三大名園、後楽園と黒塗りの天守が絶景の城
岡山城_天守閣(後楽園の河岸から見た)07
岡山城_天守閣(後楽園の河岸から見た)07

岡山城の見どころとイベント

岡山城_後楽園_延養亭04
岡山城_後楽園_延養亭04
岡山城_不明門と天守閣(内堀南側から)03
岡山城_不明門と天守閣(内堀南側から)03
岡山城_六十一雁木上門と天守閣05
岡山城_六十一雁木上門と天守閣05
岡山城の見どころは、なんといっても日本三大名園「後楽園」とそこから眺める荘厳な黒塗りの天守閣でしょう。
岡山藩を治めた池田家は、外様ですが家康の血を次ぐ系譜として親藩扱いされました。そのため城全体は親藩譜代同様に白壁のお城でしたが天守閣だけ秀吉の重臣「宇喜多秀家」が建築した望楼型黒塗板の天守をそのまま活用していました。
城郭が残るのはほぼ本丸のみですが、天守閣の他、不明門、六十一雁木上門、廊下門そして月見櫓があり、本丸からすぐに後楽園へ抜らけれることからお殿様になった気分で城見学できます。
岡山城では「烏城灯源郷」というライトアップイベントを春、夏、秋の年3回開催しています。 さらに10月には「秋の桃太郎まつり」、1月には「烏城初夢まつり」、3月には「烏城ひなまつり」というイベントが開催されます。
また、お隣の後楽園では毎年9月に名月鑑賞会が行われ、ライトアップされた後楽園とお城の美しいライトアップが鑑賞できますのでぜひ足を運んでみてください。

目次

岡山城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

岡山桃太郎空港から県道72号線と国道53号線を使って車で約40分

▼レンタカーは以下
・トヨタレンタリース岡山 岡山空港店 TEL:086-294-2100
・日産レンタカー 岡山空港店 TEL:086-294-1723
・ニッポンレンタカー 岡山空港 営業所 TEL:086-294-3919
・オリックスレンタカー 岡山空港店 TEL:086-294-5543

▼バスで行かれる場合
 岡山桃太郎空港からリムジンバスでJR岡山駅(約30分)です。
 岡山駅からタクシーだと約10分で烏城公園駐車場に到着です。天守閣までは歩いて5分ほど。

電車・バスで行く場合

九州・広島方面からも京都・大阪方面からも
山陽新幹線:JR岡山駅下車、そこから
・バスだと、四御神線 四御神(県庁前 経由)に乗り、「表町入口」下車で徒歩10分ほどで到着
・路面電車だと、岡山電軌東山線 各停 東山行に乗り、「城下駅」下車で徒歩7分ほどで到着
・タクシーだと、約10分で烏城公園駐車場到着。
・徒歩だと岡山駅から東に真っすぐ30分ほどで岡山城天守閣に到着です。

車で行く場合

岡山桃太郎空港から県道72号線と国道53号線を使って車で約40分
■岡山城、カーナビへの登録は以下の情報で!
住所:岡山県岡山市北区丸の内2丁目2−3(烏城公園駐車場)

駐車場

城周辺に行かれる方は、烏城公園駐車場、 岡山後楽園駐車場の2ヵ所が便利です。
■烏城公園駐車場
住所:〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目2−3
TEL:086-226-4809
■岡山後楽園駐車場
住所:〒703-8257 岡山県岡山市北区後楽園1−1−2
TEL:086-272-1148

岡山城、最寄りの場所からのアクセス方法

岡山城への登城は、JR岡山駅から、バスや路面電車を使うと便利です。
どちらも城に一番近い降車場まで10分以内でそこから徒歩で天守閣まで7~10分ほどと非常に便利です。
徒歩で目指す場合は駅から約30分ほどで天守閣ですが、お城あるあるで緩やかですがずっと上りの坂道です。
今回は烏城公園駐車場(市営駐車場)のすぐ隣、内下馬橋を渡って本丸下之段、中の段、本段と上り、廊下橋をくぐって後楽園へ向かうルートでご紹介いたします。

岡山城を散策する

岡山城_案内図
岡山城_案内図
今回は、西手櫓から石山門跡に上り、烏城公園駐車場(市営駐車場)のすぐ隣、目安橋を渡って本丸下之段、中之段、本段と上り、廊下橋をくぐって後楽園へ向かうルートでご紹介いたします。

西の丸西手櫓(国指定重要文化財)

岡山城_西の丸西手櫓03
岡山城_西の丸西手櫓03
岡山城内に二つ現存する建造物のうちの1つが西の丸西手櫓です。
初代藩主池田忠継が幼かったため政務を代行していた姫路藩主兄の利隆が、二の丸の西側の防備に設けた隅櫓で、現在は、烏城公園の外、旧内山下小学校に建っています。

