東京を一望する北条氏悲劇の舞台となった城
八王子城 曳橋(御主殿跡からの眺め)
八王子城の見どころとイベント
八王子城の見どころは、戦国時代の山城を体験できるところです。要害地区(=本城地区)、居館地区に分かれたつくりはまさに命をかけて籠城した当時の様子と城下町の政治を行った場所の雰囲気を味わえます。
八王子城の区域も、大きく深沢山の山頂一帯と麓に分かれていて、山頂には本丸と各曲輪による要害地区があり、籠城戦に備えた造りが特徴です。本丸の東側に小宮曲輪や松木曲輪があります。また本丸から西に尾根伝いに行くと馬冷しや詰めの城があり、本丸が落とされた際に最後まで戦えるようになっていました。
一方山の南東麓には御主殿を中心にした御主殿曲輪(居館地区)や、家臣が住んでいた根古屋地区が広がっています。城に関わる人々の生活の場であるとともに、八王子一帯を統治する舞台でもありました。居館地区や根古屋地区の南側には川が流れており、先には南の守りを担う太鼓曲輪地区や御霊谷(ごれいや)地区が広がっています。
八王子城内は建物はほぼ復元されていませんが、最も主要な区域である居館地区では、御主殿の礎石(柱の基礎となる石)の配置が分かるようになっています。加えて御主殿の隣にあった会所跡についても床まで復元してあり、往時の姿の一部が見られます。
また御主殿曲輪の先に続く石段や城山川に架かる曳橋も復元されており、見どころの1つになっています。
石段などの周りにも石垣が復元されており、戦国時代当時の野面積みになっています。さらに山頂の本丸跡には「八王子城本丸址」の石碑が建てられています。
八王子城では6月23日に「八王子城跡まつり」が行われます。豊臣氏と北条氏の戦があった6月23日に合わせて開催されており、2019(令和元)年に1回目が催されました。砲術演武・武者演武・武将なりきり体験・八王子城研究発表など、戦国時代を感じられる内容になっています。
八王子城の区域も、大きく深沢山の山頂一帯と麓に分かれていて、山頂には本丸と各曲輪による要害地区があり、籠城戦に備えた造りが特徴です。本丸の東側に小宮曲輪や松木曲輪があります。また本丸から西に尾根伝いに行くと馬冷しや詰めの城があり、本丸が落とされた際に最後まで戦えるようになっていました。
一方山の南東麓には御主殿を中心にした御主殿曲輪(居館地区)や、家臣が住んでいた根古屋地区が広がっています。城に関わる人々の生活の場であるとともに、八王子一帯を統治する舞台でもありました。居館地区や根古屋地区の南側には川が流れており、先には南の守りを担う太鼓曲輪地区や御霊谷(ごれいや)地区が広がっています。
八王子城内は建物はほぼ復元されていませんが、最も主要な区域である居館地区では、御主殿の礎石(柱の基礎となる石)の配置が分かるようになっています。加えて御主殿の隣にあった会所跡についても床まで復元してあり、往時の姿の一部が見られます。
また御主殿曲輪の先に続く石段や城山川に架かる曳橋も復元されており、見どころの1つになっています。
石段などの周りにも石垣が復元されており、戦国時代当時の野面積みになっています。さらに山頂の本丸跡には「八王子城本丸址」の石碑が建てられています。
八王子城では6月23日に「八王子城跡まつり」が行われます。豊臣氏と北条氏の戦があった6月23日に合わせて開催されており、2019(令和元)年に1回目が催されました。砲術演武・武者演武・武将なりきり体験・八王子城研究発表など、戦国時代を感じられる内容になっています。
目次
八王子城へのアクセス方法
電車で行く場合
JR高尾駅北口1番バスのりばより、西東京バス「高尾の森わくわくビレッジ」「宝生寺団地」「恩方ターミナル」「大久保」「大久保・陣馬高原下」「グリーンタウン高尾」「美山町」行きで、バス停「霊園前・八王子城跡入口」下車、徒歩約15分
※土曜日・日曜日・祝日のみ、JR高尾駅北口1番バスのりばより、「八王子城跡」行を運行
※土曜日・日曜日・祝日のみ、JR高尾駅北口1番バスのりばより、「八王子城跡」行を運行
車で行く場合
圏央道八王子西インターチェンジから高尾方面へ約10分。または、中央道八王子インターチェンジ第2出口から、甲州街道を経由して約40分。
駐車場
ガイダンス施設隣接の駐車場
(利用時間は午前9時~午後5時です。時間外については臨時駐車場を御利用ください)
大型バス4台・普通車50台(うち、身障者用2台、思いやり駐車スペース1台)
※大型バス専用駐車場の利用についてはあらかじめ予約が必要です。詳細は文化財課までお問合せください。
