日本三大史跡、古代東北を治める強大な国府跡
多賀城跡_外郭南門03
多賀城跡_外郭南門03

多賀城跡の見どころと散策ルート

多賀城跡、散策ルート全体図01
多賀城跡、散策ルート全体図01
多賀城跡の最大の見どころは、その壮大な規模と歴史的な価値にあります。城内にある「政庁跡」は、奈良時代の政庁として利用された建物の基礎が残り、当時の政治や行政の中心地であったことを感じさせます。また、多賀城碑は国宝に指定されており、日本最古の文字碑文として、その歴史的意義が非常に高いです。この二つが、多賀城跡を訪れる際の主要なポイントとなります。
最寄りの駅は、JR東北本線「国府多賀城駅」です。
仙台から向かう場合には「陸前山王駅」が1駅前にありますが、史跡散策するなら近隣に施設も近い「国府多賀城駅」がおすすめです。
今回は、「国府多賀城駅」から向かうルートを紹介します。

目次

舘前遺跡

多賀城跡_舘前遺跡01
多賀城跡_舘前遺跡01
国府多賀城駅北口からスタートします。
舘前遺跡は駅ロータリの目の前にあります。
多賀城跡南東の独立丘陵にあった遺跡で、中央の四面廂付建物を囲むように掘立柱建物6棟が配置されていました。
9世紀前半頃の上級役人(国司クラス)の邸宅、または役所的な施設であったと考えられています。

外郭南東隅(南辺東地区)とあやめ園

多賀城跡_南東隅の櫓丘と土塀跡01
多賀城跡_南東隅の櫓丘と土塀跡01
多賀城跡_あやめ園(8月)01
多賀城跡_あやめ園(8月)01
多賀城市中央公園を後にしながら北に向かいます。
国道35号線(泉塩釜線)を越えると左手が、南門方面、正面から右側が外郭南東隅地区の遺跡エリアです。
この地区には外郭南隅櫓あったとされ、外郭南門と築地塀で囲まれていたとされます。
外郭南側を囲むようにあった水濠の一部は池ととなっており、築地塀あとはその土台が発掘されています。隅櫓部分は現在ややこんもりとした小丘になっています。
塀跡の内側は現在「あやめ園」になっており、初夏(6月ごろ)に青く絨毯のように咲き乱れます。※筆者が訪問の時は残念ながら緑のみでした。

多賀城碑(つぼの石ぶみ)

多賀城跡_つぼの石ぶみ01
多賀城跡_つぼの石ぶみ01
南東隅地区の公園を北に抜けると左手に小ぶりの丘があります。
この丘の上に国重要文化財の石ぶみと再建された南門があります。
つぼの石ぶみは、花崗砂岩で作られた石碑で高さ1.96m、幅1m、厚さが50cmある石一面に文字が刻まれています。
設置した藤原朝狩が蝦夷平定を成し遂げた自身の功績を西の京にアピールするためのもので石碑も西を向いています。

外郭南門

多賀城跡_外郭南門01
多賀城跡_外郭南門01
多賀城跡_外郭南門05
多賀城跡_外郭南門05
意志踏み脇に再建された外郭南門があります。
朱塗りと白壁が非常に美しい門です。
復元された南門は、8世紀中ごろ、政庁第二期と呼ばれる時代のもので、正面入り口の重要な位置に配された高さ14mもある格式高い門でした。
当時の築地塀も合わせて再現する予定とのこと。現在もまだ工事中ですが全容公開が楽しみですね。

城前地区(政庁南面地区)

多賀城跡_城前地区01
多賀城跡_城前地区01
南門から政庁跡に向かう途中右手にあるのが城前地区発掘エリアです。
城前地区には、「官衙(かんが)」と呼ばれる役所があったとされます。
官衙は「政庁」を中心にその周りを取り囲みようにありました。この後通る「作貫地区」「大畑地区」もその1つです。
城前地区の官衙跡は真ん中の主屋を中心にその周りに役所や文書庫がありました。
発掘調査では、官衙全体に火災をうけた痕跡が見つかっており、780年(宝亀11年)の伊治公
呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱により、政庁と同じく全焼したものと考えれています。

政庁跡

多賀城跡_政庁南門跡02
多賀城跡_政庁南門跡02
多賀城跡_政庁正殿跡02
多賀城跡_政庁正殿跡02
多賀城跡_政庁の西北殿跡と東北殿跡01
多賀城跡_政庁の西北殿跡と東北殿跡01
中央石段を上ると多賀城の中心部、「政庁跡」です。
政庁跡は、多賀城のほぼ中央に位置して内部は築地塀に囲まれ、東西103m、南北116mもあったと考えられています。
塀の内部には石敷広場があり、その東西に西脇殿、東脇殿を北側に正殿、さらにその北側に後殿、さらにその奥に西北殿、東北殿があったとされ、重要な政務や儀式が執り行われていたと推察されます。