石山門跡

岡山城_石山門跡01
岡山城_石山門跡01
西手櫓を後にして右右と回り込むように坂を上ると石山門跡です。
石山門は、元々この地にあった丘陵の名前が由来で、三の丸と西の丸を結ぶ門でした。
明治維新も取り壊しを免れ、天守とともに国宝に指定されていましたが、太平洋戦争で焼失し、現在は石垣のみが残ります。所々やや黒ずんだ石垣が残るのは戦争時の空襲の跡です。

内堀と全景

岡山城_本丸全体俯瞰04
岡山城_本丸全体俯瞰04
岡山城_本丸全体俯瞰(内堀南側)05
岡山城_本丸全体俯瞰(内堀南側)05
岡山城_全体俯瞰(本丸内堀西側)03
岡山城_全体俯瞰(本丸内堀西側)03
石山門から交差点を渡って進むと岡山城駐車場です。駐車場は本丸西側の内堀の外側にあり、旧二の丸にあたります。本丸内堀は西側と南側にあり、ここからは岡山城本丸の全景がきれいに見えます。

目安橋

岡山城_目安橋02
岡山城_目安橋02
内堀南側にある目安橋から本丸に入ります。目安橋は別名内下馬橋ともいい、本丸内にはここで馬から降りて入ったためこの名がついたとされます。

大手門跡(一の門と内下馬門)

岡山城_大手門跡01
岡山城_大手門跡01
岡山城_大手門跡の巨石02
岡山城_大手門跡の巨石02
岡山城_大手門跡(渡櫓門)01
岡山城_大手門跡(渡櫓門)01
内下馬橋から城内本丸に入ると、桝形虎口になった大手門がありました。現在は、巨大な石垣が並びます。当時は高麗門形式の一の門の左に大手を守る内下馬門という櫓門がありました。内下馬門は岡山城内最大の櫓門で、現在も迫力ある石垣が当時の様子を感じさせてくれます。

本丸中之段の石垣

岡山城_本丸中段と本段の石垣(櫓門跡付近)03
岡山城_本丸中段と本段の石垣(櫓門跡付近)03
岡山城_本丸中段石垣(本丸下段西側から見た)02
岡山城_本丸中段石垣(本丸下段西側から見た)02
岡山城_本丸中段、南西部の石垣03
岡山城_本丸中段、南西部の石垣03
大手門跡を右手に回り込むと正面に本丸中之段石垣が現れます。
中之段石垣の西側には、宇喜多秀家時代のやや丸みを帯びた野面積みの石垣と小萱川秀秋以降につくられた石垣が並んであります。

本丸下之段

岡山城_供腰掛02
岡山城_供腰掛02
中之段石垣を左に見ながらまっすぐ進むと下之段の曲輪です。
ここには「春屋(つきや)」とよばれる建造物の基礎となった石列や土間や釜戸の跡が見つかっています。奥の方には「供腰掛(とものこしかけ)」という休屋があります。城歩きで疲れたらここで休憩してください。

鉄門跡

岡山城_鉄門跡02
岡山城_鉄門跡02
下之段から石段を登って進むと鉄門跡です。
鉄門(くろがねもん)は、1階部分が木部の全体を鉄板でおおった堅固でいかめしい造の門であったことから名づけられたといわれています。本丸中之段にあった表書院正面へ通じる切妻造りの櫓門でした。現在は櫓門を支えた石垣のみが残ります。

大納戸櫓跡

岡山城_大納戸櫓跡の石垣02
岡山城_大納戸櫓跡の石垣02
岡山城_大納戸櫓跡01
岡山城_大納戸櫓跡01
鉄門跡を過ぎるとすぐ正面が大納戸櫓跡です。
大納戸櫓(おおなんどやぐら)は、沼城(亀山城)の天守を小早川秀秋が移築したものと言われ、関ケ原の戦い以前では日本で最も高い石垣にそびえていました。
三重四階建、黒塗りの下見板に白漆喰の長方形の櫓で、南と北側が長く、長さ20mもありました。現在は礎石しかありませんが、その大きさから当時の櫓の大きさが伝わってきます。

不明門

岡山城_不明門と石垣03
岡山城_不明門と石垣03
岡山城_不明門08
岡山城_不明門08
岡山城_不明門(本丸中段から見た)03
岡山城_不明門(本丸中段から見た)03
不明門は本段に上る正門で、本段には藩主が日常生活を営む御殿があり、入ることができるのは、特に限られた身分の人だけでした。そのため、閉じられていることが多く「不明門」=「あかずのもん」となったといわれています。門内すぐには階段があり、門上に上屋を架けた櫓門の型式で、軍備を高めています。実物は、他の多くの建築物同様に明治維新の際に取り壊されましたが、昭和41年に鉄筋コンクリート造りで再現されました。