(利用時間は午前9時~午後5時です。時間外については臨時駐車場を御利用ください)
大型バス4台・普通車50台(うち、身障者用2台、思いやり駐車スペース1台)
※大型バス専用駐車場の利用についてはあらかじめ予約が必要です。詳細は文化財課までお問合せください。
八王子城、最寄りの場所からのアクセス方法
アクセスはJR中央線高尾駅北口から西東京バスに乗車、「霊園前・八王子城跡入口」バス停で下車します。そして徒歩15分程度で登山口到着です。
車でアクセスする場合は圏央道の八王子西インターが最寄りで、東京都道61号線を南に向かえば10分程度で着きます。なお登山口から御主殿までは約10分、山頂までは約40分で到達可能です。
今回は御主殿のある居館エリアを見学し、本丸がある山頂を目指します。下山後は根古屋エリアにある北条氏照の墓跡を見てガイダンス施設に戻るルートでご紹介いたします。
車でアクセスする場合は圏央道の八王子西インターが最寄りで、東京都道61号線を南に向かえば10分程度で着きます。なお登山口から御主殿までは約10分、山頂までは約40分で到達可能です。
今回は御主殿のある居館エリアを見学し、本丸がある山頂を目指します。下山後は根古屋エリアにある北条氏照の墓跡を見てガイダンス施設に戻るルートでご紹介いたします。
八王子城を散策する
【居館地区】大手通、大手古道
八王子城管理棟が出発地です。
出てすぐ右に回り込むと、大手通です。当時はここから城主の居館(=御主殿)に向かいました。
現在は、旧太鼓曲輪跡に、大手古道が整備され、大手通から一度橋をわたってこの古道を通り曳橋から向かいます。
出てすぐ右に回り込むと、大手通です。当時はここから城主の居館(=御主殿)に向かいました。
現在は、旧太鼓曲輪跡に、大手古道が整備され、大手通から一度橋をわたってこの古道を通り曳橋から向かいます。
曳橋
太鼓曲輪と御主殿の曲輪をつなぐ大きな橋で、橋脚部分の現存絵図をもとに1951年に木造再建されたものです。
太鼓曲輪と御主殿は城山川で挟まれ、川が大きな濠の役割をはたしており、敵が攻め込んできた際にはこの橋を落として籠城したと考えられます。
太鼓曲輪と御主殿は城山川で挟まれ、川が大きな濠の役割をはたしており、敵が攻め込んできた際にはこの橋を落として籠城したと考えられます。
御主殿虎口
御主殿虎口は城の入口から御主殿曲輪に至る階段式の通路です。1987~88(昭和63~63)年に本格的な発掘調査が行われ、往時の石段や石垣などが出土しました。1990(平成2)年には落城400年の節目として、調査成果に基づいた復元整備されています。
城山川に架かる木製の橋(曳橋)を渡り終えたところからコの字状に伸びています。階段は25段と少なめではあるものの、御主殿曲輪へ登りきるまでの高低差は9mと大きいです。敵が御主殿曲輪に押し寄せるまでの時間を稼ぐとともに、疲弊させる狙いもあると考えられています。なお石段1段の踏面も平均1m・高さも36㎝で、攻撃側にとってはとても苦労させられる造りです。同時に全体的に石段になっている点も、八王子城ならではの特徴と言えます。
石段の周囲には石垣も築かれており、「北条積み」と呼ばれる技術が使われているのがポイントです。積んだ石材の隙間に多くの小石を詰めることで、より強度を高めています。勾配も非常に急になっていることから、攻め手が容易によじ登れないようになっています。
石段を登った先、御主殿曲輪の手前には冠木(かぶき)門もあり見どころです。ただし史実や発掘調査の成果に基づいて忠実に再現したものではなく、あくまでも当時の門のイメージを持ってもらうために建っています。
城山川に架かる木製の橋(曳橋)を渡り終えたところからコの字状に伸びています。階段は25段と少なめではあるものの、御主殿曲輪へ登りきるまでの高低差は9mと大きいです。敵が御主殿曲輪に押し寄せるまでの時間を稼ぐとともに、疲弊させる狙いもあると考えられています。なお石段1段の踏面も平均1m・高さも36㎝で、攻撃側にとってはとても苦労させられる造りです。同時に全体的に石段になっている点も、八王子城ならではの特徴と言えます。
石段の周囲には石垣も築かれており、「北条積み」と呼ばれる技術が使われているのがポイントです。積んだ石材の隙間に多くの小石を詰めることで、より強度を高めています。勾配も非常に急になっていることから、攻め手が容易によじ登れないようになっています。
石段を登った先、御主殿曲輪の手前には冠木(かぶき)門もあり見どころです。ただし史実や発掘調査の成果に基づいて忠実に再現したものではなく、あくまでも当時の門のイメージを持ってもらうために建っています。
