城と藩校の原型、室町が息づいた足利の城
足利氏館(鑁阿寺) 山門と太鼓橋
足利氏館(鑁阿寺) 山門と太鼓橋

足利氏館(鑁阿寺)の見どころとイベント

足利氏館(鑁阿寺) 大銀杏
足利氏館(鑁阿寺) 大銀杏
足利学校 裏門
足利学校 裏門
足利学校 収蔵庫前の紅葉と竹林(遠景)
足利学校 収蔵庫前の紅葉と竹林(遠景)
足利氏館(鑁阿寺)と言えば、鎌倉・室町時代から続く武家の居館で江戸時代に続くお城の原型(=方形居宅跡)を確認できる遺構と藩校の先駆けともいえる「足利学校」が有名です。館や学校内には様々な樹木が植えられ、庭園なども配されています。
見頃は秋の紅葉で、境内に植えられた木々が朱色や黄色に色づき、何とも言えない美しさを見せてくれます。
また、足利氏館(鑁阿寺)では年を通じて数多くの行事が催されます。
中でも武家屋敷の歴史をイメージさせるものとして、2月3日に行われる「節分鎧年越」が有名です。節分の夜、200名あまりの坂東武者に扮した足利市民が勇壮な姿で練り歩きます。平安時代から室町時代に活躍した足利武士の姿をイメージできるでしょう。

目次

足利氏館(鑁阿寺)へのアクセス方法

新幹線・電車で行く場合

JR両毛線・足利駅から徒歩10分
足利駅より市生活路線バス「せせらぎ号」で「大日西門」バス下車すぐ
東武鉄道東武伊勢崎線・足利市駅から徒歩15分

車で行く場合

東北自動車道「佐野藤岡IC」から国道50号線を西へ、293号線を北上。

駐車場

太平記館 観光駐車場(無料)
 住所:足利市伊勢町3-6-4
 営業時間:9:00~17:00
 料金:無料
 収容台数:乗用車 40台 大型バス 10台

足利氏館(鑁阿寺)、最寄りの場所からのアクセス方法

足利氏館は栃木県足利市家富町にある居館遺構・平城です。JR両毛線の足利駅から北西方向に歩いて約10分、東武伊勢崎線の足利市駅からも約15分程度のところにあります。また車でアクセスする場合、北関東自動車道の足利インターから約11分です。
現在では足利氏の菩提寺・鑁阿(ばんな)寺が建っているため、「鑁阿寺」の名前でも親しまれています。
今回ご紹介するエリアは、武家の居館エリアである「足利氏館」と付随する一族子弟の学び舎であった「足利学校」エリアを順に紹介していきます。

足利氏館(鑁阿寺)を散策する

方形居宅跡

足利氏館(鑁阿寺) 山門(遠景)
足利氏館(鑁阿寺) 山門(遠景)
足利氏館(鑁阿寺) 外堀
足利氏館(鑁阿寺) 外堀
足利氏館(鑁阿寺) 日本庭園と鐘楼
足利氏館(鑁阿寺) 日本庭園と鐘楼
武家屋敷としての足利氏館最大の特徴が方形居宅跡です。居宅跡は外縁の長さが北辺約223m・南辺約211m・東辺約175m・西辺約206mで、上空から見ると不整台形になっています。各辺の真ん中付近に1ヶ所ずつ門が配置されており、居館として利用されていた頃も門を通って内部に入れるようになっていました。

また足利氏館の周辺で門以外の場所には土塁が築かれ、外側には水堀も設けられています。門を通る際は水堀の上に渡した橋を通ることになるとともに、土塁の上には板塀を立ててまるで砦のようになっていたと考えられています。

足利氏館は各方向に1ヶ所ずつの門・周辺の土塁・水堀から、平安時代後期から鎌倉時代初期の武士の館の典型例を示すものとして評価が高いです。同時に居館全体の面積も約4万㎡にも及び、鎌倉時代当時の地方領主の屋敷でも最大級を誇っています。鎌倉時代に幕府に仕えた御家人の中でも足利氏の力が以下に強大であったかを示している点です。

鑁阿寺本堂

足利氏館(鑁阿寺) 大御堂(本堂)
足利氏館(鑁阿寺) 大御堂(本堂)
足利氏館(鑁阿寺) 多宝塔(遠景)
足利氏館(鑁阿寺) 多宝塔(遠景)
鑁阿寺本堂は、現在寺院として存続している足利氏館跡で最も中枢の建物です。1197(建久7)年に足利氏第2代当主・義兼が出家した際、持仏堂として建立しました。

