日本一の巨大城郭、川を制した徳川家の居城
江戸城 百人番所
江戸城の見どころとイベント
江戸城には、城の魅力、すべてが詰まっていると言っても過言ではありません。
石垣や土塁、堀や濠でつくられた見事な城郭。巨大な櫓門や櫓や当時の行政庁施設の番所といった建築物。
城内の庭園に城外の大名庭園、そして城下近くの菩提寺。
さらには当時の街づくりを知る貴重な治水や防火、学問施設や国防施設など、
250有余年の安定した治政を行ってきた歴史とその由来を示す地名がいたるところに存在します。
全て江戸城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸に加え、西ノ丸・西ノ丸下・吹上・北ノ丸の周囲16kmにおよぶ区画を本城としてその周辺を内堀で囲んでいます。さらにその周囲に外郭を配して町人町を整備し外堀や川で囲むという前例のない巨大な総構えの城でした。
本丸・二ノ丸・三ノ丸の本城を一つの郭とし、その西側に西ノ丸が別郭として造られている一城別郭構造は熊本城を含むごく一部の城にしか採用されていない珍しいもので、本城は関東の城では小田原城と江戸城にしかない総石垣づくりです。西ノ丸、吹上、外郭は関東では多くの城が採用する土塁構造になっており、半蔵濠から見える吹上土塁の巨大さはまさに圧巻です。
現在の江戸城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸、西の丸下及び北ノ丸の各郭が一般公開されていますが、紅葉山、西ノ丸、吹上は宮内庁の施設や天皇の住まいとなっており、一般には立ち入りできません。
江戸の町は、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれるくらい火事が多く、小さいものを含めると約2,3年に1度は火事が発生したようです。特に、明暦の大火・明和の大火・文化の大火は規模が大きく、その度に、貴重な文化財が延焼してきました。さらに明治から昭和にかけて関東大震災や第二次世界大戦時の東京大空襲にも見舞われ、江戸時代から現存する建築物は極めて少なく、江戸城内郭、外郭の濠や石垣以外では桜田門、田安門、清水門のみとなります。(3つの門とも国の重要文化財に指定されています。)
また関東大震災後、木造再建した建物として富士見櫓や伏見櫓・多聞櫓、桜田巽櫓、同心番所、百人番所、大番所があり、1968年(昭和43年)には二ノ丸跡を小堀遠州の回遊式庭園に復元し、吹上にあった諏訪の茶屋を移築しています。
江戸の街並みは今もその地名に息づき、再開発を通じて現在のたたずまいと融合しながら脈々と引き継がれています。
城の北東には寛永寺、西側には増上寺と徳川将軍家代々の菩提寺、城の南西には、浜離宮や芝離宮といった徳川家や譜代家臣の大久保家の大名庭園もあります。
バス観光や江戸の町を散策するコースも整備され、東京国立博物館、江戸東京博物館には当時を感じさせる貴重な展示物が飾られています。四季折々、日本の政治・経済・文化の中心として発展してきた江戸をぜひ体験してみてください。
石垣や土塁、堀や濠でつくられた見事な城郭。巨大な櫓門や櫓や当時の行政庁施設の番所といった建築物。
城内の庭園に城外の大名庭園、そして城下近くの菩提寺。
さらには当時の街づくりを知る貴重な治水や防火、学問施設や国防施設など、
250有余年の安定した治政を行ってきた歴史とその由来を示す地名がいたるところに存在します。
全て江戸城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸に加え、西ノ丸・西ノ丸下・吹上・北ノ丸の周囲16kmにおよぶ区画を本城としてその周辺を内堀で囲んでいます。さらにその周囲に外郭を配して町人町を整備し外堀や川で囲むという前例のない巨大な総構えの城でした。
本丸・二ノ丸・三ノ丸の本城を一つの郭とし、その西側に西ノ丸が別郭として造られている一城別郭構造は熊本城を含むごく一部の城にしか採用されていない珍しいもので、本城は関東の城では小田原城と江戸城にしかない総石垣づくりです。西ノ丸、吹上、外郭は関東では多くの城が採用する土塁構造になっており、半蔵濠から見える吹上土塁の巨大さはまさに圧巻です。
現在の江戸城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸、西の丸下及び北ノ丸の各郭が一般公開されていますが、紅葉山、西ノ丸、吹上は宮内庁の施設や天皇の住まいとなっており、一般には立ち入りできません。
江戸の町は、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれるくらい火事が多く、小さいものを含めると約2,3年に1度は火事が発生したようです。特に、明暦の大火・明和の大火・文化の大火は規模が大きく、その度に、貴重な文化財が延焼してきました。さらに明治から昭和にかけて関東大震災や第二次世界大戦時の東京大空襲にも見舞われ、江戸時代から現存する建築物は極めて少なく、江戸城内郭、外郭の濠や石垣以外では桜田門、田安門、清水門のみとなります。(3つの門とも国の重要文化財に指定されています。)
