明治維新の息吹感じる石垣と志士達の城下町
萩城 天守台石垣と指月山
萩城 天守台石垣と指月山

萩城の見どころとイベント

萩城 二の丸(銃眼)土塀の南側部分
萩城 二の丸(銃眼)土塀の南側部分
萩城 堀内鍵曲の土塀(遠景)
萩城 堀内鍵曲の土塀(遠景)
萩城 高杉晋作生誕の地(遠景)
萩城 高杉晋作生誕の地(遠景)
萩の見どころは、なんといっても明治維新の息吹を感じる城郭と城下町そのもの。
この地を訪れれば、その始まりが幕末ではなく江戸時代初期にあったことがわかります。
城郭の強固な防衛設備だけでなく、政治、経済、文化のいずれにも徳川の世にいつか対抗していこうとする強い意志が感じられます。
北に指月山と日本海、東を松本川、西と南を橋本川という天然の堀に守られた地形に北から南に向かって詰丸、本丸、二の丸、三の丸を配し、町人や商人街の間に明治維新の志士たちの屋敷跡が並びます。武家屋敷や当時の町筋がきれいに保存され、城下町を散策するだけで江戸時代にタイムスリップしそうです。
城郭には当時の建物はほとんどないのですが、二の丸と三の丸に毛利家重臣の屋敷跡や門、土塀が現存し、本丸にはきれいな石垣、内堀、庭園や茶室跡が残ります。また、二の丸東側からはすぐ砂浜に出ることが来る、これもこの城の大きな特徴の1つです。
城下町には当時の雰囲気をそのまま残す町筋がいくつも残り、明治維新の志士たちが過ごした生家が今も残ります。
菊屋横丁、伊勢屋横丁などが有名で、白壁の海鼠塀が美しく並んだ街並みを漫ろ歩けば、当時の町の活気や維新の息吹が聞こえてきそうです。
萩の名産品の一つ萩焼は400年以上の歴史を持ち、毎年5月初旬に5日間に渡って萩焼祭りが行われ、市内外の窯元が集結して大即売会が行われます。
夏には花火大会、秋には大名行列など四季を通じてイベントが絶え間なく行われ、世界遺産に登録されたこともあり、近代日本経済的な発展を支えた高炉の歴史を伝える施設も整備されました。
萩が歴史の表舞台に登場するのは明治時代ですが、その礎となる江戸の城下町づくりをぜひ体験してみてはいかがでしょうか。

目次

萩城へのアクセス方法

飛行機で行く場合

山口宇部空港より車・タクシーで約1時間15分
▼レンタカーは以下
トヨタレンタカー山口宇部空港店 TEL:0836-37-2030
ニッポンレンタカー 宇部空港前 営業所 TEL:0836-21-9119
タイムズカー 宇部空港店 TEL:0836-37-3377
オリックスレンタカー 山口宇部空港カウンター TEL:0836-39-9366
日産レンタカー 山口宇部空港店 TEL:0836-36-1123

山口宇部空港よりバス ・電車で約1時間40分
・リムジンバス 新山口駅北口行(乗車時間 30分)
・新山口からバス、東萩駅行で「明倫館」下車(乗車時間 1時間)、そこから徒歩で25分

電車で行く場合

山陽新幹線「新山口駅」下車
新山口からバス、東萩駅行で「明倫館」下車(乗車時間 1時間)、そこから徒歩で25分

車で行く場合

国道490号と県道32号経由で約55分

駐車場

・指月第一駐車場
住所:〒758-0057 山口県萩市堀内2区83−25

・萩博物館前 駐車場
住所:〒758-0057 山口県萩市堀内355番地
TEL:0838-25-6447

萩城、最寄りの場所からのアクセス方法

今回は、2つの場所を拠点に散策を行います。1つは指月第一駐車場から出発するルート。もう1つは萩博物館前の駐車場から出発するルートです。
まずは萩城二の丸中堀付近にある指月第一駐車場からスタートします。(駐車場の目の前には、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があります。)
中堀付近の南門虎口石垣から本丸へ。
次に、本丸内堀、天守台石垣を見ながら、旧梨羽家庭園や花江茶亭、志都岐山神社を巡りながら東園へ
東園から潮入門、門から砂浜に出て銃眼土塀を見ながら二の丸東側を巡り旧厚狭毛利家萩屋敷長屋に戻ります。
次に萩博物館前の駐車場に移動して、三の丸武家屋敷、志士生家跡を巡りながら町筋を巡りるルートで紹介いたします。

