加藤清正築城、巨大な城郭で戦争を耐えた城
熊本城 大天守と本丸
熊本城の見どころとイベント
熊本城の見どころは、西南戦争にも耐えた強固な軍事施設としての城そのものの実践的機能を体感できるところでしょう。
江戸城跡、大阪城跡に次ぐ日本で三番目に巨大な城郭のすべてを巡るには1日では足りないかもしれません。
現存する櫓群、再建された本丸御殿などの豪華絢爛な建築物、巨大な石垣に囲まれた本丸、実践的な防御施設としての土塁跡、そして城主館跡や大名庭園、熊本城とその周辺には、今もなお江戸時代の雰囲気を持つ街並みが数多く存在します。
熊本城三の丸エリア(杉塘駅)には、旧細川刑部邸といった武家屋敷があり、城から南に30分ほどの場所には、細川家の大名庭園である「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」があります。城内と合わせて散策されることをお勧めいたします。
また熊本城では、四季を通じて様々なイベントが開催されています。中でも、春と秋に開催される「くまもとお城まつり」は有名です。
江戸城跡、大阪城跡に次ぐ日本で三番目に巨大な城郭のすべてを巡るには1日では足りないかもしれません。
現存する櫓群、再建された本丸御殿などの豪華絢爛な建築物、巨大な石垣に囲まれた本丸、実践的な防御施設としての土塁跡、そして城主館跡や大名庭園、熊本城とその周辺には、今もなお江戸時代の雰囲気を持つ街並みが数多く存在します。
熊本城三の丸エリア(杉塘駅)には、旧細川刑部邸といった武家屋敷があり、城から南に30分ほどの場所には、細川家の大名庭園である「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」があります。城内と合わせて散策されることをお勧めいたします。
また熊本城では、四季を通じて様々なイベントが開催されています。中でも、春と秋に開催される「くまもとお城まつり」は有名です。
目次
熊本城へのアクセス方法
飛行機で行く場合
阿蘇熊本空港から県道36号を使って車で約40分
▼レンタカーは以下
・トヨタレンタカー熊本空港店 TEL:096-232-0100
・日産レンタカー 熊本空港店 TEL:096-287-1355
・ニッポンレンタカー 熊本空港営業所 TEL:096-289-2353
・オリックスレンタカー TEL:096-232-4795
▼バスで行かれる場合
阿蘇熊本空港からリムジンバス熊本空港線「西部車庫(熊本市)行」で「通町筋」下車(約40分)
徒歩5分で熊本城に到着
▼レンタカーは以下
・トヨタレンタカー熊本空港店 TEL:096-232-0100
・日産レンタカー 熊本空港店 TEL:096-287-1355
・ニッポンレンタカー 熊本空港営業所 TEL:096-289-2353
・オリックスレンタカー TEL:096-232-4795
▼バスで行かれる場合
阿蘇熊本空港からリムジンバス熊本空港線「西部車庫(熊本市)行」で「通町筋」下車(約40分)
徒歩5分で熊本城に到着
新幹線・電車で行く場合
九州新幹線:JR熊本駅下車
・タクシーで約10分
・徒歩で約30分
・バスで熊本駅前から熊本桜町バスターミナル(約10分)
・熊本桜町バスターミナルから徒歩で7分
・タクシーで約10分
・徒歩で約30分
・バスで熊本駅前から熊本桜町バスターミナル(約10分)
・熊本桜町バスターミナルから徒歩で7分
車で行く場合
阿蘇熊本空港から県道36号を使って車で約40分
■熊本城、カーナビの登録は以下の情報で!
住所:熊本県熊本市中央区本丸1−1
■熊本城、カーナビの登録は以下の情報で!
