木造復元天守と武家屋敷を漫ろ歩く城下町
白石城_天守(三階櫓)25
白石城の見どころとイベント
白石城の見どころはなんといっても、木造復元された、本丸大手一の門、二の門と三階櫓(天守)、そして城主片倉家の当時の暮らしが垣間見える武家屋敷です。
白石城は、安土桃山時代に蒲生氏郷が隣接する伊達氏をけん制するために本格的に築城されました。
その後江戸時代に入り、徳川家と親戚関係となった伊達氏の重臣片倉小十郎景綱が蒲生氏や上杉氏をけん制するために城と城下町を改修し、明治時代まで片倉家が城主を勤めました。
明治時代に入り、「益岡公園」として整備され、春には、約400本の桜が見頃を迎え、秋には、蔵王の紅葉も見頃となります。
漆喰の白石城と桜や紅葉のコントラストは素晴らしいです。
特に4月初旬から中旬に見ごろを迎える、城の西側を流れる白石川の中流に川岸に咲く一目千本桜といわれる桜のトンネルは圧巻です。
城と城下町とともにぜひ訪れてみてください。
白石城は、安土桃山時代に蒲生氏郷が隣接する伊達氏をけん制するために本格的に築城されました。
その後江戸時代に入り、徳川家と親戚関係となった伊達氏の重臣片倉小十郎景綱が蒲生氏や上杉氏をけん制するために城と城下町を改修し、明治時代まで片倉家が城主を勤めました。
明治時代に入り、「益岡公園」として整備され、春には、約400本の桜が見頃を迎え、秋には、蔵王の紅葉も見頃となります。
漆喰の白石城と桜や紅葉のコントラストは素晴らしいです。
特に4月初旬から中旬に見ごろを迎える、城の西側を流れる白石川の中流に川岸に咲く一目千本桜といわれる桜のトンネルは圧巻です。
城と城下町とともにぜひ訪れてみてください。
目次
白石城へのアクセス方法
飛行機で行く場合
仙台国際空港から東北縦貫自動車道/東北自動車道を使って車・タクシーで約50分
▼レンタカーは以下
・トヨタレンタカー仙台空港店 0223-22-0100
・日産レンタカー仙台空港店 022-383-2823
・ニッポンレンタカー 仙台空港 営業所 022-382-0971
・オリックスレンタカー 0223-29-4163
▼バスで行かれる場合
リムジンバスで岩沼駅まで約25分、そこから電車で26分
(岩沼駅から白石駅まで26分)
白石駅から
・徒歩で約15分
・タクシーで約4分
▼レンタカーは以下
・トヨタレンタカー仙台空港店 0223-22-0100
・日産レンタカー仙台空港店 022-383-2823
・ニッポンレンタカー 仙台空港 営業所 022-382-0971
・オリックスレンタカー 0223-29-4163
▼バスで行かれる場合
リムジンバスで岩沼駅まで約25分、そこから電車で26分
(岩沼駅から白石駅まで26分)
白石駅から
・徒歩で約15分
・タクシーで約4分
新幹線・電車で行く場合
東北新幹線:白石蔵王駅下車
白石蔵王駅から
・徒歩で約26分
・タクシーで約6分
白石蔵王駅から
・徒歩で約26分
・タクシーで約6分
車で行く場合
・東北自動車道 二本松ICから車で20分
仙台国際空港から東北縦貫自動車道/東北自動車道を使って車で約50分
■白石城、カーナビへの登録は以下の情報を!
住所:宮城県白石市益岡町1−16
仙台国際空港から東北縦貫自動車道/東北自動車道を使って車で約50分
■白石城、カーナビへの登録は以下の情報を!