御主殿跡
御主殿は八王子城で最も重要な建物の跡です。城が使われていた時代、城主北条氏照の居館がありました。麓から石段などを歩いてたどり着ける御主殿曲輪の中にあります。
御主殿跡は1992~93(平成4~5)年に発掘調査が行われ、建物の基礎を示す礎石の跡が出土しました。調査の終了後に礎石は一旦埋め戻されましたが、2012(平成24)年度に復元整備工事を行い、現在のように礎石が見える状態にしました。
発掘調査の結果、建物の間取りは9×15間(18×29.4m)で城内最大の建造物だったことが判明しています。なお「御主殿」の名称は、江戸時代の慶安年間(1648~51年)に作成された八王子城の絵図にちなむものです。
また氏照が使っていた茶道具・花を生ける道具・香炉なども見つかっており、彼の日常や人となりの一端を示しています。ほかにも国産や中国産の陶磁器・火縄銃の弾・鋳型・銅銭なども出土しています。
なお2013(平成25)年には建物の西隣から庭園や池の跡が発見され、配石の巧みさから北条氏の作庭技術の高さがうかがえるものです。加えて2020(令和2)年には、石に囲まれた中に赤く焼けた土が見られる囲炉裏の痕跡も見つかっており、湯屋あるいは台所として活用されたと推定されています。
御主殿跡は1992~93(平成4~5)年に発掘調査が行われ、建物の基礎を示す礎石の跡が出土しました。調査の終了後に礎石は一旦埋め戻されましたが、2012(平成24)年度に復元整備工事を行い、現在のように礎石が見える状態にしました。
発掘調査の結果、建物の間取りは9×15間(18×29.4m)で城内最大の建造物だったことが判明しています。なお「御主殿」の名称は、江戸時代の慶安年間(1648~51年)に作成された八王子城の絵図にちなむものです。
また氏照が使っていた茶道具・花を生ける道具・香炉なども見つかっており、彼の日常や人となりの一端を示しています。ほかにも国産や中国産の陶磁器・火縄銃の弾・鋳型・銅銭なども出土しています。
なお2013(平成25)年には建物の西隣から庭園や池の跡が発見され、配石の巧みさから北条氏の作庭技術の高さがうかがえるものです。加えて2020(令和2)年には、石に囲まれた中に赤く焼けた土が見られる囲炉裏の痕跡も見つかっており、湯屋あるいは台所として活用されたと推定されています。
会所跡
会所跡は御主殿のすぐ南西にあった建物です。御主殿と同じく1992~3(平成4~5)年の発掘調査で礎石遺構が発見されました。城主の氏照が八王子城を訪れた要人をもてなすための場だったと考えられています。なお 2013(平成25)年に床板を張ったところまで復元されています。
建物の間取りは6×11間(13.28×20.86m)で、御主殿に次ぐ規模です。建物の傍らには20m程度の石畳の道も出土しており、何らかの儀式が行われた場という説もあります。
会所でも発掘調査の際に多くの遺物が出土しています。中でも非常に価値が高いのが、イタリアのベネチア製のレースガラス器です。戦国時代の城郭遺跡で唯一発見されたもので、氏照の北条氏内部での立場の高さを示しています。ただなぜレースガラス器が持ち込まれたのかについては、今も不明です。
建物の間取りは6×11間(13.28×20.86m)で、御主殿に次ぐ規模です。建物の傍らには20m程度の石畳の道も出土しており、何らかの儀式が行われた場という説もあります。
会所でも発掘調査の際に多くの遺物が出土しています。中でも非常に価値が高いのが、イタリアのベネチア製のレースガラス器です。戦国時代の城郭遺跡で唯一発見されたもので、氏照の北条氏内部での立場の高さを示しています。ただなぜレースガラス器が持ち込まれたのかについては、今も不明です。
御主殿の滝
御主殿の滝は、御主殿虎口の入口に架かる橋から城山川沿いに南西に行ったところに流れています。1590(天正18)年6月23日に八王子城が豊臣軍によって攻め落とされた際、城内にいた北条方の女子供が身を投げるなどして自害した場所です。
滝の水はすぐ下を流れる城山川に注いでいるため、川の流れが、犠牲者が流した血で三日三晩赤く染まったと伝えられています。また麓の村でも城山川で汲んだ水で米を炊いたところ、赤く染まった炊き上がったという伝説まであります。
滝は2段に分かれており、上段が約3mで下段が約2mです。また滝の傍らには供養塔もあり、毎年6月23日には供養祭も催されます。
滝の水はすぐ下を流れる城山川に注いでいるため、川の流れが、犠牲者が流した血で三日三晩赤く染まったと伝えられています。また麓の村でも城山川で汲んだ水で米を炊いたところ、赤く染まった炊き上がったという伝説まであります。