住所:熊本県熊本市中央区本丸1−1
駐車場
熊本城周辺の駐車場で一般車が入れるのは熊本城前本丸パーキング、二の丸駐車場、 城彩苑 駐車場の3つです。
■熊本城前本丸パーキング
住所:〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸3
■熊本城二の丸駐車場
住所:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸2 熊本城二の丸駐車場
■城彩苑 駐車場
住所:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸1−1−1
TEL:096-288-5600
■熊本城前本丸パーキング
住所:〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸3
■熊本城二の丸駐車場
住所:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸2 熊本城二の丸駐車場
■城彩苑 駐車場
住所:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸1−1−1
TEL:096-288-5600
熊本城、最寄りの場所からのアクセス方法
熊本城は、熊本県熊本市にある梯郭式平山城で、城の歴史や江戸時代の番付などから、日本三大名城の1つに上げられています。
熊本城へはJR九州本線 熊本駅から路面電車で「市役所前」まで約20分程度、あるいはバスで桜町バスセンター前まで行き、花畑公園を通りながら進みます。登城口となる御幸橋までは、どちらからも徒歩約5分で到着します。
熊本城は非常に広く、かつ室町時代から幕末、西南戦争に至るまでの歴史的な遺構が残る、非常に巡り甲斐のある城郭です。
城廻を楽しんでいただくために、まずは代表的な曲輪(くるわ)の紹介いたします。また、重要文化財13棟と復元された建造物がどの曲輪に存在するのかを記載しておきます。
熊本城へはJR九州本線 熊本駅から路面電車で「市役所前」まで約20分程度、あるいはバスで桜町バスセンター前まで行き、花畑公園を通りながら進みます。登城口となる御幸橋までは、どちらからも徒歩約5分で到着します。
熊本城は非常に広く、かつ室町時代から幕末、西南戦争に至るまでの歴史的な遺構が残る、非常に巡り甲斐のある城郭です。
城廻を楽しんでいただくために、まずは代表的な曲輪(くるわ)の紹介いたします。また、重要文化財13棟と復元された建造物がどの曲輪に存在するのかを記載しておきます。
熊本城を散策する
熊本城の代表的な曲輪
1.本城
本丸周辺及び西出丸・奉行丸を指します。熊本城の城廻の中心地です。
本城内は南北に通る行幸坂を境に、東側が本丸周辺、西側が西出丸・奉行丸に分かれます。
本丸周辺は、南から竹の丸、飯田丸、東竹の丸、本丸、数寄屋丸、平左衛門丸となります。
西側は南に奉行丸、北に西出丸となります。
2.二の丸、三の丸
本城の西側から北側を囲むようにあるのが二の丸、更に西側を囲むのが三の丸となります。
3.千葉城跡、隈本城跡(古城)
千葉城跡は室町時代に築かれた一番古い城跡で、本城の東側、現在のNHK熊本支局や県立美術館分館のある一帯にあたり、千葉城橋を西側に渡った周辺に千葉城公園があります。
隈本城跡は、現在の新町、古城町周辺にあたり、ところどころの街並みにその面影を残すのみとなっています。
本丸周辺及び西出丸・奉行丸を指します。熊本城の城廻の中心地です。
本城内は南北に通る行幸坂を境に、東側が本丸周辺、西側が西出丸・奉行丸に分かれます。
本丸周辺は、南から竹の丸、飯田丸、東竹の丸、本丸、数寄屋丸、平左衛門丸となります。
西側は南に奉行丸、北に西出丸となります。
2.二の丸、三の丸
本城の西側から北側を囲むようにあるのが二の丸、更に西側を囲むのが三の丸となります。
3.千葉城跡、隈本城跡(古城)
千葉城跡は室町時代に築かれた一番古い城跡で、本城の東側、現在のNHK熊本支局や県立美術館分館のある一帯にあたり、千葉城橋を西側に渡った周辺に千葉城公園があります。
隈本城跡は、現在の新町、古城町周辺にあたり、ところどころの街並みにその面影を残すのみとなっています。
熊本城の重要文化財13棟