萩城を散策する

二の丸南門(中堀跡)

萩城 二の丸南門虎口(近景)
萩城 二の丸南門虎口(近景)
指月第一駐車場に車を置き、北に向かうとすぐに中堀跡の南門の虎口石垣が見えてきます。
入口すぐに毛利輝元像があるので比較的わかりやすいと思います。
現在の駐車場付近は当時三の丸と二の丸を繋ぐ内堀でこの南門虎口を抜けて城内に入っていたと考えられます。
折れ曲がるような石垣をぬって進むと現在は萩焼の窯元があります。

本丸石垣と内堀

萩城 本丸
萩城 本丸
萩城 本丸南西側の石垣(本丸内部から見た)
萩城 本丸南西側の石垣(本丸内部から見た)
萩城 本丸南東側の石垣
萩城 本丸南東側の石垣
窯元を越えると本丸石垣が見えてきます。
石垣は指月山周辺の火山岩を活用してつくられ、天守台は美しい扇の勾配です。
本丸内部の石垣のところどころは雁木(石垣の階段)になっていて、土塀の銃眼から敵を攻撃しやすいように造られています。
内堀は、本丸の南側、東西側を囲むようにめぐらされ、堀と石垣の隅には矢倉がありました。

天守台と天守

萩城 天守台石垣と内堀
萩城 天守台石垣と内堀
萩城 天守と続く石段と石垣(遠景)
萩城 天守と続く石段と石垣(遠景)
大手門から左に進むと天守台の石垣が見えてきます。天守台に登ると広々とした空間があり周囲の堀や本丸内部の様子が見渡せます。
しかし、安土桃山時代から江戸初期に建築された多くの近代城郭が持つような城下を見渡すような場所には無く、城主(藩主)の支配力を誇示するという役割は期待できなかったと思われます。
逆に、天守台の上に建てられた高さ21メートルもある天守の外壁は白漆喰の総塗籠で、窓は銅板を貼った突き上げ戸を備えていたことからも鉄炮の攻撃を想定した防衛施設を意識していたことが伺えます。
天守で言うと松本城のようにまさに巨大な攻撃施設としての櫓として建造されたのだろうと考えられます。
萩城 天守台
萩城 天守台
萩城 西側の内堀
萩城 西側の内堀

旧梨羽家庭園

萩城 旧梨羽家庭園入口
萩城 旧梨羽家庭園入口
天守台を後にして、本丸内部を散策します。
天守から低木の林にできた小径を北に向かうと旧梨羽家庭園と花江茶亭にでます。
左手が旧梨羽家庭園、右手が花江茶亭です。
旧梨羽家庭園は毛利家の重臣・梨羽家の別邸茶室とその庭園で、もともと上津江(現在の萩市玉江浦)の梨羽氏別邸にあったものを明治時代に移築したものです。(因みに、梨羽氏屋敷は堀内の旧梨羽家書院と考えられます。)
座敷構えを呈した格式のある茶室で、木造桟瓦葺入母屋造り、花月楼形式を今に伝える名茶室といわれています。

花江茶亭

萩城 花江茶亭(遠景)
萩城 花江茶亭(遠景)
花江茶亭は、旧三の丸にあった13代藩主・毛利敬親の別邸 花江御殿内にあった茶室「自在庵」を、明治22年(1889)頃に萩城本丸内に移築したものです。
幕末の多事多難のおり、この茶室で敬親は支藩主や家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したといわれています。
建物は木造入母屋造り茅葺き平屋建てで、桁行6.84m、梁間3.62m、本床と脇床がついた4畳半の茶室と、3畳の水屋からなっています。
移築の際、瓦葺きの平屋1棟が控の間として増築されました。

志都岐山神社と万歳橋

萩城 万歳橋と志都岐山神社
萩城 万歳橋と志都岐山神社
志都岐山神社は、萩城本丸内にある神社で毛利元就、隆元と萩藩歴代藩主が祀られる神社です。志都岐山神社の参道、拝殿手前の階段の下には明倫館の遺構である万歳橋が移築されています。

東園

萩城 東園
萩城 東園
本丸から石垣沿いに北に向かうと東園です。
東園は、6代藩主毛利宗広(1717~1751)の時に本格的に整備された回遊式の大名庭園で、7代藩主重就(1725~1789)にも追加整備されています。庭内の各所に六景二十勝の名称をつけ、その景観を装飾したといいます。
大きな庭園ではありませんが、木陰に池が見える様は幻想的で、5月にはつつじが咲き、緑とピンクが湖面に反射し更に一層美しい姿を見せてくれます。

