天守と川、そしてローカル鉄道が見事な風景
大洲城 天守と鉄橋
大洲城 天守と鉄橋

大洲城の見どころとイベント

大洲城 天守と高欄櫓
大洲城 天守と高欄櫓
大洲城 肱川対岸から見た天守と台所櫓
大洲城 肱川対岸から見た天守と台所櫓
大洲城 天守
大洲城 天守
愛媛県大洲市は、四国の西、愛媛県の西南に位置する人口4万人の小さなまちですが、天守の復元は、市民による寄付が大きな力となって行われました。
元々本丸は、天守以外の2つの櫓は現存の櫓で、その他二の丸、三の丸に現存の櫓が存在し、それぞれ国の重要指定文化財になっています。
黒下板に白漆喰が映えるモダンな色合いの建物は非常に美しく、周囲の山々や肱川、そして鉄橋と相まってここにしかない不思議な空間を生み出しています。
城下町の随所に江戸と明治・大正・昭和の情緒や風情が残っているため、撮影ロケ地としてもよく選ばれています。

目次

大洲城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

松山空港から松山自動車を使って車で約50分

▼レンタカーは以下
・トヨタレンタカー松山空港 TEL:089-972-6100
・日産レンタカー 松山空港店 TEL:089-974-2341
・ニッポンレンタカー 松山空港営業所 TEL:089-973-6811
・オリックスレンタカー 松山空港カウンター TEL:089-905-6388

▼バスで行かれる場合
 松山空港からリムジンバスでJR大洲駅(JR八幡浜駅行で途中下車、約1時間10分)
 タクシーで約6分
 徒歩で約25分です。
 バスで「市内循環バス(ぐるりんおおず)左回り 市立大洲病院行」で大洲城前下車

新幹線・電車で行く場合

山陽新幹線:JR岡山駅下車
JR岡山駅からJR伊予大洲駅(特急を使って約3時間30分分)

車で行く場合

松山空港から松山自動車を使って車で約50分
■大洲城、カーナビへの登録は以下の情報で!
住所:愛媛県大洲市大洲903

駐車場

大洲城専門の駐車場はありませんが以下2つの駐車場が便利です。
■大洲市民会館駐車場
住所:〒795-0012 愛媛県大洲市大洲877−2
■観光第一駐車場
住所:〒795-0012 愛媛県大洲市大洲635−9

大洲城、最寄りの場所からのアクセス方法

■大洲城のご紹介
大洲城は、四国の伊予国喜多郡大洲(現在の愛媛県大洲市大洲)の、肱川(ひじかわ)のほとりにある小高い丘陵に築かれた平山城です。背後に流れる肱川を天然の堀として利用し、南側に向けて二の丸、三の丸を配し、内堀と外堀をめぐらせた梯郭式(ていかくしき)の城郭です。
大洲城へは、JR四国予讃線伊予大洲駅から南へ徒歩25分です。タクシーでは、約5分で到着します。
車だと、松山自動車道「大洲IC」(約10分)、大洲自動車道「大洲北只IC」(約5分)から大洲城を目指します。駐車場は市民会館駐車場(有料)または観光第一駐車場(無料)を利用することができます。

伊予大洲駅から歩くと、途中、肱川を渡ります。この橋の上から眺める大洲城も雰囲気があります。周辺の景観も素朴な木造家屋が多く残っていますので、情緒、風情を感じながら城に向かうことができます。
今回は、三の丸南隅櫓、苧綿櫓、そして二の丸の入り口となる櫓下御門跡を通て本丸に向かいながら各建物を紹介していきます。

大洲城を散策する

三の丸南隅櫓(みなみすみやぐら)

三の丸の外堀南隅に位置し、現存する大洲城の櫓の中で最も古い櫓です。
櫓は2重2階建てで、外壁には袴腰形の石落しが3ヵ所設けられています。
内部は防弾の効果を高めるため、壁を厚くした部分に竹筒が埋め込まれた太鼓壁です。外部からは見えないように壁土で覆った隠狭間(かくしざま)が施され、火縄銃で攻撃するための仕掛けとなっていました。
創建年代は不明ですが、1722年(享保7年)の火災で焼失し、44年後の1766年(明和3年)に再建されました。要所には栂(つが)を使い、柱には松を使用していますが、藩の財政難を反映して切組に役人工匠を使うなど、費用を切り詰めて再建されたことが棟札から読み取れます。
1965年(昭和40年)に解体修理が行われました。