有名な宇土櫓を始めに、監物櫓、平櫓、五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓の各櫓、長塀、不開門の13棟が、重要文化財に指定されています。
復元、移築した建造物とその位置
1.外観復元
大天守、小天守の天守閣は西南戦争直前に焼失しましたが、1960年(昭和35年)に外観を当時の図面通りに復元されました。構造は鉄筋コンクリート造りとして、内部を熊本城の歴史資料館として再建しました。また、2016年の熊本地震で被災しましたが、2021年3月に修繕が終わり、2021年6月28日から再び一般公開が始まりました。
2.木造復元
本丸御殿をはじめ、飯田丸五階櫓、数寄屋丸五階櫓、竹の丸五階櫓、裏御門五階櫓、戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、西出丸の塀、奉行丸の塀、南大手門が木造復元されています。
3.移築建築物
旧細川刑部邸が1993年(平成5年)、三の丸に移築されています。
重要文化財、復元建造物を本城、二の丸、三の丸にそれぞれ分けてみると
1.本城
竹の丸 :長塀(重文)、竹の丸五重櫓
飯田丸 :飯田丸五階櫓
東竹の丸 :五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓(8棟すべて重文)
本丸 :平櫓(重文)、不開門(重文)、大天守、小天守、本丸御殿、裏御門五重櫓
数寄屋丸 :数寄屋丸五階櫓
平左衛門丸:宇土櫓(重文)
奉行丸 :未申櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、南大手門
西出丸 :戌亥櫓、西出丸の塀
2.二の丸 :監物櫓(重文)
3.三の丸 :旧細川刑部邸(県指定の重要文化財)
となります。
※重文とは国の重要文化財を指しています。
上記基礎情報を元に、熊本城の天守群、櫓群、門、その他建築物と石垣や堀といった建造物の他、城下の街並みや大名庭園についてご紹介していきます。
大天守、小天守の天守閣は西南戦争直前に焼失しましたが、1960年(昭和35年)に外観を当時の図面通りに復元されました。構造は鉄筋コンクリート造りとして、内部を熊本城の歴史資料館として再建しました。また、2016年の熊本地震で被災しましたが、2021年3月に修繕が終わり、2021年6月28日から再び一般公開が始まりました。
2.木造復元
本丸御殿をはじめ、飯田丸五階櫓、数寄屋丸五階櫓、竹の丸五階櫓、裏御門五階櫓、戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、西出丸の塀、奉行丸の塀、南大手門が木造復元されています。
3.移築建築物
旧細川刑部邸が1993年(平成5年)、三の丸に移築されています。
重要文化財、復元建造物を本城、二の丸、三の丸にそれぞれ分けてみると
1.本城
竹の丸 :長塀(重文)、竹の丸五重櫓
飯田丸 :飯田丸五階櫓
東竹の丸 :五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓(8棟すべて重文)
本丸 :平櫓(重文)、不開門(重文)、大天守、小天守、本丸御殿、裏御門五重櫓
数寄屋丸 :数寄屋丸五階櫓
平左衛門丸:宇土櫓(重文)
奉行丸 :未申櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、南大手門
西出丸 :戌亥櫓、西出丸の塀
2.二の丸 :監物櫓(重文)
3.三の丸 :旧細川刑部邸(県指定の重要文化財)
となります。
※重文とは国の重要文化財を指しています。
上記基礎情報を元に、熊本城の天守群、櫓群、門、その他建築物と石垣や堀といった建造物の他、城下の街並みや大名庭園についてご紹介していきます。
熊本城へいざ出発!
震災後の2022年現在の登城ルートは南ルートと北ルートの2つのみです。
今回は、南ルート(御幸坂から竹の丸→東竹の丸→本丸→平左衛門丸→西出丸→奉行丸→城彩苑)
を通りながら、主だった櫓、門、塀や堀などをご紹介してまいります。
今回は、南ルート(御幸坂から竹の丸→東竹の丸→本丸→平左衛門丸→西出丸→奉行丸→城彩苑)
を通りながら、主だった櫓、門、塀や堀などをご紹介してまいります。
竹の丸(長塀、備前堀、馬具櫓、櫨方門(はぜかたもん))
御幸橋が登城の入り口です。付近には、虎に腰を掛けた加藤清正公の像がお出迎えしてくれます。