本丸本段と御殿跡

岡山城_本丸本段02
岡山城_本丸本段02
岡山城_六十一雁木上門04
岡山城_六十一雁木上門04
岡山城_本丸本段の石垣01
岡山城_本丸本段の石垣01
本丸本段は天守閣と六十一雁木上門があり、天守閣広場として整備されています。樹木が生い茂る夏から秋にかけては黒とゴールドの美しい天守と樹木の色彩が見事に調和してより一層美しい姿を見せてくれます。

六十一雁木上門

岡山城_六十一雁木上門07
岡山城_六十一雁木上門07
六十一雁木上門は昭和41年(1966)に木造復元されました。門の下には旭川から水を供給する水の手と呼ばれる給水施設があり、当時は石段から下ると大きな櫓門があったとされています。(下に櫓門があったから上門なのですね。)
門の名前の「六十一」は当初の階段数にちなんだものだと思われます。
木々の中ならふっと現れる白い壁と黒門、石垣の美しいコントラストを見逃さないでくださいね。

天守閣

岡山城_本丸本段と天守閣06
岡山城_本丸本段と天守閣06
岡山城_天守閣02
岡山城_天守閣02
岡山城_天守閣12
岡山城_天守閣12
安土桃山時代に秀吉の家臣、宇喜多秀家により建築した三層六階建ての望楼形天守閣です。
黒とゴールをところどころにあしらったその姿は非常に美しく、別名「烏城」の元になっています。
現在の天守は昭和41年に鉄筋コンクリートで復元されたもので、天守内には城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。
岡山城_天守閣(本丸中段から見た)03
岡山城_天守閣(本丸中段から見た)03
岡山城_天守閣(本丸下段、廊下門付近)04
岡山城_天守閣(本丸下段、廊下門付近)04
岡山城_月見橋から見た天守閣02
岡山城_月見橋から見た天守閣02

本丸中之段

岡山城_数寄方櫓跡の紅葉03
岡山城_数寄方櫓跡の紅葉03
岡山城_宇喜多秀家時代の石垣
岡山城_宇喜多秀家時代の石垣
本丸中の段には、月見櫓や廊下門などの建造物の他、大納戸櫓跡、小納戸櫓跡といった櫓跡と岡山藩の行政機能をになっていた表書院跡があり、旧宇喜多秀家時代の石垣発掘現場もあります。

月見櫓(国指定重要文化財)

岡山城_月見櫓07
岡山城_月見櫓07
岡山城_月見櫓(本丸下段西側から見た)03
岡山城_月見櫓(本丸下段西側から見た)03
岡山城_月見櫓(本丸下段、廊下門付近)02
岡山城_月見櫓(本丸下段、廊下門付近)02
月見櫓は、城内に二棟しかない現存建築物で国の重要文化財にも指定されています。
二代目藩主の池田忠雄が岡山城の増改築に際し本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓で、外側から見ると破風と狭間のある防御施設ですが、城内側は廻り縁側を設けて開け放した佇まいで、日常の生活にも使用できるような構造となっています。

廊下門

岡山城_廊下門12
岡山城_廊下門12
岡山城_廊下門01
岡山城_廊下門01
岡山城_廊下門09
岡山城_廊下門09
昭和41(1966)にコンクリートで再現されたもので、本丸の北側から中の段に上るための裏(搦手)門です。
本段の張出部から中の段にかけて上屋が渡され、その下に門扉を設けた櫓門の型式をとっています。上屋は、本段御殿に住む藩主が中の段の表書院に降りる道筋に当たり、この門の名の起こりとなりました。廊下門は、他の城でも城内の庭園への散策路となることが多く、最近の研究では江戸時代当初の門の脇には小さな隠し扉があったことがわかっています。(お殿様のお忍びルートだったのでしょうか?)

後楽園を散策する

岡山城_月見橋と旭川02
岡山城_月見橋と旭川02
岡山城_後楽園_延養亭09
岡山城_後楽園_延養亭09
岡山城_後楽園_沢の池01
岡山城_後楽園_沢の池01
廊下門をくぐり、月見橋を渡って後楽園に向かいます。
後楽園は、岡山藩4代藩主池田綱政が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園で、その後増改修を繰り返し現在の美しい庭園となりました。
綱政の時代には、藩主の居間延養亭[えんようてい]が、子の継政[つぐまさ]は能舞台周辺の建物を大きく改築し、園内中央に唯心山を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を掘らせました。
更に孫の治政[はるまさ]は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々をやめさせ、一時的に芝生の庭園となりますが、その後すぐに園内東の大半は田畑へと戻ります。現在の井田[せいでん]はその名残です。
延養亭は藩主が後楽園を訪れた時にくつろぐ場所です。延養亭からは園内の景勝が一望できます。 延養亭の西に連なる建物は「翠庭」や能舞台です。現在の能舞台周辺の栄唱の間、墨流しの間などの原形ができています。
江戸時代の後楽園には、許しがあれば領民も入ることができました。能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたり、継政以後の藩主たちは参勤交代で岡山を留守にする間は、日を決めて庭を見せています。