また関東大震災後、木造再建した建物として富士見櫓や伏見櫓・多聞櫓、桜田巽櫓、同心番所、百人番所、大番所があり、1968年(昭和43年)には二ノ丸跡を小堀遠州の回遊式庭園に復元し、吹上にあった諏訪の茶屋を移築しています。
江戸の街並みは今もその地名に息づき、再開発を通じて現在のたたずまいと融合しながら脈々と引き継がれています。
城の北東には寛永寺、西側には増上寺と徳川将軍家代々の菩提寺、城の南西には、浜離宮や芝離宮といった徳川家や譜代家臣の大久保家の大名庭園もあります。
バス観光や江戸の町を散策するコースも整備され、東京国立博物館、江戸東京博物館には当時を感じさせる貴重な展示物が飾られています。四季折々、日本の政治・経済・文化の中心として発展してきた江戸をぜひ体験してみてください。
目次
江戸城へのアクセス方法
飛行機で行く場合
羽田空港から首都高速湾岸線、首都高速都心環状線を使って車で約20分
成田空港から東関東自動車道、京葉道路を使って車で約55分
▼レンタカーは以下
羽田空港の場合
・トヨタレンタカー羽田空港第1ビル受付カウンター TEL:03-3744-0100
(第1旅客ターミナルビル1階 北ウィング到着口6番出口横)
・日産レンタカー 羽田空港第2ターミナルカウンター店 TEL:03-6428-9123
・タイムズカー 羽田空港第1ターミナルカウンター店 TEL:03-3745-2822
(第1旅客ターミナルビル1F南ウィング)
成田空港の場合
・トヨタレンタカー 成田空港店 TEL:0476-32-1020
・日産レンタカー 成田空港店 TEL:0476-33-8623
・ニッポンレンタカー成田空港第1ターミナルカウンター TEL:0476-32-6919
・ニッポンレンタカー 成田空港第2ターミナルカウンター TEL:0476-34-9919
・オリックスレンタカー 成田空港店 TEL:0476-40-5885
▼バスで行かれる場合
羽田空港の場合
羽田空港から高速バス東京行は2022年4月現在運休しております。
電車又はモノレールをお使いいただくと便利です。
・京急羽田空港第3ターミナルから京急品川駅まで約13分)、
品川駅でJRに乗り換えて東京駅まで(約7分)
・モノレール羽田空港第1ターミナル駅から浜松町(約26分)、
浜松町駅でJRに乗り換えて東京駅まで(約5分)
成田空港の場合
成田空港からリムジンバスでJR東京駅(約1時間10分)
時刻表は以下です。
https://tyo-nrt.com/timetable/to-tokyo
東京駅から徒歩10分で江戸城大手門前です。
成田空港から東関東自動車道、京葉道路を使って車で約55分
▼レンタカーは以下
羽田空港の場合
・トヨタレンタカー羽田空港第1ビル受付カウンター TEL:03-3744-0100
(第1旅客ターミナルビル1階 北ウィング到着口6番出口横)
・日産レンタカー 羽田空港第2ターミナルカウンター店 TEL:03-6428-9123
・タイムズカー 羽田空港第1ターミナルカウンター店 TEL:03-3745-2822
(第1旅客ターミナルビル1F南ウィング)
成田空港の場合
・トヨタレンタカー 成田空港店 TEL:0476-32-1020
・日産レンタカー 成田空港店 TEL:0476-33-8623
・ニッポンレンタカー成田空港第1ターミナルカウンター TEL:0476-32-6919
・ニッポンレンタカー 成田空港第2ターミナルカウンター TEL:0476-34-9919
・オリックスレンタカー 成田空港店 TEL:0476-40-5885
▼バスで行かれる場合
羽田空港の場合
羽田空港から高速バス東京行は2022年4月現在運休しております。
電車又はモノレールをお使いいただくと便利です。
・京急羽田空港第3ターミナルから京急品川駅まで約13分)、
品川駅でJRに乗り換えて東京駅まで(約7分)
・モノレール羽田空港第1ターミナル駅から浜松町(約26分)、
浜松町駅でJRに乗り換えて東京駅まで(約5分)
成田空港の場合
成田空港からリムジンバスでJR東京駅(約1時間10分)
時刻表は以下です。
https://tyo-nrt.com/timetable/to-tokyo
東京駅から徒歩10分で江戸城大手門前です。
新幹線・電車で行く場合
【新幹線・電車で行く場合】
東海道新幹線:JR東京下車
JR東京駅から徒歩約10分で江戸城大手門に到着。
東海道新幹線:JR東京下車
JR東京駅から徒歩約10分で江戸城大手門に到着。
車で行く場合
羽田空港から首都高速湾岸線、首都高速都心環状線を使って車で約20分
成田空港から東関東自動車道、京葉道路を使って車で約55分
■江戸城跡、カーナビの登録は以下の情報で!
住所:〒100-8111 東京都千代田区千代田1−1
成田空港から東関東自動車道、京葉道路を使って車で約55分
■江戸城跡、カーナビの登録は以下の情報で!