まず目につくのは長塀です。全長約242mの黒い下板に、白い漆喰が坪井川沿いにずっと続いていく様は圧巻です。
御幸橋を渡り、御幸坂を少し上ると、右手に馬具櫓と櫨方門が見えてきます。
当時は、馬具櫓下に下馬橋が設けられており、やってきた敵兵を馬具櫓と櫨方門の虎口で、弓矢と銃で狙い撃ちするように設計されていたようです。(2022年現在は震災により復旧工事中です)
正面の備前堀は熊本城に唯一現存する内堀で、春になると御幸坂沿いの桜が美しく咲き誇ります。
まず目につくのは長塀です。全長約242mの黒い下板に、白い漆喰が坪井川沿いにずっと続いていく様は圧巻です。
御幸橋を渡り、御幸坂を少し上ると、右手に馬具櫓と櫨方門が見えてきます。
当時は、馬具櫓下に下馬橋が設けられており、やってきた敵兵を馬具櫓と櫨方門の虎口で、弓矢と銃で狙い撃ちするように設計されていたようです。(2022年現在は震災により復旧工事中です)
正面の備前堀は熊本城に唯一現存する内堀で、春になると御幸坂沿いの桜が美しく咲き誇ります。
東竹の丸
北ルート入口から入ると地上5mに設置された登城ルートに登っていきます。
震災前は、田子櫓、七間櫓と続く東竹の丸の櫓群を左手に見ながら上っていくのですが、現在は修繕中で残念ながら一部櫓群はみることができません。しかし、ほどなくすると竹の丸や東竹の丸から本丸御殿や数寄屋丸櫓、そして美しく聳える天守が見えてきます。これらを見ながらさらに進むと、東竹の丸の櫓群があります。
震災前は、田子櫓、七間櫓と続く東竹の丸の櫓群を左手に見ながら上っていくのですが、現在は修繕中で残念ながら一部櫓群はみることができません。しかし、ほどなくすると竹の丸や東竹の丸から本丸御殿や数寄屋丸櫓、そして美しく聳える天守が見えてきます。これらを見ながらさらに進むと、東竹の丸の櫓群があります。
本丸
東竹の丸の櫓群を下に見ながら階段を登ると、本丸御殿や本丸の高石垣が見えてきます。
本丸御殿の地下通路をくぐると本丸に入ります。
本丸には本丸御殿と大天守、小天守があります。
本丸御殿の地下通路をくぐると本丸に入ります。
本丸には本丸御殿と大天守、小天守があります。
熊本城の大天守と小天守
熊本城は、大天守と小天守がつながって1つの天守閣となる構造で、連結式望楼型天守閣です。
大天守、小天守ともに外観復元で豊臣方武将の城に代表される黒板に、漆喰の白が映える威厳ある外見が特徴的です。
大天守は3重6階地下1階の天守で、天守台から少し張り出す「張出造(はりだしづくり)」となっており、張り出し部分には石落としが設けられていました。現在、観光出口となっている付櫓は、元は階段櫓でそのまま多聞櫓が本丸御殿へ繋がっており、外を通らず、御殿から天守へつながるように設計されていました。
小天守は2重3階の構造で、その石垣が大天守にやや被っていて傾斜が急なのが特徴的です。また、天守台には武者返しと呼ばれる60cmほどの鉄串が刺してあり、西南戦争でも誰一人としてこの武者返しを超えられませんでした。
内部は現在熊本城の資料展示スペースとなっており、穴蔵(地下一階)には石垣や井戸の遺構が、一階・二階には加藤、細川時代の歴史が、三階・四階には近代、現代を通じて熊本城復元の様子が、そして最上階の六階は展望エリアとなっており、復興を続ける熊本城の様子や熊本市街が一望できるスペースとなっています。
大天守、小天守ともに外観復元で豊臣方武将の城に代表される黒板に、漆喰の白が映える威厳ある外見が特徴的です。
大天守は3重6階地下1階の天守で、天守台から少し張り出す「張出造(はりだしづくり)」となっており、張り出し部分には石落としが設けられていました。現在、観光出口となっている付櫓は、元は階段櫓でそのまま多聞櫓が本丸御殿へ繋がっており、外を通らず、御殿から天守へつながるように設計されていました。
小天守は2重3階の構造で、その石垣が大天守にやや被っていて傾斜が急なのが特徴的です。また、天守台には武者返しと呼ばれる60cmほどの鉄串が刺してあり、西南戦争でも誰一人としてこの武者返しを超えられませんでした。
内部は現在熊本城の資料展示スペースとなっており、穴蔵(地下一階)には石垣や井戸の遺構が、一階・二階には加藤、細川時代の歴史が、三階・四階には近代、現代を通じて熊本城復元の様子が、そして最上階の六階は展望エリアとなっており、復興を続ける熊本城の様子や熊本市街が一望できるスペースとなっています。