二の丸潮入門と銃眼土塀

萩城 潮入門跡(浜側から見た)
萩城 潮入門跡(浜側から見た)
萩城 二の丸(銃眼)土塀の南側部分
萩城 二の丸(銃眼)土塀の南側部分
萩城 銃眼土塀と石垣(二の丸内部から見た)
萩城 銃眼土塀と石垣(二の丸内部から見た)
東園から二の丸東側の石垣沿いに南に下ってくると潮入門跡の石垣から砂浜に抜けれます。
潮入門は二の丸東側にあった門で主に海への脱出や物資の搬入などを目的につくられたものと考えられます。
二の丸南門や東門のような枡形虎口ではなく、門は渡櫓門式で、搬入搬出を補完するようにいくつかの埋門もあったと考えられています。
当時は東側の石垣上部に銃眼土塀と呼ばれる塀がありました。現在は海に面した南東側全長57mのみ復元されています。
矢狭間はなく四角形の銃眼のみがやや間隔広めに配置され、海からの鉄炮攻撃に備えていたことが伺えます。

二の丸東櫓跡

萩城 二の丸東門跡
萩城 二の丸東門跡
潮入門から本丸内堀を見ながら南下すると二の丸東門跡に出ます。
高麗門の外門と渡櫓門の内門からなる典型的な桝形門でしたが、渡櫓門の続き櫓に三重櫓、桝形の反対側に二重櫓を設けた壮大な門でした。
また、櫓前は川のような内堀になっていて敵が簡単には寄せきれないつくりになっています。

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

本丸、二の丸を一通り散策し指月第一駐車場に戻ると、正面に毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷が見えます。
土間などはなく、長々と続くまさに長屋で当時の貴重な武具や萩城やその城下町の模型などが展示されています。
厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋を祖とし、毛利氏の萩移封後、厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられたことから、このように呼称されました。萩屋敷は約15,500㎡の広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っています。
梁間5メートル、桁行51.5メートルの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。

三の丸隅櫓(復元)

萩城 三の丸隅櫓(物見櫓)
萩城 三の丸隅櫓(物見櫓)
萩博物館駐車場に車を止めて、三の丸や城下町を散策します。まず目の前に三の丸の隅櫓(物見櫓)が見えます。
三の丸隅櫓は、旧大野毛利家の屋敷にあった隅矢倉で萩博物館の建物の1つとして復元されました。
大野毛利家は、岩国城主吉川広家の次男毛利就頼を祖とした一族で萩藩の重臣の一族で、かつてはこの付近に中の総門があり入城の監視施設としての建物だったと考えられます。

三の丸総門

萩城 北の総門
萩城 北の総門
萩城 北の総門(三の丸内部から見た)
萩城 北の総門(三の丸内部から見た)
萩城 北の総門と外堀跡
萩城 北の総門と外堀跡
三の丸総門は、高さ7メートル、日本最大級の高麗門で平成16年11月に「萩開府400年」を記念して復元されました。。
中の総門と同じく城下町から三の丸に入るための入城監視施設だったと考えられます。
本柱や「冠木(かぶき)」と呼ばれる横材などは、欅(ケヤキ)の巨木を使って復元され、門の前に架かる土橋には土塀が設置されていました。
門の外堀跡には当時の船着き場も再現されており、外堀に架かる土塀付きの土橋は全国唯一のものです。

毛利家家臣屋敷群(旧益田家物見矢倉、問田益田家屋敷土塀)

萩城 旧益田家物見矢倉全景
萩城 旧益田家物見矢倉全景
萩城 問田益田氏旧宅土塀
萩城 問田益田氏旧宅土塀
萩城 旧繁澤家長屋門
萩城 旧繁澤家長屋門
三の丸総門近くには旧益田家物見矢倉があります。
北の総門の見張り台も兼ねた武器を収納した矢倉で、高さ1.8mの石塁の上に立つ、長さ11m、奥行約5mの堅固な単層の建物です。
武器を収納する倉を矢倉といい、天井が高く見張り台も兼ねたものは物見矢倉と呼ばれていました。
入城者の監視という重要な役割を任せられた益田家は藤原北家の流れで、永久2年(1114)に藤原定通(国兼)が石見の国司として下向、石見国上府(浜田市)の御神本に土着した一族です。
元々独立意識の高い土豪でしたが大内氏滅亡後は毛利氏に帰属しています。古くから石見鉱山を所領としていたことから江戸幕府からの関心も高く、家康から直臣の誘いがあったほどです。家長の益田元祥はこれを固く断り、これを聞いた毛利輝元は大いに感激し、永代家老として益田氏を優遇したといわれます。
二の丸にほど近い位置に広大な屋敷を構えることを許された背景はここにあり、現在も問田益田家屋敷土塀として総延長231.7メートルの堂々たる高い白壁がどこまでも続きます。
このほかにも、旧繁澤家長屋門、旧梨羽家書院など武家屋敷跡が数多く残り国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