住所:宮城県白石市益岡町1−16
駐車場
白石城城下広場駐車場
住所:〒989-0292 宮城県白石市大手町
住所:〒989-0292 宮城県白石市大手町
白石城、最寄りの場所からのアクセス方法
宮城県白石市にある平山城で、東北本線「白石駅」から西に徒歩15分の位置にあります。
新幹線でお越しの場合は「白石蔵王駅」構内に推奨散策路がありますので参照ください。
お車でお越しの際は白石市役所内にある「城下広場駐車場」に止めて城歩きすると便利でしょう。
駐車場入り口に案内図があるので見学する場所をイメージして城歩きできます。
新幹線でお越しの場合は「白石蔵王駅」構内に推奨散策路がありますので参照ください。
お車でお越しの際は白石市役所内にある「城下広場駐車場」に止めて城歩きすると便利でしょう。
駐車場入り口に案内図があるので見学する場所をイメージして城歩きできます。
白石城と城下町を散策する
今回は、「白石駅」から徒歩で向かうルートをご紹介いたします。
駅を出て「壽丸会館」→「城下広場駐車場」→「二の丸大手門跡」→「白石城歴史探訪ミュージアム」→「本丸大手一ノ門/二ノ門」→「本丸」→「天守(三階櫓)」→「片倉家中小関家武家屋敷」→「延命寺山門」→「当信寺山門」の順でめぐっていきます。
駅を出て「壽丸会館」→「城下広場駐車場」→「二の丸大手門跡」→「白石城歴史探訪ミュージアム」→「本丸大手一ノ門/二ノ門」→「本丸」→「天守(三階櫓)」→「片倉家中小関家武家屋敷」→「延命寺山門」→「当信寺山門」の順でめぐっていきます。
壽丸屋敷(国指定文化財)
JR白石駅から大手道をまっすぐ5分ほど進むと右手に「壽丸屋敷」とその駐車場が現れます。
壽丸屋敷は国が指定する文化財で、白石の豪商渡辺家の母屋や店蔵だった町屋づくりの家屋です。
渡辺家は仲卸業、呉服業、質業、味噌づくりで財をなし、明治には市長もつとめる名士でした。
屋敷名の由来は渡辺家の家紋が「丸に三丸」という4つの丸からなっているため「シマル」=「スマル」として呼ばれていたことに由来します。
屋敷は、母屋や店蔵に別れ、店蔵は「白石紙織」の展示スペースとなっています。
壽丸屋敷を後にして大手道をまっすぐさらに進むと「城下広場駐車場」にでます。
城下町巡りの地図もあるので参考にして散策ください。
壽丸屋敷は国が指定する文化財で、白石の豪商渡辺家の母屋や店蔵だった町屋づくりの家屋です。
渡辺家は仲卸業、呉服業、質業、味噌づくりで財をなし、明治には市長もつとめる名士でした。
屋敷名の由来は渡辺家の家紋が「丸に三丸」という4つの丸からなっているため「シマル」=「スマル」として呼ばれていたことに由来します。
屋敷は、母屋や店蔵に別れ、店蔵は「白石紙織」の展示スペースとなっています。
壽丸屋敷を後にして大手道をまっすぐさらに進むと「城下広場駐車場」にでます。
城下町巡りの地図もあるので参考にして散策ください。
二ノ丸大手門跡と本丸へ続く石垣
駐車場から左手に進み、更に右折、左折、右折で細い道を進むと旧二の丸付近の遊歩道に出ます。
道の曲がり際に案内が出ているので案内に従って進むと迷わず進めます。
遊歩道を左に進み交差点から左折して坂を登るとほどなく旧二ノ丸大手門跡です。
当時はここに当信寺山門として移築された二ノ丸大手門の櫓門がありました。
「二ノ丸大手二ノ門」は大手口から城内に入り、外曲輪、三ノ丸内の屈折した通路を通り、本丸へ入る関門のようなものでした。
この後、本丸へと続く石垣が見えてきます。
道の曲がり際に案内が出ているので案内に従って進むと迷わず進めます。
遊歩道を左に進み交差点から左折して坂を登るとほどなく旧二ノ丸大手門跡です。