熊本城本丸御殿
熊本城の本丸御殿は1610年(慶長15年)頃、加藤清正により建設され、後に藩主となる細川忠利が増築と改修を行って完成しました。御殿全体が石垣の上に乗った構造で、地下に穴蔵のような空間があります。御殿の入り口を入ると、まさに見たことのない異空間がそこに広がっています。当時の絵図や古写真、古文書を元に当時の趣をできうる限り忠実に再現した建築物は、往時の雰囲気を体験できる貴重な空間となっています。特に「昭君之間」など、当時の豪華絢爛さが垣間見える空間はまさに必見です。
平左衛門丸と数寄屋丸
大天守見学後、右折して下ると右手が平左衛門丸、左が数寄屋丸になります。
数寄屋丸からは数寄屋丸櫓が見え、平左衛門丸からは大天守と小天守、そして宇土櫓が見えます。
数寄屋丸からは数寄屋丸櫓が見え、平左衛門丸からは大天守と小天守、そして宇土櫓が見えます。
宇土櫓(国指定の重要文化財)
宇土櫓は、大天守、小天守に続く3つ目の天守とも呼ばれています。
三重五階地下一階の櫓は大天守に継ぐ高さで、日本最大の櫓です。
宇土櫓の由来は諸説存在し、大きくは2つに分かれます。
1つは犬猿の仲だった肥後南半国の領主 小西行長の居城、宇土城の天守を移築したというもの。もう1つは元々櫓として新規建築したというものです。
前者は、1777年に著された「肥後国誌」に通説化されたとするもので、その櫓名がその根拠とされてきました。後者は、宇土櫓に対する最も古い記述、昭和の櫓修繕時に移築の痕跡がなかった点、そして他の櫓と違い、最上階に回廊の造りがある点から建設当初、元々天守として建築されたのではないかと主張しています。
熊本大震災前は内部の観覧も可能でしたが、震災後は外観のみの見学となっています。
この後、宇土櫓を後ろにして頬当御門を出て西出丸・奉行丸へ向かいます。
因みに、この頬当御門が正面玄関にあたります。
三重五階地下一階の櫓は大天守に継ぐ高さで、日本最大の櫓です。
宇土櫓の由来は諸説存在し、大きくは2つに分かれます。
1つは犬猿の仲だった肥後南半国の領主 小西行長の居城、宇土城の天守を移築したというもの。もう1つは元々櫓として新規建築したというものです。
前者は、1777年に著された「肥後国誌」に通説化されたとするもので、その櫓名がその根拠とされてきました。後者は、宇土櫓に対する最も古い記述、昭和の櫓修繕時に移築の痕跡がなかった点、そして他の櫓と違い、最上階に回廊の造りがある点から建設当初、元々天守として建築されたのではないかと主張しています。
熊本大震災前は内部の観覧も可能でしたが、震災後は外観のみの見学となっています。
この後、宇土櫓を後ろにして頬当御門を出て西出丸・奉行丸へ向かいます。
因みに、この頬当御門が正面玄関にあたります。
西出丸・奉行丸
頬当御門を出ると、すぐ正面に西出丸の塀が見えます。その右端にある櫓が戌亥櫓です。
(2022年現在は、修繕中です)
奉行丸は元々西出丸と一体であり、西出丸同様に、東側の本城と西側から敵を挟撃するための防衛施設でしたが、江戸時代はその南側に奉行所が置かれたことからこの名がつきました。奉行丸は未申櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、南大手門と木造復元建築物が見学できます。(2022年現在は、残念ながら内部の見学はできません。)
(2022年現在は、修繕中です)
奉行丸は元々西出丸と一体であり、西出丸同様に、東側の本城と西側から敵を挟撃するための防衛施設でしたが、江戸時代はその南側に奉行所が置かれたことからこの名がつきました。奉行丸は未申櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、南大手門と木造復元建築物が見学できます。(2022年現在は、残念ながら内部の見学はできません。)
二の丸と加藤神社
二の丸は、西出丸・奉行丸の西側に位置して、内堀で仕切られています。
現在はそのほとんどが公園施設になり熊本市民の憩いの場となっています。
北側に進むと二の丸御門跡更に右折して東側に進むと北大手櫓門跡や加藤神社があります。
現在はそのほとんどが公園施設になり熊本市民の憩いの場となっています。
北側に進むと二の丸御門跡更に右折して東側に進むと北大手櫓門跡や加藤神社があります。
桜の馬場「城彩苑」