住所:〒100-8111 東京都千代田区千代田1−1
駐車場
北の丸第二駐車場
住所: 東京都千代田区北の丸公園2-1
駐車台数:103台
営業時間:8:30~22:00
住所: 東京都千代田区北の丸公園2-1
駐車台数:103台
営業時間:8:30~22:00
江戸城、最寄りの場所からのアクセス方法
江戸城は、別名「江城」や「千代田城」と呼ばれる、現在の東京都中央区・千代田区・港区にあった輪郭式平城あるいは平山城で、城郭の規模で日本一の大きさを誇りました。江戸城の敷地は、郭周囲約15.7km・東西約5.45km・南北約3.82km・面積約2,082haで、二番目に大きい大阪城の約5倍の大きさです。
江戸城の城郭は日本一巨大です。そのため、すべてを見るには1日は必要です。
最寄りの駅も見るエリアによりJR東京駅、地下鉄東西線「竹橋」「九段下町」地下鉄有楽町線「桜田門」地下鉄半蔵門線「九段下」「半蔵門」と異なります。
そこでまずは、軍事施設的な意味合いが強い内郭のみに絞り、見学可能エリアと天皇の住まいを含めた宮内庁エリアに分けて建造物と見るべきポイントを、その次に外郭を巡る一円の地名を巡りながら紹介いたします。
江戸城の城郭は日本一巨大です。そのため、すべてを見るには1日は必要です。
最寄りの駅も見るエリアによりJR東京駅、地下鉄東西線「竹橋」「九段下町」地下鉄有楽町線「桜田門」地下鉄半蔵門線「九段下」「半蔵門」と異なります。
そこでまずは、軍事施設的な意味合いが強い内郭のみに絞り、見学可能エリアと天皇の住まいを含めた宮内庁エリアに分けて建造物と見るべきポイントを、その次に外郭を巡る一円の地名を巡りながら紹介いたします。
江戸城を知る ― 見学可能エリア(江戸城の本丸、二ノ丸、三ノ丸、北ノ丸、西ノ丸下)
本丸
北から西に平川濠、三日月濠、蓮池濠に囲まれ、二の丸との間に白鳥濠を配した本城西側の一帯が本丸にあたります。
江戸幕府、徳川家の中心地で、大天守を一番北に、南側に本丸大奥、中奥、表と御殿が並んだ空間で日本の政治が行われてきました。
現在は皇居東御苑として一般公開されており、当時の建物は現存していませんが、富士見多門櫓、石室、天守台など当時の遺構が垣間見えます。
(当時の本丸御殿の様子は江戸東京博物館で確認できます)
江戸幕府、徳川家の中心地で、大天守を一番北に、南側に本丸大奥、中奥、表と御殿が並んだ空間で日本の政治が行われてきました。
現在は皇居東御苑として一般公開されており、当時の建物は現存していませんが、富士見多門櫓、石室、天守台など当時の遺構が垣間見えます。
(当時の本丸御殿の様子は江戸東京博物館で確認できます)
二の丸、三の丸
家康が入城した当初は、屋敷地で本丸の帯曲輪的な役割でしたが、慶長期の普請にて中門が置かれ、寛永期の普請にて二ノ丸御殿が建造されて政務所の拡張が行われました。
三の丸
家康入城時は日比谷の入り江があり、城の外郭として船着き場もあったといわれています。何度かの城普請で拡張し、三ノ丸となったあとは大手門が移り、登城してくる大名の家臣控え場となりました。
北の丸
元々は城外で築土神社がありましたが、その後徳川本家筋の屋敷地になり、徳川吉宗の時代から徳川御三卿の田安家(田安徳川家)、清水家(清水徳川家)の屋敷地として活用されるようになりました。現在の田安門から西側が田安家屋敷地、東側が清水家屋敷地となっています。
現在は、北の丸公園として整備され、武道館や科学技術館などの施設があります。
現在は、北の丸公園として整備され、武道館や科学技術館などの施設があります。
西の丸下
三ノ丸と西ノ丸の南側をつなぐように配置された郭で、元々は日比谷の入り江となっていました。当初は荷揚げ場や人寄せ場などがあり、関東上総の押え本多忠勝の屋敷や安房の里見氏の屋敷がありました。郭北にある和田倉門、和田倉濠という地名は当時の倉庫街だった名残と考えられます。郭南西には桜田門と桜田門櫓が現存しています。
宮内庁エリア
本来は北の丸以外、上記本丸、二ノ丸など含め皇居エリアと呼ぶのがふさわしいのかもしれませんが、本記事では一般公開により城の内郭遺構を確認できる、できないを前提にエリアを切っています。その中で、一般公開していないエリアを便宜上宮内庁エリアといい、西の丸、紅葉山、吹上の郭に関して紹介していきます。
西ノ丸
家康入城直後は田圃が広がるのどかな場所だったようですが、1592年(文禄元年)頃から拡張工事を始め、当初は自身や将軍の隠居場としてつくられました。西ノ丸には上道灌濠、下道灌濠など太田道灌当初の城の遺構も残ります。また、坂下門、伏見櫓があり、西の丸下の西の丸大手門に向かう橋から見える鉄門と伏見櫓の姿は江戸城一番のビュースポットにもなっています。
紅葉山
江戸城内郭で一番高い場所にあり、以前は日枝神社がここにありました。開幕前は一般の方々も参拝できたようです。その後は東照宮や各将軍の霊廟が建てられています。
吹上(吹上御苑)
吹上は道灌濠と半蔵濠に囲まれた一帯で、江戸時代には徳川御三家の屋敷があった場所です。明治維新後、一時荒廃が進みましたが、庭園やゴルフ場として整備されました。昭和天皇がゴルフ場を止め、自然をそのまま残すよう希望されたことで、以後森林形成がされていきました。現在では、スダジイ、アカガシ、アズマシライトソウ、カモメギクなど希少な樹木が生い茂る場所となっています。