滝は2段に分かれており、上段が約3mで下段が約2mです。また滝の傍らには供養塔もあり、毎年6月23日には供養祭も催されます。
【要害地区】アシダ曲輪から登城口
御主殿滝を後にして八王子城管理棟に戻るように進むとアシダ曲輪と御主殿をつなぐように橋が見えます。
管理棟に戻り右手に回り込むように進むと本丸に続く登城口です。ここから本丸までは約40分のハイキングコースです。
管理棟に戻り右手に回り込むように進むと本丸に続く登城口です。ここから本丸までは約40分のハイキングコースです。
金子丸から中の曲輪、八王子神社
うっそうとした林に続き石段と小路を進むとまず金子丸に到着します。休憩場が設けられているので疲れた人はここで一休みしましょう。金子丸から更に登ると中の曲輪につきます。城の下で一番いい見晴らしで、東京都が一望できます。
中の曲輪から小路を少し進み登ると八王子神社に到着です。神社の右側に回り込んで奥の小路を進むと小宮曲輪につながります。
中の曲輪から小路を少し進み登ると八王子神社に到着です。神社の右側に回り込んで奥の小路を進むと小宮曲輪につながります。
小宮曲輪、本丸、松木曲輪
小宮曲輪は、城北側の曲輪で、秀吉の小田原征伐の際に、小宮曲輪が陥落したことが落城の決定的な要因といわれています。
小宮曲輪から再度八王子神社に戻り石段を登っていくと本丸です。
本丸に建物はなく、石碑が残ります。本丸から南に一段下った曲輪が松木曲輪で、ここからも八王子の街並みが一望できます。
小宮曲輪から再度八王子神社に戻り石段を登っていくと本丸です。
本丸に建物はなく、石碑が残ります。本丸から南に一段下った曲輪が松木曲輪で、ここからも八王子の街並みが一望できます。
【根古屋地区】ガイダンス施設
山頂にある本城エリアからガイダンス施設に戻ります。
橋を渡り遊歩道を進み左側の道を上って下ったところに小さな川がありますのでこれを渡り右側になる石段を上ると北条氏照の墓です。
橋を渡り遊歩道を進み左側の道を上って下ったところに小さな川がありますのでこれを渡り右側になる石段を上ると北条氏照の墓です。
北条氏照と家臣の墓
北条氏照は後北条家三代目、氏康の三男で四代目氏政の弟です。甲斐国と峠を挟んで国境となる八王子エリアを管轄していましたが、秀吉による小田原征伐で破れ、氏政とともに切腹しました。後北条氏が没落すると水戸藩に仕官した元家来たちによって江戸初期に墓地がつくられました。今もこの地を訪れる方々によって絶えず花がたむけられています。
八王子城の御城印と百名城スタンプ
■八王子城の御城印
八王子城では御城印を販売しています。
・桑都日本遺産センター 八王子博物館
住所:〒192-0904 東京都八王子市子安町4丁目7−1 サザンスカイタワー八王子 3階
TEL:042-622-8939
開館時間:10:00~19:00
休館日 :不定期
料金は1枚300円です。
■八王子城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・八王子城跡ガイダンス施設
住所:東京都八王子市元八王子町3-2664-2
TEL:042-663-2800
開館時間:午前9時から午後5時まで
休館日:年末年始(12月29日から1月3日まで)
八王子城では御城印を販売しています。
・桑都日本遺産センター 八王子博物館
住所:〒192-0904 東京都八王子市子安町4丁目7−1 サザンスカイタワー八王子 3階
TEL:042-622-8939
開館時間:10:00~19:00
休館日 :不定期
料金は1枚300円です。
■八王子城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・八王子城跡ガイダンス施設
住所:東京都八王子市元八王子町3-2664-2
TEL:042-663-2800
開館時間:午前9時から午後5時まで
休館日:年末年始(12月29日から1月3日まで)
八王子城の入城情報
所在地
住所:東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
TEL:042-663-2800(八王子城跡ガイダンス施設)
TEL:042-663-2800(八王子城跡ガイダンス施設)
開城時間
24時間
休城日
年中無休
料金
無料
製作スタッフ紹介
記事&写真担当
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。