二の丸広場から南に進むと駐車場、その周りを土塁を見ながら下ると城彩苑です。
城彩苑は熊本城の観光基地で駐車場があるので車でお越しの方は便利でしょう。
また苑内には、熊本城を学んだり、乗馬を体験したり、侍やお姫様に変身したり、芝居を見ることができる施設「熊本城ミュージアムわくわく座」をはじめ、お食事やお土産選びが楽しめる「桜の小路」などがあります。
城彩苑は熊本城の観光基地で駐車場があるので車でお越しの方は便利でしょう。
また苑内には、熊本城を学んだり、乗馬を体験したり、侍やお姫様に変身したり、芝居を見ることができる施設「熊本城ミュージアムわくわく座」をはじめ、お食事やお土産選びが楽しめる「桜の小路」などがあります。
熊本城の武家屋敷や大名庭園
旧細川刑部邸
細川刑部邸は、全国でも有数の上級武家屋敷であり、昭和60年(1985年)に熊本県指定重要文化財に指定されています。
細川家三代忠利公の弟にあたる細川刑部少輔興孝公が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。興孝公は、延宝6年(1678年)に子飼(現在の熊本市東子飼町)にお茶屋をつくり、その後下屋敷としました。明治4年(1872年)に、熊本城に鎮西鎮台が置かれ、城内の武家屋敷は城外に移るようにとの命により下屋敷を本邸としました。そして、平成5年(1993年)に熊本城三の丸に移築復元されました。
同邸は建坪300坪(990平方メートル)あります。長屋門を入ると唐破風の大きな玄関があり、ここは重臣などの訪問や当主だけが使ったとされています。また、入側造りの表御書院は、江戸時代の大名邸宅の造りを残しています。他にも、二階建ての「春松閣」や一階の「銀之間」、別棟には書斎の付いた茶室「観川亭」、御宝蔵、台所があります。
※現在、旧細川刑部邸は長期休館中です。
細川家三代忠利公の弟にあたる細川刑部少輔興孝公が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。興孝公は、延宝6年(1678年)に子飼(現在の熊本市東子飼町)にお茶屋をつくり、その後下屋敷としました。明治4年(1872年)に、熊本城に鎮西鎮台が置かれ、城内の武家屋敷は城外に移るようにとの命により下屋敷を本邸としました。そして、平成5年(1993年)に熊本城三の丸に移築復元されました。
同邸は建坪300坪(990平方メートル)あります。長屋門を入ると唐破風の大きな玄関があり、ここは重臣などの訪問や当主だけが使ったとされています。また、入側造りの表御書院は、江戸時代の大名邸宅の造りを残しています。他にも、二階建ての「春松閣」や一階の「銀之間」、別棟には書斎の付いた茶室「観川亭」、御宝蔵、台所があります。
※現在、旧細川刑部邸は長期休館中です。
水前寺成趣園
水前寺成趣園は、桃山式の回遊式庭園で1929年に国の名勝・史跡に指定されています。
江戸初期の寛永9年(1632年)に、初代熊本藩主 細川忠利が水前寺に御茶屋を建てたのが始まりで、三代目藩主 綱利の時に庭園が完成しました。中国の詩人 陶淵明の「帰去来辞」の詩に由来して、成趣園と名づけられました。
園内は阿蘇の伏流水が湧き出る池を中心に、築山や浮石、松などが配され、能楽殿や京都御所内から移築された古今伝授の間も建っています。古今伝授の間から見る風景が最も良いといわれており、四季折々の自然と美しい庭園を眺めながらのんびり散策を楽しめます。
また、縁結びの木として有名な「梛」の巨木があり、その脇には縁結びのベンチが設置され、最近では「恋の成就園」としても注目を集めています。
江戸初期の寛永9年(1632年)に、初代熊本藩主 細川忠利が水前寺に御茶屋を建てたのが始まりで、三代目藩主 綱利の時に庭園が完成しました。中国の詩人 陶淵明の「帰去来辞」の詩に由来して、成趣園と名づけられました。
園内は阿蘇の伏流水が湧き出る池を中心に、築山や浮石、松などが配され、能楽殿や京都御所内から移築された古今伝授の間も建っています。古今伝授の間から見る風景が最も良いといわれており、四季折々の自然と美しい庭園を眺めながらのんびり散策を楽しめます。
また、縁結びの木として有名な「梛」の巨木があり、その脇には縁結びのベンチが設置され、最近では「恋の成就園」としても注目を集めています。
熊本城、近くの観光地情報
熊本城下町やおすすめ観光スポットについてご紹介します。