外郭エリアについて
前述のように、江戸城は内郭と外郭を有した総構えの城でした。
総構えとは、城の中に武家屋敷はもちろん、商人や職人といった町人の住まいをも取り込んだ城郭のことで、江戸城は内郭と外郭を大きな濠や川で仕切られており、総構えの城としては小田原城が有名です。後に小田原城を拠点とする北条氏の開祖で、元祖戦国武将と呼ばれる北条早雲(伊勢宗瑞)は、元々室町幕府政所(現在の財務省)の長を代々務める一族であり、軍事拠点としての城の役目だけでなく、政治、文化、庶民を治めるための城の在り方を熟知した武将でもありました。そのDNAは北条家から徳川家に治政替えが進んでも引き継がれていったようです。総構えは単に軍事的な意味合いだけでなく、江戸の町における行政の貴重な示唆であるかもしれません。今回は、内郭エリアを囲む部分と外郭エリアを囲む部分を、海の接点から順に右周り(時計回り)で紹介していきます。
総構えとは、城の中に武家屋敷はもちろん、商人や職人といった町人の住まいをも取り込んだ城郭のことで、江戸城は内郭と外郭を大きな濠や川で仕切られており、総構えの城としては小田原城が有名です。後に小田原城を拠点とする北条氏の開祖で、元祖戦国武将と呼ばれる北条早雲(伊勢宗瑞)は、元々室町幕府政所(現在の財務省)の長を代々務める一族であり、軍事拠点としての城の役目だけでなく、政治、文化、庶民を治めるための城の在り方を熟知した武将でもありました。そのDNAは北条家から徳川家に治政替えが進んでも引き継がれていったようです。総構えは単に軍事的な意味合いだけでなく、江戸の町における行政の貴重な示唆であるかもしれません。今回は、内郭エリアを囲む部分と外郭エリアを囲む部分を、海の接点から順に右周り(時計回り)で紹介していきます。
内郭を囲むエリア
日比谷門(日比谷入り江)からはじまり
桜田門→半蔵門→田安門→清水門→一橋門→神田橋門→常盤橋門→呉服橋門→鍛冶橋門→数寄屋橋門→日比谷門
となります。
桜田門→半蔵門→田安門→清水門→一橋門→神田橋門→常盤橋門→呉服橋門→鍛冶橋門→数寄屋橋門→日比谷門
となります。
外郭を囲むエリア
浜御殿(旧芝離宮恩賜庭園)→御成門→虎ノ門→溜池→山王権現→赤坂門→四谷門→市ヶ谷門→牛込門→神田上水→小石川門→水道橋→萬世橋→浅草橋→両国橋→大橋→永代橋
2-1が外郭エリアとなり庶民の住まい中心に区画されていたと考えられます。
東京にお住まい、お勤めの方は元々の江戸城の大きさが改めて実感できるのではないでしょうか。
2-1が外郭エリアとなり庶民の住まい中心に区画されていたと考えられます。
東京にお住まい、お勤めの方は元々の江戸城の大きさが改めて実感できるのではないでしょうか。
江戸城を散策する① 2021年秋、本城中心
ここからは、地下鉄有楽町線「桜田門」下車から西ノ丸下→西ノ丸外観→三ノ丸→二ノ丸→本丸→北ノ丸を通りながら、主だった櫓、門、塀や堀・石垣などをご紹介してまいります。
西ノ丸下(桜田濠、桜田門・櫓門)、現在の皇居前広場
地下鉄 桜田門駅3番出口を出ると、すぐ道路沿いに桜田濠と桜田門が見えます。早速を渡って右折すると桜田門正面です。
桜田門
桜田門は高麗門形式で建築された桜田門とその右に配置されている桜田櫓門の2つの建築物の総称です。江戸時代から現存する貴重な建築物の1つで、国の重要文化財に指定されています。江戸時代の桜田門とその櫓門は枡形虎口になっており、門右側に配置された櫓門から鉄砲や弓矢で攻撃できる設計になっています。
櫓門は門に対して右側に配置されるのが一般的で、これは攻めてくる人間が顔や胸の半身を必ず門側にむけさせるための工夫でした。
桜田門は日本史の教科書にも登場していますので知っている人も多いかと思いますが、1860年(安政7年)大老井伊直弼が水戸浪士と薩摩藩士によって暗殺された桜田門外の変があった場所で、当時の井伊家江戸屋敷は桜田門から500mの場所にありました。
櫓門は門に対して右側に配置されるのが一般的で、これは攻めてくる人間が顔や胸の半身を必ず門側にむけさせるための工夫でした。
桜田門は日本史の教科書にも登場していますので知っている人も多いかと思いますが、1860年(安政7年)大老井伊直弼が水戸浪士と薩摩藩士によって暗殺された桜田門外の変があった場所で、当時の井伊家江戸屋敷は桜田門から500mの場所にありました。
西ノ丸(外観)
門をくぐって左に曲がり進み、丸の内警察署祝田町交番を左折して進むと西ノ丸大手門
が見えてきます。
西ノ丸は前述のように、宮内庁エリアで天皇の住まいになっているため通常一般公開されていませんので外側(皇居前広場)からの観ることになります。
が見えてきます。
西ノ丸は前述のように、宮内庁エリアで天皇の住まいになっているため通常一般公開されていませんので外側(皇居前広場)からの観ることになります。
伏見櫓(外観)
江戸城西ノ丸の南西に造られた多門櫓で両隅が二重櫓になっています。多門部分は戦時中、鉄炮や兵糧米を貯蔵する場所になりました。伏見櫓はその名の通り、3代将軍家光の命で京都伏見城から移築したものだとされています。