堀内鍵曲

萩城 堀内鍵曲の土塀
萩城 堀内鍵曲の土塀
萩城 旧萩藩江戸屋敷移築門(堀内鍵曲)
萩城 旧萩藩江戸屋敷移築門(堀内鍵曲)
萩城 堀内鍵曲
萩城 堀内鍵曲
三の丸の南側に位置する江戸時代の面影を残す鍵曲がりの道で、道筋の突き当りには、萩藩江戸屋敷の移築門があります。
鍵曲(かいまがり)は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋で、堀内鍵曲地区には藩の諸役所や、毛利一門、永代家老、寄組といった大身の武家屋敷が並んでいました。土色と瓦のグレーが配された独特の壁の道は独特で当時の城下町の風情を感じられます。

維新の志士達の生家(木戸孝允生家、高杉晋作生家)

萩城 木戸孝允旧宅
萩城 木戸孝允旧宅
萩城 木戸孝允旧宅入口
萩城 木戸孝允旧宅入口
萩城 高杉晋作生誕の地
萩城 高杉晋作生誕の地
三の丸の外堀を越えるとかつての城下町に出ます。
城下は東西に連なる大きな町筋と南北の狭い横丁で構成され、三の丸近くに家臣の屋敷がありました。
幕末維新の三傑の一人、木戸孝允の生家もこの地区にあります。
江戸屋横丁内にある木戸孝允の旧宅は国指定の史跡となっており、孝允が生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家です。中に入ると、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。建物内にはボランティアガイドが常駐しているので詳しい説明を聞くこともできます。
“奇兵隊” 結成!で有名な高杉晋作の生家もこの近くで、菊屋横丁にあります。
中には入れませんが、門や屋敷跡が垣間見えます。
高杉晋作に関しては萩博物館に資料室があり、産着から最晩年の書まで晋作に関する資料が数多く展示されていますので、一緒に見学するのもおすすめです。

商人屋敷と横丁(菊屋横丁)

萩城 菊屋横丁
萩城 菊屋横丁
萩城 菊屋家住宅全景
萩城 菊屋家住宅全景
萩城 伊勢屋横丁
萩城 伊勢屋横丁
菊屋横丁は、日本の道100選に選定された城下町ならではの景色が残る横町です。
白く輝くような海鼠塀が真っすぐ続く横丁は美しく、江戸時代にタイムスリップしたような感覚に襲われます。
菊屋横丁のある三の丸に通じる大きな町筋には菊屋屋敷跡、伊勢屋屋敷跡なども残ります。
呉服商伊勢屋は後の初代群馬県令(群馬県知事)となった楫取素彦が12歳のときに養子となったところで、群馬の生糸が明治の産業革命を支えた「富岡製紙工場」へとつながる道筋と無関係ではないのです。

萩城の御城印と百名城スタンプ

■萩城の御城印
萩城では御城印を販売しています。
・萩城跡指月公園料金所
住所:〒758-0057 山口県萩市堀内501
TEL:0838-25-1826
料金は1枚500円です。

■萩城の日本百名城スタンプ
日本百名城スタンプは以下で希望者にのみ貸し出しとなります。
・萩城跡指月公園料金所
住所:〒758-0057 山口県萩市堀内501
TEL:0838-25-1826

萩城の入城情報

所在地

住所:〒758-0057 山口県萩市堀内1-1
TEL:0838-25-1826

開城時間

【4~10月】8:00~18:30、【11~2月】8:30~16:30、【3月】8:30~18:00

休城日

なし

料金

大人・大学生・高校生 220(120)円、中学・小学生 100(60)円
【旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と共通券】
※( )は、団体割引30名以上
障がい者割引/大人・大学生・高校生 100円、中学生・小学生 50円

製作スタッフ紹介

記事担当

倉之丞
倉之丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。

写真担当

若大将
若大将
歴史好き、街道好きのお城マニア。
マニアックな旧街道を旅するのが大好物。