おすすめ観光スポット①|熊本城稲荷神社
熊本城稲荷神社は、加藤清正が1588年に肥後に入国するにあたり勧請した神社で、約400年の歴史があります。熊本城の守り神として多くの人々に親しまれており、「白髭さん」とも呼ばれています。加藤清正は、神使である2匹の狐(霊狐)を連れてきて、居城となる熊本城の守り神として奉ったとされています。この2匹の狐を従えるのが、神社のご祭神、生活守護神の白髭大明神になります。
毎年2月の最初の午の日には、最大のお祭り「初午大祭」が開催されます。この日に参拝することを「福詣り」と呼び、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛などを願う多くの参拝者が訪れます。また、安産祈願や初宮参りなどとしても有名です。
毎年2月の最初の午の日には、最大のお祭り「初午大祭」が開催されます。この日に参拝することを「福詣り」と呼び、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛などを願う多くの参拝者が訪れます。また、安産祈願や初宮参りなどとしても有名です。
おすすめ観光スポット②|熊本城ミュージアム わくわく座
熊本城ミュージアムわくわく座は、熊本城の魅力を様々な面から発信しており、見て聞いて知るだけなく、体験することができるエンターテインメント空間です。
館内には、「熊本城VR映像」や「熊本城被災・復旧プロジェクションマッピング」、クイズコーナーなど、楽しみながら熊本城について学ぶことができます。それだけでなく、戦国武将や十二単など時代衣装に着替えて写真撮影ができるスポットや、衣装のまま熊本城内を散策できるプランもあります。子どもはもちろん、家族みんなで楽しめるミュージアムとなっています。熊本城の歴史や文化について発見しつつ、当時の人たちになりきって素敵な思い出を作ってみてください。
館内には、「熊本城VR映像」や「熊本城被災・復旧プロジェクションマッピング」、クイズコーナーなど、楽しみながら熊本城について学ぶことができます。それだけでなく、戦国武将や十二単など時代衣装に着替えて写真撮影ができるスポットや、衣装のまま熊本城内を散策できるプランもあります。子どもはもちろん、家族みんなで楽しめるミュージアムとなっています。熊本城の歴史や文化について発見しつつ、当時の人たちになりきって素敵な思い出を作ってみてください。
熊本城から熊本城稲荷神社、熊本城ミュージアムわくわく座への行き方
熊本城稲荷神社は、本丸の東側にあります。
熊本城ミュージアムわくわく座は、本丸への入口西側の駐車場と隣接してある桜の馬場「城彩苑」内にあります。
熊本城ミュージアムわくわく座は、本丸への入口西側の駐車場と隣接してある桜の馬場「城彩苑」内にあります。
熊本城の御城印と百名城スタンプ
熊本城の御城印
熊本城では御城印が以下2か所で購入可能です。
熊本城二の丸お休み処
住所:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸2−3 駐車場内
TEL:096-321-6150
熊本城本丸お休み処
住所:〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸1−1 熊本城有料区域内 本丸御殿1階入口
TEL:096-327-8927
料金はいずれも300円
熊本城二の丸お休み処
住所:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸2−3 駐車場内
TEL:096-321-6150
熊本城本丸お休み処
住所:〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸1−1 熊本城有料区域内 本丸御殿1階入口
TEL:096-327-8927
料金はいずれも300円
熊本城の日本百名城スタンプ
熊本城の入城情報
所在地
住所:熊本県熊本市中央区本丸1−1
開城時間
9:00~16:30
休城日
12月29日~12月31日
料金
大人:500円
中学生:200円
小学生:200円
中学生:200円
小学生:200円
製作スタッフ紹介
記事&写真担当
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。