また、二重橋(鉄橋)の奥に見える伏見櫓の写真は、代表的な江戸城の写真としてもつかわれるくらい有名です。
また、二重橋(鉄橋)の奥に見える伏見櫓の写真は、代表的な江戸城の写真としてもつかわれるくらい有名です。
坂下門(外観)
西之丸下を北にまっすぐ進むと三の丸が見えてきます。左手に二重橋濠、北には蛤濠にかかる橋の先にあるのが坂下門です。
坂下門は櫓門で西ノ丸大奥に近く、西ノ丸通用門として使われていました。
1862年(文久2年)、老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士によって襲われた「坂下門外の変」が有名です。
坂下門は櫓門で西ノ丸大奥に近く、西ノ丸通用門として使われていました。
1862年(文久2年)、老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士によって襲われた「坂下門外の変」が有名です。
三ノ丸
西ノ丸下(皇居前広場)を北に進むと三の丸があります。西ノ丸下北端の西側には前述の坂下門があり、正面には桔梗門、その右隣には国の重要文化財に指定された桜田巽櫓があります。
江戸城桔梗門は、正月祝賀時に行われる一般参賀の入場門で、一般参賀時期以外は通ることができません。門には警察署員が配備されていますのでご注意ください。
江戸城桔梗門は、正月祝賀時に行われる一般参賀の入場門で、一般参賀時期以外は通ることができません。門には警察署員が配備されていますのでご注意ください。
桜田巽櫓と大手門
桜田巽櫓は全国でも最大規模を誇る二重の隅櫓で、破風や石落としが見られる重要な防御施設です。桔梗濠から眺めると手前に桜田巽櫓、奥に桔梗門、その奥に富士見櫓が見えますので、よろしければ写真撮影してみてください。
桔梗濠沿いを真っすぐ北に進むと左手に大手門が見えてきます。(ここで手荷物検査があります)
この門をくぐり発券所で城内見学の券を購入してください。
門を出て左折し、突き当りを右折して進んでいくとと二の丸庭園が右手に、石垣と白鳥濠が左手に見えてきます。
これをこえて更に右折右折と石垣をまわるように進むと平川門に出ます。(ここにも警備の方がいます)
桔梗濠沿いを真っすぐ北に進むと左手に大手門が見えてきます。(ここで手荷物検査があります)
この門をくぐり発券所で城内見学の券を購入してください。
門を出て左折し、突き当りを右折して進んでいくとと二の丸庭園が右手に、石垣と白鳥濠が左手に見えてきます。
これをこえて更に右折右折と石垣をまわるように進むと平川門に出ます。(ここにも警備の方がいます)
平川門
平川門は、太田道灌が築城した当初からあったようで、当時平川濠を越えてすぐに上平川村と下平川村があったことから名づけられたとされています。
江戸時代は江戸城三の丸の正門で、木造の橋を通ると塀で囲まれた門を右に折れて高麗門の第1門、その奥に枡形となった櫓門の第2門が控えるつくりになっています。
平川門を後にして平川濠を見ながら左に折れて進むと二の丸に入ります。
すぐ手前右側には本丸に続く梅林坂、左は二の丸庭園に続く道になっています。
江戸時代は江戸城三の丸の正門で、木造の橋を通ると塀で囲まれた門を右に折れて高麗門の第1門、その奥に枡形となった櫓門の第2門が控えるつくりになっています。
平川門を後にして平川濠を見ながら左に折れて進むと二の丸に入ります。
すぐ手前右側には本丸に続く梅林坂、左は二の丸庭園に続く道になっています。
二ノ丸
江戸城二ノ丸は江戸城普請の2回目、寛永の普請から二の丸御殿を中心とした政治の執務中心地となったようですが、昭和に入り、小堀遠州の回遊式庭園をルーツにした日本庭園が整備され現在の庭園となりました。
二の丸庭園と百人番所
二の丸庭園は池泉回遊式庭園で、江戸時代初期に家康の命を受けた小堀遠州が作庭し、三代将軍家光の命によって改修されました。明治維新以降、荒廃が進みましたが、昭和63年に、江戸幕府九代将軍徳川家重時代の庭園図面を参考に復元されました。
また、当時吹上にあった諏訪の茶屋も二の丸庭園内に移築されています。
春にはツツジやサツキが色づき、初夏にはハナショウブ、秋にはドウタンツツジや紅葉が美しく、非常に趣のある庭園です。
南に下ると右手に白鳥濠と石垣群が見え、さらに進むと右手に同心所、左手には百人番所があります。
また、当時吹上にあった諏訪の茶屋も二の丸庭園内に移築されています。
春にはツツジやサツキが色づき、初夏にはハナショウブ、秋にはドウタンツツジや紅葉が美しく、非常に趣のある庭園です。
南に下ると右手に白鳥濠と石垣群が見え、さらに進むと右手に同心所、左手には百人番所があります。
大番所から本丸
百人番所を左に見ながら中之門跡の石垣を抜けるとすぐ右手に大番所があります。
大番所を背に坂を上り中雀門跡を過ぎれば本丸です。
広大な緑の芝生と一際大きな木が目に飛び込んできます。
そのはるか先に天守台がちらっと見えます。
大番所を背に坂を上り中雀門跡を過ぎれば本丸です。
広大な緑の芝生と一際大きな木が目に飛び込んできます。
そのはるか先に天守台がちらっと見えます。
江戸城 富士見櫓
