありました。
稲荷曲輪門を左手に見ながら右手側から広場を通てぐるっと坂を上ると本丸です。
稲荷曲輪門を左手に見ながら右手側から広場を通てぐるっと坂を上ると本丸です。
天守台跡
本丸に入ると美しい天守台の石垣が目に飛び込んできます。
天守台跡は本丸の最も西側にあります。南北22m・東西16mの不整形な四角形を呈しており、標高も甲府城内でも最も高いです。
天守台跡には当初天守閣が建っていたと考えられています。ただ江戸時代の絵図面や見取り図などに天守閣を思わせる描写・記述が見られません。少なくとも江戸時代には既に存在していなかったというのが有力です。
天守台跡の見どころは石垣です。城が最初に築かれた1590年代に採用されていた野面積み(安土桃山時代の代表的な積み方)が特徴になっています。傾斜もあまり急ではなかったことから、江戸時代に比べると築城技術が高くなかったことを示しています。
なお天守台西側の石垣には「兄弟石」と呼ばれる石が見られる点も特徴です。1つの巨石を2つに分割して使ったもので、天守台に複数使われています。石を割る際に穿った矢穴の部分で2つの石がしっかり噛み合うことから、もともと1つだったことが推定されます。
天守台跡は本丸の最も西側にあります。南北22m・東西16mの不整形な四角形を呈しており、標高も甲府城内でも最も高いです。
天守台跡には当初天守閣が建っていたと考えられています。ただ江戸時代の絵図面や見取り図などに天守閣を思わせる描写・記述が見られません。少なくとも江戸時代には既に存在していなかったというのが有力です。
天守台跡の見どころは石垣です。城が最初に築かれた1590年代に採用されていた野面積み(安土桃山時代の代表的な積み方)が特徴になっています。傾斜もあまり急ではなかったことから、江戸時代に比べると築城技術が高くなかったことを示しています。
なお天守台西側の石垣には「兄弟石」と呼ばれる石が見られる点も特徴です。1つの巨石を2つに分割して使ったもので、天守台に複数使われています。石を割る際に穿った矢穴の部分で2つの石がしっかり噛み合うことから、もともと1つだったことが推定されます。
鉄門
鉄門は天守曲輪と本丸を繋ぐ場所に建っている門です。天守曲輪の南側に位置しています。少なくとも江戸時代初期にはすでに建っていたと考えられています。もともと「南門」という名前でしたが、1705(宝永2)年に柳沢吉保によって「鉄門」と改められました。
江戸時代を通じて建っていたものの、1875(明治8)年に城の主要な建物とともに破却されました。後に甲府城の発掘調査などを通じて、城の文化財的な価値を伝える上で重要と考えられ、復元の上で2013(平成25)年から公開されています。
門は櫓を備えた2階建てで、門の部分は板壁、櫓の部分は白漆喰で仕上げた土壁です。また門の左右には石垣も存在していることから、有事の際に最後の備えとするために建てられたと考えられています。なお復元に当たって、なるべく当時の工法を忠実に活用しています。
江戸時代を通じて建っていたものの、1875(明治8)年に城の主要な建物とともに破却されました。後に甲府城の発掘調査などを通じて、城の文化財的な価値を伝える上で重要と考えられ、復元の上で2013(平成25)年から公開されています。
門は櫓を備えた2階建てで、門の部分は板壁、櫓の部分は白漆喰で仕上げた土壁です。また門の左右には石垣も存在していることから、有事の際に最後の備えとするために建てられたと考えられています。なお復元に当たって、なるべく当時の工法を忠実に活用しています。
鍛冶曲輪門
鉄門から石段を下り、遊亀橋方面へ下ると鍛冶曲輪です。
鍛冶曲輪には庭園がありますのでこれを見ながら真っすぐ右側に進んでいくと鍛冶曲輪門です。
鍛冶曲輪門は城の南西側にある門です。城跡南側の鍛冶曲輪と、現在山梨県庁のある区域にあった楽屋曲輪を結ぶところに建っていました。1875(明治8)年に多くの建物とともに破却されましたが、平成に入ってから発掘調査の成果や絵図をもとに復元されています。
門は「薬医門(やくいもん)」と呼ばれる、親柱に加えて後ろ側に控柱も備えた形式です。親柱と控柱各2本に支えられて切妻屋根が載っています。そして切妻屋根も本瓦葺きとなっています。なお屋根が少し前側にずれているため、屋根の重みに耐えられるように親柱は太めのものを採用しているのが特徴です。
薬医門の形式をとっていることもあり、門の横側には小さめの潜り戸も備えています。また門の両側は白壁の塀と石垣が続いています。
鍛冶曲輪門を出ると城南に残る内堀跡(現在の水溜)が見えます。
鍛冶曲輪には庭園がありますのでこれを見ながら真っすぐ右側に進んでいくと鍛冶曲輪門です。
鍛冶曲輪門は城の南西側にある門です。城跡南側の鍛冶曲輪と、現在山梨県庁のある区域にあった楽屋曲輪を結ぶところに建っていました。1875(明治8)年に多くの建物とともに破却されましたが、平成に入ってから発掘調査の成果や絵図をもとに復元されています。
門は「薬医門(やくいもん)」と呼ばれる、親柱に加えて後ろ側に控柱も備えた形式です。親柱と控柱各2本に支えられて切妻屋根が載っています。そして切妻屋根も本瓦葺きとなっています。なお屋根が少し前側にずれているため、屋根の重みに耐えられるように親柱は太めのものを採用しているのが特徴です。
薬医門の形式をとっていることもあり、門の横側には小さめの潜り戸も備えています。また門の両側は白壁の塀と石垣が続いています。
鍛冶曲輪門を出ると城南に残る内堀跡(現在の水溜)が見えます。
山手御門