当時はここに当信寺山門として移築された二ノ丸大手門の櫓門がありました。
「二ノ丸大手二ノ門」は大手口から城内に入り、外曲輪、三ノ丸内の屈折した通路を通り、本丸へ入る関門のようなものでした。
この後、本丸へと続く石垣が見えてきます。
白石城歴史探訪ミュージアム
坂をまっすぐ進むと白石城歴史探訪ミュージアムです。
白石城のジオラマや片倉家ゆかりの甲冑や刀剣が展示されています。
1階はお土産物や食事スペースで、御城印も一階の事務室で購入できますのでぜひお立ち寄りを。
白石城のジオラマや片倉家ゆかりの甲冑や刀剣が展示されています。
1階はお土産物や食事スペースで、御城印も一階の事務室で購入できますのでぜひお立ち寄りを。
本丸大手一ノ御門と本丸大手二ノ御門
本丸大手一の御門、本丸大手二の御門は三層の天守とともに、文献や調査データを元に木造再建されました。
天守へはまず一の御門をくぐり、二の御門を通って折れ曲がるように向かっていきます。
一の御門の前、二の御門の前が小さな枡形になっていて、真っすぐに場内に入れない構造になっています。
天守へはまず一の御門をくぐり、二の御門を通って折れ曲がるように向かっていきます。
一の御門の前、二の御門の前が小さな枡形になっていて、真っすぐに場内に入れない構造になっています。
本丸御殿跡と鐘堂
大手御門をくぐると本丸です。
入ってすぐ目の前に本丸御殿跡とその説明看板があります。
白石城の本丸は明治維新の「奥羽列藩同盟」が締結された場所としても有名です。
鐘堂は天守(三階櫓)再建時に建てられたもので、当時の使われていた鐘は、太平洋戦争時の古鐘招集の難を免れて伝来寺境内に現存しています。
現在も大晦日の夜から元旦にかけ除夜の鐘を突くことができるイベント「除夜の鐘を鳴らす会」が毎年開催されています。
入ってすぐ目の前に本丸御殿跡とその説明看板があります。
白石城の本丸は明治維新の「奥羽列藩同盟」が締結された場所としても有名です。
鐘堂は天守(三階櫓)再建時に建てられたもので、当時の使われていた鐘は、太平洋戦争時の古鐘招集の難を免れて伝来寺境内に現存しています。
現在も大晦日の夜から元旦にかけ除夜の鐘を突くことができるイベント「除夜の鐘を鳴らす会」が毎年開催されています。
白石城の天守(三階櫓)
二の御門をくぐって折れ曲がるように天守に向かいます。
白石城の天守は「大櫓」と呼ばれ、天守は無いとされています。
現在の天守は外観三重天守で、当初の蒲生郷成が益岡城を修築した時代には、天守をつくることを遠慮することはなかったはずですが、江戸時代に描かれた絵図では、益岡城の天守は石垣造りの基壇の上に築かれています。
本城となる仙台城にも天守が建造されることはなく、基壇の天守台に礎石を据えた地下部分(石蔵)があったと考えらえるので、内部は4階となり、三重櫓は当然、天守と呼ばれたと思われます。
白石城の天守は「大櫓」と呼ばれ、天守は無いとされています。
現在の天守は外観三重天守で、当初の蒲生郷成が益岡城を修築した時代には、天守をつくることを遠慮することはなかったはずですが、江戸時代に描かれた絵図では、益岡城の天守は石垣造りの基壇の上に築かれています。
本城となる仙台城にも天守が建造されることはなく、基壇の天守台に礎石を据えた地下部分(石蔵)があったと考えらえるので、内部は4階となり、三重櫓は当然、天守と呼ばれたと思われます。
神明社と厩口門跡
神明社の創建は、平安初期坂上田村麻呂によるとの言伝えがある。
元々は亘理郡のお社で、片倉家の庇護のもとこの地の総鎮守の社として城内二ノ丸に移築再建された。
明治時代に焼失したものの再建され今に至ります。
参道は江戸時代の厩曲輪内にあり、現在の大鳥居付近に厩口門があったとされます。