後に義兼の子・義氏が5間(約9m)四方の建物に改築して本格的な本堂としましたが、1229(安貞3/寛喜元)年に落雷で発生した火災で焼け落ちます。70年経過した1299(永仁7/正安元)年、当時の足利氏当主で尊氏の父である貞氏が再建しました。さらに室町時代の1407~32(応永14~永享4)年にかけて、柱と小屋組みの強化や屋根の本瓦葺への交換という形で大規模な改修が施されました。

建物には再建当時、中国で最新の建築様式だった禅宗様が取り入れられているのが特徴です。禅宗様で鎌倉時代後期のもので現存しているものは全国的にもあまり多くはありません。日本で導入された鎌倉時代後期の特徴を色濃く残している点でも文化財的な価値が高いです。2013(平成25)年には国宝にも指定されています。なお禅宗様が取り入れられた代表的な建築物として、貞氏のひ孫である足利義満が建てた金閣寺が有名です。

鑁阿寺一切経堂

足利氏館(鑁阿寺) 経堂
足利氏館(鑁阿寺) 経堂
足利氏館(鑁阿寺) 御霊廟
足利氏館(鑁阿寺) 御霊廟
足利氏館(鑁阿寺) 不動堂
足利氏館(鑁阿寺) 不動堂
鑁阿寺一切経堂は足利氏館の中心、本堂が建っている場所よりも少し西側にあります。寺伝によれば、鑁阿寺を開いた足利義兼が建立したとされています。現在ある建物は、室町時代の第3代鎌倉公方・足利満兼が1407(応永14)年に再建したものです。

また江戸時代の1708(宝永5)年には屋根の修理も行われています。度重なる改修を経た影響で、鎌倉・室町時代に加えて江戸時代の建築様式まで見られる建物になっています。なお足利氏館内部の建物で、国の重要文化財にも指定されているものです。

建物の名前の通り、経典の一種・一切経2千巻余りが内部に所蔵されています。内部は普段非公開になっているものの、団体見学や鑁阿寺の行事(春の大祭・秋の大祭など)の際に一般向けに公開されます。歴代の足利将軍の坐像がある点も見どころです。

鑁阿寺楼門

足利氏館(鑁阿寺) 西門
足利氏館(鑁阿寺) 西門
足利学校 外堀
足利学校 外堀
足利学校 入徳門
足利学校 入徳門
鑁阿寺楼門は、足利氏館の南門に建っている門です。鑁阿寺の正式な山門であるとともに、足利氏館及び鑁阿寺の象徴ともなっています。

寺伝によれば、鑁阿寺を開いた足利義兼が本堂と合わせて建立したのが始まりです。後に関東の戦乱の最中で焼け落ちてしまいましたが、1564(永禄7)年に室町幕府13代将軍で足利氏第20代当主の義輝が再建しました。

鑁阿寺(足利氏館)内に再建された本堂と同じく禅宗様(唐様)が取り入れられており、台座の上に柱を立てた上で上層には手すりも配されています。室町時代の終わり頃に建てられたこともあり、本堂などに比べると屋根などの形がかなり異なっている点も際立つ点です。なお門の両側には、後の安土桃山時代に彫られた仁王像が安置されています。

足利学校

足利学校 方丈
足利学校 方丈
足利学校 南庭園
足利学校 南庭園
足利学校 孔子廟
足利学校 孔子廟
足利氏館(鑁阿寺)正門(南門)を再度出て濠を越えると、土塁に囲まれたエリアが見えます。これが足利学校です。
足利学校へはちょっと大きな堰ぐらいの堀を左に回り込んで正門(学校門)に向かいます。(ぐるっと回ると徒歩で10分ぐらいかかります。)
足利学校は、足利氏の荘園にあった中世の高等教育機関で当初は足利氏一門とその有力家臣の子弟が、江戸時代には徳川家の庇護のもと足利近郊の人々が郷学を学んでいました。
学校内には、【南庭園】【方丈】【孔子廟】などがあり、当時の教育施設の様子が垣間見えます。

足利氏館(鑁阿寺)の御城印と百名城スタンプ

御城印、百名城スタンプともに鑁阿寺本堂に有ります。
住所:〒326-0803 栃木県足利市家富町2220
電話: 0284-41-2627
営業時間:9時00分~16時00分

足利氏館(鑁阿寺)の入城情報

所在地

住所:栃木県足利市家富町2220
TEL:0284-20-2230(足利市役所文化課)

開城時間

拝観時間:9:00~16:00

休城日

なし

料金

鑁阿寺:境内は入場料無料

製作スタッフ紹介

記事&写真担当

倉之丞
倉之丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。