江戸城 富士見櫓は、中雀門を通って本丸南端に位置する三重の櫓門で、明暦の大火で焼失した大天守の役割を担った重要な建造物です。櫓の上からは、富士山はもとより、秩父連山や筑波山、先は東京湾も一望できました。
大田道灌の詠み歌にある「わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る」はこの場所からではないかといわれています。
大田道灌の詠み歌にある「わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る」はこの場所からではないかといわれています。
江戸城 富士見多門櫓
富士見櫓を後にして本丸庭園内を北に進むと左手に富士見多聞櫓が見えてきます。
一層一階の建築物で食料や弾薬を備蓄する場所でした。江戸時代本丸にはいくつか多門櫓が存在していますが現存するのはこの一棟のみとなっています。
近くには、大奥の調度品や文書類を収蔵したとされる石室もありますので合わせご覧ください。
一層一階の建築物で食料や弾薬を備蓄する場所でした。江戸時代本丸にはいくつか多門櫓が存在していますが現存するのはこの一棟のみとなっています。
近くには、大奥の調度品や文書類を収蔵したとされる石室もありますので合わせご覧ください。
江戸城 天守台
石室を後にし、更に北に向かうと江戸城天守台が見えてきます。
江戸城大天守は、徳川家康、秀忠、家光と三代にわたって建築されましたが、残念ながら現在は天守台を残すのみとなっています。
家康時代の天守は、現在よりも南のちょうど富士見多門櫓あたりにあったようで、現在の天守台がある位置は秀忠時代から天守からとなります。1623年(元和9年)に完成した天守は18m以上あり、家康時代のものよりも大きかったようです。その後、火災で天守が焼失すると三代将軍家光が同じ場所に1638年(寛永15年)に五層五階の天守を建てました。しかし、この天守も1657年の明暦の大火で焼け落ち、以降天守は再建されることはありませんでした。
現在は、寛永期に加賀前田家の普請で造られた巨大花崗岩の石垣だけが跡を残しています。
江戸城大天守は、徳川家康、秀忠、家光と三代にわたって建築されましたが、残念ながら現在は天守台を残すのみとなっています。
家康時代の天守は、現在よりも南のちょうど富士見多門櫓あたりにあったようで、現在の天守台がある位置は秀忠時代から天守からとなります。1623年(元和9年)に完成した天守は18m以上あり、家康時代のものよりも大きかったようです。その後、火災で天守が焼失すると三代将軍家光が同じ場所に1638年(寛永15年)に五層五階の天守を建てました。しかし、この天守も1657年の明暦の大火で焼け落ち、以降天守は再建されることはありませんでした。
現在は、寛永期に加賀前田家の普請で造られた巨大花崗岩の石垣だけが跡を残しています。
江戸城 北桔橋門
天守台を後にして北側に向かうと北桔橋門です。
江戸城 北桔橋門は直接天守に向かう重要な防御施設であり、北の丸と本丸をつなぐ位置にあります。特徴的なのは門そのものよりもその石垣の構造です。
東に平川濠、西に乾濠に挟まれたこの石垣は、下から石垣→土塁→石垣という三層構造になっており、濠の基礎部分を石垣で作りつつも濠の水面から上部分が土塁を固め、さらに土塁の崩落を防ぐために芝生が植えられています。土塁上の石垣は鉢巻石垣と呼ばれ、高さ3mあり、橋そのものもつり橋となっていました。
江戸城 北桔橋門は直接天守に向かう重要な防御施設であり、北の丸と本丸をつなぐ位置にあります。特徴的なのは門そのものよりもその石垣の構造です。
東に平川濠、西に乾濠に挟まれたこの石垣は、下から石垣→土塁→石垣という三層構造になっており、濠の基礎部分を石垣で作りつつも濠の水面から上部分が土塁を固め、さらに土塁の崩落を防ぐために芝生が植えられています。土塁上の石垣は鉢巻石垣と呼ばれ、高さ3mあり、橋そのものもつり橋となっていました。
江戸城 北ノ丸(北の丸公園)
本丸北桔橋門を通り、大きな道路を渡り北に向かうと江戸城北ノ丸です。江戸城北ノ丸は、現在一般の方々が常時利用できる公園として整備されています。
徳川時代の当初より徳川家直系の屋敷地であり、江戸中期から徳川田安家、徳川清水家の屋敷地となりました。
徳川時代の当初より徳川家直系の屋敷地であり、江戸中期から徳川田安家、徳川清水家の屋敷地となりました。
江戸城 清水門
清水門は高麗門と右側に櫓門が連立する枡形門で、徳川御三卿の清水家屋敷区割りにありました。
江戸城 田安門
田安門も清水門同様に、高麗門と右側に櫓門が連立する枡形門で、徳川御三卿の田安家屋敷区割りにありました。門の由来は、平川門と同じく門を出た場所すぐに当時田安大明神(現・築土神社)があったことによります。
田安門の金属細工は非常に精巧で一見の価値がありので、ぜひ見てみてください。
田安門の金属細工は非常に精巧で一見の価値がありので、ぜひ見てみてください。
吹上(吹上御苑)
北桔橋門を左の濠沿いにずっと進むと広大な内堀と吹上の鉢巻土塁が続きます。
その外周は約2Kmと非常に長く、乾門から始まり半蔵門を通り、さらに桜田門まで続きます。
その外周は約2Kmと非常に長く、乾門から始まり半蔵門を通り、さらに桜田門まで続きます。
江戸城、近くの観光地情報