山手御門はかつて甲府城の内外を繋いでいた3つの門の1つです。過去に行われた発掘調査の結果、最初に築城された天正末期~慶長初期(1590年代頃)に造られたと考えられます。城が往時の威容を誇っていた頃、門が北西側に建っていたため、場所も中央線の線路の北側となっています。
山手御門も明治時代初期に城内の多くの建物とともに破却されました。しかし先ほど触れた発掘調査や城跡の整備事業を通じて、2007(平成19)年に復元されました。復元の際は発掘調査の成果だけでなく、柳沢吉保が作成した『楽只堂年録』の絵図も用いられています。なお門の周辺も甲府市歴史公園として開放されています。
山手御門は山手門と山手渡櫓門の2つから構成されている門です。門の外と内は堀の上に渡した木橋と土橋で結ばれており、人々が城を出入りする際に活用されていました。山手門は高さ約6m・幅約5mで、用途は純粋な城門でした。
山手渡櫓門は山手門をくぐり右手に折れた場所にある高さ約12m・幅約14mの門です。2階に櫓を備えており武器庫として使われていました。櫓も公開されているため、内部見学も可能です。なお山手御門自体の構造は枡形虎口で、有事の際に侵入者を櫓などから射撃することも可能でした。
山手御門近くには「甲州ワイン蔵」があり、様々なワインの試飲や購入が可能です。
ぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
山手御門も明治時代初期に城内の多くの建物とともに破却されました。しかし先ほど触れた発掘調査や城跡の整備事業を通じて、2007(平成19)年に復元されました。復元の際は発掘調査の成果だけでなく、柳沢吉保が作成した『楽只堂年録』の絵図も用いられています。なお門の周辺も甲府市歴史公園として開放されています。
山手御門は山手門と山手渡櫓門の2つから構成されている門です。門の外と内は堀の上に渡した木橋と土橋で結ばれており、人々が城を出入りする際に活用されていました。山手門は高さ約6m・幅約5mで、用途は純粋な城門でした。
山手渡櫓門は山手門をくぐり右手に折れた場所にある高さ約12m・幅約14mの門です。2階に櫓を備えており武器庫として使われていました。櫓も公開されているため、内部見学も可能です。なお山手御門自体の構造は枡形虎口で、有事の際に侵入者を櫓などから射撃することも可能でした。
山手御門近くには「甲州ワイン蔵」があり、様々なワインの試飲や購入が可能です。
ぜひ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
甲府城のトリビア甲州統一は誰のおかげ?!
今回は、甲府城というより甲斐国(現在の山梨県)統一のトリビアについて
さて、甲斐国出身で一番有名な武将は誰か!?もちろん武田信玄ですよね。
では甲斐国を戦国時代に初めて統一したのは誰でしょう。
正解は、信玄の父、武田信虎です。
戦国初期の甲斐国は各地域を国衆と呼ばれる土豪が支配し、それぞれに争っていました。
中でも、甲斐国中央部を治める武田氏、南部を治める穴山氏、東部を治める小山田氏が激しく争っていました。
この有力三氏を合一し、甲斐国をまとめあげた人物こそ、武田信虎です。
甲府駅前には信虎像があり、今なお甲斐国(現在の山梨県)の人に愛されています。
さて、甲斐国出身で一番有名な武将は誰か!?もちろん武田信玄ですよね。
では甲斐国を戦国時代に初めて統一したのは誰でしょう。
正解は、信玄の父、武田信虎です。
戦国初期の甲斐国は各地域を国衆と呼ばれる土豪が支配し、それぞれに争っていました。
中でも、甲斐国中央部を治める武田氏、南部を治める穴山氏、東部を治める小山田氏が激しく争っていました。
この有力三氏を合一し、甲斐国をまとめあげた人物こそ、武田信虎です。
甲府駅前には信虎像があり、今なお甲斐国(現在の山梨県)の人に愛されています。
甲府城の御城印と百名城スタンプ
■甲府城の御城印
甲府城では御城印を販売しています。
・甲府市観光案内所
販売時間:平日 9時~18時、土休日(4~11月) 9時~19時・(12~3月) 9時~18時
料金は1枚300円です。
■甲府城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・甲府城稲荷櫓(9:00~16:30 *入館は16時まで)
・舞鶴城公園管理事務所(8:30~17:00)
甲府城では御城印を販売しています。
・甲府市観光案内所
販売時間:平日 9時~18時、土休日(4~11月) 9時~19時・(12~3月) 9時~18時
料金は1枚300円です。
■甲府城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・甲府城稲荷櫓(9:00~16:30 *入館は16時まで)
・舞鶴城公園管理事務所(8:30~17:00)
甲府城の入城情報
所在地
住所:山梨県甲府市丸の内1-5-4
TEL:055-227-6179(舞鶴城公園管理事務所)
TEL:055-227-6179(舞鶴城公園管理事務所)
開城時間
午前9時~午後5時
休城日
月曜日(※月曜日が祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から1月3日まで)
※公園は常時開放しています
※公園は常時開放しています
料金
無料
製作スタッフ紹介
記事&写真担当
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。