厩口門は現在、延命寺の山門として移築され現存しています。
元々は亘理郡のお社で、片倉家の庇護のもとこの地の総鎮守の社として城内二ノ丸に移築再建された。
明治時代に焼失したものの再建され今に至ります。
参道は江戸時代の厩曲輪内にあり、現在の大鳥居付近に厩口門があったとされます。
厩口門は現在、延命寺の山門として移築され現存しています。
片倉家中小関家武家屋敷(県指定文化財)
一の門から北に進んで突き当り右折、更に大きな道路に突き当たったたら左折で進むとつきます。徒歩で5分ほどです。
片倉家中小関家武家屋敷は、約260年の歴史ある古建築です。1993年に宮城県指定文化財となっています。白石城の城主であった片倉家の家臣小関家の屋敷で、1730年に建築されたことが確認されています。1991年に白石市に母屋、門、塀が寄贈されたのを機に、創建当時の姿に復元されました。片倉家中小関家武家屋敷は、白石城の北側の沢端川沿いに建っており、庭木に囲まれた場所にあります。当時の武士の生活が垣間見える貴重な武家屋敷です。タイムスリップした気持ちになり、静かで趣のある風景を楽しんでください。
片倉家中小関家武家屋敷は、約260年の歴史ある古建築です。1993年に宮城県指定文化財となっています。白石城の城主であった片倉家の家臣小関家の屋敷で、1730年に建築されたことが確認されています。1991年に白石市に母屋、門、塀が寄贈されたのを機に、創建当時の姿に復元されました。片倉家中小関家武家屋敷は、白石城の北側の沢端川沿いに建っており、庭木に囲まれた場所にあります。当時の武士の生活が垣間見える貴重な武家屋敷です。タイムスリップした気持ちになり、静かで趣のある風景を楽しんでください。
延命寺山門(白石城厩口門、国指定文化財)
上述の通り、明治維新後、白石城厩口門が延命寺山門として移築され今に至ります。
三間一戸、木造二階建、櫓門で、二階中央の表に大きな「眼象窓(げんじょうまど)」が各二つずつあります。
三間一戸、木造二階建、櫓門で、二階中央の表に大きな「眼象窓(げんじょうまど)」が各二つずつあります。
当信寺山門(白石城二ノ丸大手二ノ門、国指定文化財)
白石城白石城二ノ丸大手二ノ門は、明治維新の時にこの当信寺の門として移築されました。
門は、一旦白石駅前通りの「専念寺(せんねんじ)」で払下げを受けましたが、1887年(明治20年)の東北本線の開通に伴い、「当信寺(とうしんじ)」山門として移築されました。
二階中央の表と裏に大きな「眼象窓(げんじょうまど)」が各一つずつ、二階には「丸窓」があります。
門は、一旦白石駅前通りの「専念寺(せんねんじ)」で払下げを受けましたが、1887年(明治20年)の東北本線の開通に伴い、「当信寺(とうしんじ)」山門として移築されました。
二階中央の表と裏に大きな「眼象窓(げんじょうまど)」が各一つずつ、二階には「丸窓」があります。
白石城の御城印と百名城スタンプ
白石城の御城印
白石城の日本続百名城スタンプ
白石城の日本続百名城スタンプは以下で押せます。
白石城天守閣内
住所:〒989-0251 宮城県白石市益岡町1−1
白石城天守閣内
住所:〒989-0251 宮城県白石市益岡町1−1
白石城の入城情報
所在地
住所:宮城県白石市益岡町1−16
開城時間
9:00~17:00
休城日
12月28日~12月31日
料金
大人:400円
子供:200円
子供:200円
製作スタッフ紹介
記事
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりや江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。