江戸城を巡る観光地はたくさんありますがまずは、今回は、徳川家の大名庭園「旧芝恩賜庭園」と徳川家の菩提寺の1つ東叡山寛永寺をご紹介いたします。
おすすめ観光スポット①|旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園は、江戸幕府の老中大久保忠朝の上屋敷内につくられた、回遊式庭園です。小石川後楽園とともに、現存する最古の大名庭園の一つで、国の「名勝」に指定されています。幕末頃に紀州徳川家の芝御屋敷となり、その後、有栖川宮家の所有となりました。1875年には宮内省が買上げ、翌年に芝離宮となりました。現在は一般公開されています。
回遊式泉水庭園の特徴をよく表した庭園で、特に池を中心とした庭園の区画や数々の名石が用いられた庭造り、石組が非常にすばらしいです。
見どころは、
・蓬莱山を表した中島の石組
・山渓を流れ落ちる枯滝を想像させる石組
・根府川石の飛石が敷かれた山麓
・富士の黒朴石が用いられている泉水の護岸
・中国にある西湖の蘇堤を模した石造り
などです。
回遊式泉水庭園の特徴をよく表した庭園で、特に池を中心とした庭園の区画や数々の名石が用いられた庭造り、石組が非常にすばらしいです。
見どころは、
・蓬莱山を表した中島の石組
・山渓を流れ落ちる枯滝を想像させる石組
・根府川石の飛石が敷かれた山麓
・富士の黒朴石が用いられている泉水の護岸
・中国にある西湖の蘇堤を模した石造り
などです。
江戸城から旧芝離宮恩賜庭園への行き方
江戸城からJR東京駅に出て、JR浜松町駅から徒歩1分ほどです。
おすすめ観光スポット②|浜離宮庭園
浜離宮恩賜庭園は、徳川家の大名庭園です。
非常に広大な庭園なのですべて見るには2時間~3時間ぐらいかかるまもしれません。
元々は徳川家の鴨狩場だった湿地帯を、5代将軍徳川綱吉の兄、徳川綱重が甲府藩の下屋敷とその庭園として造営したのが始まりです。
綱吉に子供がなく、兄綱重の子供の綱豊が綱吉の養嗣子となり6代将軍家宣となったことから、甲府藩は後継が亡くなり幕府直轄領となったことから、徳川家の鴨狩場及び大名庭園として本格的に整備されました。25hという広大な敷地に、山を模した築山や、池を模した回泉があり、池には東京湾の海水が引いてあるため鯉ではなく黒鯛が悠々と泳いでいます。また四季折々の草木とともに鴨の狩猟を行った特別な施設もあり、日本の大名庭園でここにしかない設備となっています。
庭園は石垣で固められ、海を利用した堀で囲まれ、有事の際の軍事施設としての役割も持っていたと考えられます。
庭園の築山に登れば、庭園全体の美しい眺めが見えるとともに取り囲むようにある東京汐留のビル群と、海に浮かぶクルーザーやお台場方面の橋など「江戸」と「東京」が混ざり合った不思議な空間を楽しめます。
非常に広大な庭園なのですべて見るには2時間~3時間ぐらいかかるまもしれません。
元々は徳川家の鴨狩場だった湿地帯を、5代将軍徳川綱吉の兄、徳川綱重が甲府藩の下屋敷とその庭園として造営したのが始まりです。
綱吉に子供がなく、兄綱重の子供の綱豊が綱吉の養嗣子となり6代将軍家宣となったことから、甲府藩は後継が亡くなり幕府直轄領となったことから、徳川家の鴨狩場及び大名庭園として本格的に整備されました。25hという広大な敷地に、山を模した築山や、池を模した回泉があり、池には東京湾の海水が引いてあるため鯉ではなく黒鯛が悠々と泳いでいます。また四季折々の草木とともに鴨の狩猟を行った特別な施設もあり、日本の大名庭園でここにしかない設備となっています。
庭園は石垣で固められ、海を利用した堀で囲まれ、有事の際の軍事施設としての役割も持っていたと考えられます。
庭園の築山に登れば、庭園全体の美しい眺めが見えるとともに取り囲むようにある東京汐留のビル群と、海に浮かぶクルーザーやお台場方面の橋など「江戸」と「東京」が混ざり合った不思議な空間を楽しめます。
江戸城から浜離宮庭園への行き方
江戸城からJR東京駅に出て、JR新橋駅から徒歩20分あるいはJR浜松町駅からも徒歩20分ほどです。
新橋からタクシーを使うと5分程度到着です。
おすすめは、旧芝離宮恩賜庭園とセットでご覧いただくことです。
新橋からタクシーを使うと5分程度到着です。
おすすめは、旧芝離宮恩賜庭園とセットでご覧いただくことです。
おすすめ観光スポット③|増上寺
歴代の江戸幕府将軍を祀る徳川家ご霊廟として有名なお寺です。
元々は真言宗のお寺でしたが、1393年(明徳4年)に第八代住職の酉誉聖聡により浄土宗に改宗し、寺の名前も「増上寺」になりました。
増上寺は徳川家(松平家)の菩提寺であった大恩寺や大樹寺とも縁が深く、江戸幕府が江戸の街を中心に開かれることになりより幕府により庇護されることとなりました。「芝大門」という地名や「大門」という駅名はこの増上寺の門前町の地割りや施設名からきています。
ちなみに、徳川将軍家で増上寺にお墓があるのは、
・2代将軍:秀忠
・6代将軍:家宣
・7代将軍:家継
・9代将軍:家重
・12代将軍:家慶
・14代将軍:家茂
の6名です。
元々は真言宗のお寺でしたが、1393年(明徳4年)に第八代住職の酉誉聖聡により浄土宗に改宗し、寺の名前も「増上寺」になりました。