苧綿櫓(おわたやぐら)

二の丸の東隅にある独立した櫓で、肱川に面し、川の上下流を鉤(かぎ)の手(=ほぼ直角)に眺められる要所として、城の東の防御を担っていました。
創建年代は不明ですが、1843年(天保14年)に再建されています。外隅に袴腰形の石落としを備え、その一部が格子窓になっているのが特徴です。
洪水の被害をたびたび受けたため腐朽が著しく、1959円(昭和34年)には解体修理が行われ、洪水に備え石垣が2.6mかさ上げされました。

高欄櫓(こんらんやぐら)

大洲城 天守と高欄櫓(遠景)
大洲城 天守と高欄櫓(遠景)
大洲城の中で唯一2階に縁と高欄のある櫓で、城内が一望のもとに眺められます。
本丸の入口に位置し、北側の天守とは渡櫓(わたりやぐら)でつながれています。
現在の高欄櫓は、台所櫓と同様に1857年(安政4年)の大地震で大破しましたが、3年後の1860年(万延元年)に再建されました。この時外壁が下見板張から漆喰に変更されたと考えられます。上層の屋根には軒唐破風、西南隅には袴腰形石落としが設けられていますが、最大の特徴は、窓の外へ出るための廻縁(まわりえん)に擬宝珠(ぎほうじゅ)の付いた高欄があることです。廻縁は、普通は天守に付けられるもので現存例は極めて少なく、他には熊本城の宇土櫓(うとやぐら)だけです。櫓にこのような高欄を設置する例はきわめて珍しく、天守に次ぐ高い格式の櫓と考えられます。1970年(昭和45年)に台所櫓とともに解体修理を行いました。

天守

大洲城 二の丸から見た天守と櫓群
大洲城 二の丸から見た天守と櫓群
大洲城 天守
天守は本丸の南東隅に建てられ、北に高欄櫓、西に台所櫓を配置し、渡り櫓で連結した複合連結式層塔型4重4階建てです。中央付近には心柱が通され、それに伴い2階の床には吹き抜けが造られていました。外観は、下見板張りで、比翼千鳥破風、千鳥破風、向唐破風で屋根を飾り、窓には連子窓が多用され、2階には華頭窓のみが並べられていました。
明治に入り城内の建物は天守と一部の櫓を除き、取り壊されてしまいました。その時残っていた天守も1888年(明治21年)老朽化により、解体されてしまいました。
その後、大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、市民による寄付等によって2004年(平成16年)に復元されました。
戦後復元された木造天守としての4重4階は日本初で、19.15mの高さは日本一となります。本来なら建築基準法で認められない規模のため、当時は愛媛県に建設計画を承認してもらえませんでした。しかし2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外となり、往年の複合連結式による天守群の復元にいたりました。天守の復元にあたっては、明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に、当時の姿を正確に復元されました。このように復元に必要な多くの資料が残っていることは大変稀なことで、大洲城の天守の復元は、まさに地元住民の想いと、史料研究の集大成と言えます。

台所櫓(だいどころやぐら)

大洲城 本丸の天守と台所櫓
大洲城 本丸の天守と台所櫓
江戸前期に創建されたと考えられますが、1857年(安政4年)の大地震で大破し、2年後の1859年(安政6年)に再建されました。台所の機能を備えた珍しい建物で、籠城時には城兵のための台所として使用されるため、1階の3分の1が土間となっており、煙出し用の格子窓なども取り付けられています。2階北側の千鳥破風(ちどりはふ)には、中央に花頭窓(かとうまど)が設けられています。1970年(昭和45年)に高欄櫓とともに解体修理を行いました。

大洲城の御城印と百名城スタンプ

大洲城の御城印

大洲城では御城印が以下2ヵ所で購入可能です。
大洲城本丸にある受付横のグッズコーナー
住所: 〒795-0012 愛媛県大洲市大洲903
料金は300円

大洲城の日本続百名城スタンプ

大洲城の日本続百名城スタンプは以下で押せます。
大洲城本丸にある受付
住所:〒795-0012  愛媛県大洲市大洲903

大洲城の入城情報

所在地

住所:愛媛県大洲市大洲903

開城時間

9:00~17:00(入城は16:30まで)

休城日

年中無休

料金

大人880円
小人330円
5歳以下の児童で親同伴は無料

製作スタッフ紹介

記事

倉之丞
倉之丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。