廉池軒

岡山城_後楽園_廉池軒01
岡山城_後楽園_廉池軒01
橋をくぐってチケット売り場を通るとすぐ右手に池と休屋が見えます。
これが「廉池軒(れんちけん)」です。
廉池軒は、空襲の焼失を免れた貴重な建物で、建物の目の前に池があり、唯心山、沢の池もきれいに見えることから綱政が最も好んで利用したとされています。

花葉の池

岡山城_後楽園_花葉の池01
岡山城_後楽園_花葉の池01
廉池軒を後にして竹林をぐるり右手に回り込むと「花葉の池」です。
紅葉の時期には、赤く色づいた紅葉が湖面に映り、何とも言えない静寂の空間が演出されます。

栄昌の間と能舞台

岡山城_後楽園_能舞台・栄昌の間10
岡山城_後楽園_能舞台・栄昌の間10
花葉の池をぐるっと進むと栄昌の間です。
栄昌の間は能を鑑賞するために作られた見所で、能舞台の正面にあります。
岡山大空襲によって焼失したものの能舞台とともに継政時代の絵図をもとに再建されました。
両方ともに普段は一般効果されておらず、外側からしか見えません。

延養亭

岡山城_後楽園_延養亭11
岡山城_後楽園_延養亭11
栄昌の間の隣が、延養亭です。
1686年(貞享3年)に綱政よって建てられました。 
完成後は藩主の静養や賓客の接待、藩校の儒学者の講義場として使われ、  
1884年(明治17年)に後楽園とともに、岡山県の所有となりました。 
岡山大空襲時に焼失しましたが、正徳絵図に基づき復元されました。
後楽園の中では、この延養亭からの眺望が最もすばらしく、沢の池、唯心山や借景として操山中腹の安住院多宝塔(岡山県指定重要文化財)などが一望でき、園内の景勝の殆どがここに集まるよう作られていています。 

沢の池

岡山城_後楽園_沢の池、島茶屋07
岡山城_後楽園_沢の池、島茶屋07
園内最大の池で、中の島には島茶屋があります。

唯心山

岡山城_後楽園_唯心山02
岡山城_後楽園_唯心山02
唯心山は継政が作らせた約6メートルの築山で、庭を上から眺めたり、歩いて楽しむ要素が備わってきました。山頂からは延養亭、芝生の広がり、沢の池の全貌、井田など園内の景観を眺めることができます。

旭川と岡山城天守

岡山城_後楽園と天守閣03
岡山城_後楽園と天守閣03
岡山城_天守閣(後楽園の河岸から見た)12
岡山城_天守閣(後楽園の河岸から見た)12
岡山城_天守閣(後楽園の河岸から見た)15
岡山城_天守閣(後楽園の河岸から見た)15
岡山城本丸から橋を渡って右手に進むと後楽園南門のチケット売りがですが、そこにはよらずさらに進むと川沿いに出れる場所があります。実はここからの岡山城天守がきれいでお勧めです。
時期と時間によっては、緩やかな旭川の水面に天守閣が浮かび上がり何とも幻想的です。

岡山城の御城印と百名城スタンプ

岡山城の御城印

岡山城では御城印を販売しています。
・岡山城天守閣内1階御みやげ処
住所:〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3−1
TEL:086-225-2096
料金は1枚300円です。
なお、買い忘れた人のために以下にて郵送での販売も行っています。

岡山城の日本百名城スタンプ

日本百名城スタンプは以下で押せます。
・烏城公園駐車場 管理事務所(岡山市北区丸の内2丁目3)※2022年8月現在
住所:〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目2−3
TEL:086-226-4809

岡山城の入城情報岡山城の入城情報

所在地

住所:〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3−1
TEL:086-225-2096

開城時間

城内は年中無休
■岡山城天守閣
9:00~17:30(入場は17:00まで)
※イベント開催時は変更する場合があります。
■岡山後楽園
7:30~18:00
※イベント開催時は変更する場合があります。

休城日

城内は年中無休
■岡山城天守閣
12月29日~31日 
※現在、改修工事のため休館中(令和4年11月リニューアルオープン)
■岡山後楽園
なし

料金

■岡山城天守閣
常設展:大人320円、小・中学生130円
団体(20名以上):大人260円、小中学生110円
■岡山後楽園
大人:410円、高校生以下:無料、65歳以上のシニア:140円

製作スタッフ紹介

記事&写真担当

歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。