増上寺は徳川家(松平家)の菩提寺であった大恩寺や大樹寺とも縁が深く、江戸幕府が江戸の街を中心に開かれることになりより幕府により庇護されることとなりました。「芝大門」という地名や「大門」という駅名はこの増上寺の門前町の地割りや施設名からきています。
ちなみに、徳川将軍家で増上寺にお墓があるのは、
・2代将軍:秀忠
・6代将軍:家宣
・7代将軍:家継
・9代将軍:家重
・12代将軍:家慶
・14代将軍:家茂
の6名です。
江戸城から増上寺への行き方
江戸城からJR東京駅に出て、JR浜松町駅からも徒歩10分ほどです。
おすすめは、旧芝離宮恩賜庭園とセットでご覧いただくことです。
おすすめは、旧芝離宮恩賜庭園とセットでご覧いただくことです。
おすすめ観光スポット④|東叡山寛永寺
東叡山寛永寺は、現在の上野にある、天台宗の別格大本山のお寺です。1625年に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するために建てられました。2025年には創建400周年を迎え、長い間歴史の重みを伝えています。
創立者は徳川家光、初代住職は慈眼大師天海大僧正でした。徳川将軍家の先祖代々のお墓があるお寺であり、歴代の徳川将軍15人のうち6人が寛永寺に眠っています。
東叡山主を皇室から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において日本随一の大寺院となりました。しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。また、関東大震災や太平洋戦争の被害を受けましたが、新たに霊園を建て、開かれたお寺として一般の檀家を受け入れるなどしています。
ちなみに、徳川将軍家で増上寺にお墓があるのは、
・4代将軍:家綱
・5代将軍:綱吉
・8代将軍:吉宗
・10代将軍:家治
・11代将軍:家斉
・13代将軍:家定
の6名です。
創立者は徳川家光、初代住職は慈眼大師天海大僧正でした。徳川将軍家の先祖代々のお墓があるお寺であり、歴代の徳川将軍15人のうち6人が寛永寺に眠っています。
東叡山主を皇室から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において日本随一の大寺院となりました。しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。また、関東大震災や太平洋戦争の被害を受けましたが、新たに霊園を建て、開かれたお寺として一般の檀家を受け入れるなどしています。
ちなみに、徳川将軍家で増上寺にお墓があるのは、
・4代将軍:家綱
・5代将軍:綱吉
・8代将軍:吉宗
・10代将軍:家治
・11代将軍:家斉
・13代将軍:家定
の6名です。
江戸城から東叡山寛永寺への行き方
江戸城からJR東京駅に出て、JR鶯谷駅から徒歩10分ほどで東叡山寛永寺の根本中堂につきます。
かつての敷地は民家や上野公園内にあり、そこを巡るように散策します。
根本中堂から上野公園内の建物までは徒歩で約15分程。そこから不忍池の弁天堂までがその見学範囲となります。
かつての敷地は民家や上野公園内にあり、そこを巡るように散策します。
根本中堂から上野公園内の建物までは徒歩で約15分程。そこから不忍池の弁天堂までがその見学範囲となります。
江戸城の御城印と百名城スタンプ
江戸城の御城印
江戸城では、御城印は不定期で販売しています。(2022年4月現在は販売されていません)
江戸城の日本百名城スタンプ
江戸城の日本百名城スタンプは以下で押せます。
・楠公レストハウス(皇居外苑)
住所:〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1 楠公レストハウス
TEL:03-3231-0878 ・和田倉無料休憩所(皇居外苑、和田倉噴水公園内東側)
住所:〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑3−1
・北の丸公園内休憩所(皇居外苑)
住所:〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1
・楠公レストハウス(皇居外苑)
住所:〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑1−1 楠公レストハウス
TEL:03-3231-0878 ・和田倉無料休憩所(皇居外苑、和田倉噴水公園内東側)
住所:〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑3−1
・北の丸公園内休憩所(皇居外苑)
住所:〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1
江戸城の入城情報
所在地
住所:〒100-8111 東京都千代田区千代田1−1
開城時間
9:00~17:00
休城日
年中無休
皇居東御苑は月・金曜、祝日は公開、祝日が月曜の場合は火曜(12月28日~翌1月3日休)
皇居東御苑は月・金曜、祝日は公開、祝日が月曜の場合は火曜(12月28日~翌1月3日休)
料金
無料