多賀城跡管理事務所

多賀城跡_多賀城跡管理事務所01
多賀城跡_多賀城跡管理事務所01
政庁跡の北東側にあり、駐車スペースも20台程度あります。
トイレや自動販売機もあるので休憩、水分補給も行えます。
百名城スタンプが設置されてますのでここで押印ください。

作貫地区

多賀城跡_作貫地区01
多賀城跡_作貫地区01
政庁跡から管理事務所を通って進み、左に折れて外郭東門方面に進むとあります。
案内石碑が目印です。
城前地区同様、ここにも役所施設がありました。
城前地区と違うのは主屋を中心とした配置で、作貫地区は、主屋をコの字に囲みように施設が配置されていたようです。

外郭東門跡(平安時代)

多賀城跡_外郭東門跡01
多賀城跡_外郭東門跡01
政庁跡から管理事務所を通って一本道を北東に5分ほど進むと多賀城外郭東門跡があります。
多賀城外郭東門は、創建当初は、四脚門の形で建てられていましたが、奈良時代に現在の発掘現場にコの字型に変わりました。コの字の2つの角には櫓を配置していたようです。

大畑地区

多賀城跡_大畑地区02
多賀城跡_大畑地区02
大畑地区は外郭東門跡から内側の城跡内で最も大規模な発掘が行われたエリアで、14m以上ある大きな役所施設が見つかった場所です。
作貫地区から進むと休憩所前に案内の石碑があり、そこから北に進んだ地区全体に広がります。

外郭北東隅(北辺地区)

多賀城跡_外郭北東隅01
多賀城跡_外郭北東隅01
外郭北東部は外郭東門跡から道路を挟んで北側にあります。
少しうっそうとした木々の中を進むと、「東大垣(ひがしおおがき)」とよばれる高さ4mを超える城壁の土台跡があります。

六月坂地区

多賀城跡_六月坂地区(多賀神社)01
多賀城跡_六月坂地区(多賀神社)01
現在の多賀神社から北側にあったエリアで、役所跡のほか書庫跡も発掘されています。

多賀城神社

多賀城跡_多賀城神社01
多賀城跡_多賀城神社01
六月坂エリアから道路を下ると多賀城神社が見えてきます。
神社は、1952年(昭和27年)に創建された比較的新しい神社です。
即位前に陸奥守を務めた後村上天皇と臣下の北畠親房・顕家親子をお祀りしています。

多賀城廃寺跡

多賀城跡_多賀城廃寺跡01
多賀城跡_多賀城廃寺跡01
さて、多賀城跡周辺を後にして国府多賀城駅に戻ってきました。
博物館を後にして5分ほど歩くと、多賀城廃寺跡にでます。
多賀城跡と同時に創建された付属寺院で、講堂を正面に、東側に三重の塔、西側に金堂を配置し、多賀城同様に築地塀で囲んでいたと考えられます。
このような配置は、大宰府の付属寺院である観世音寺に酷似しており、近隣で見つかった土器に「観音寺」と墨書されたものが発掘され、当時「かんのんじ」または「かんぜおんじ」という名前であったとのではとみられます。

東北歴史博物館

多賀城跡_東北歴史博物館01
多賀城跡_東北歴史博物館01
国府多賀城駅南口を出るとすぐにあります。
円形のホール上の建物が目印のきれいな博物館ですぐにわかります。
東北歴史博物館は、1999年に開設された東北の旧石器時代から近現代までの歴史を展示する博物館で、前身である東北歴史資料館を継承発展した形で生まれました。
展示物はその歴史の古い順に9つのコーナーに分かれ、多賀城に関する資料や展示物もおかれています。

今野家住宅【県指定重要文化財】

多賀城跡_今野家住宅01
多賀城跡_今野家住宅01
今野家住宅【県指定重要文化財】は、東北歴史博物館と並列に並んでいます。
今野家は江戸時代に代々村長である肝入という役目を務めた家で、その住宅は現在よりも東の石巻市北上町の川河口近くにありました。
歴史博物館開設時に移築されたその本屋は、1769年(明和6年)に建てられましたものです。
冠木門やお風呂場、馬屋など当時の貴重な姿を残しています。

多賀城跡とあわせて見たい【鹽竈・紫波彦神社】

多賀城跡_鹽竈神社門・廻廊01
多賀城跡_鹽竈神社門・廻廊01
多賀城跡を訪れたらあわせて見たいのが鹽竈神社・紫波彦神社です。
多賀城が陸奥国を治める重要な政府機関なら、国に住む民衆の心のよりどころ(=信仰の中心地)が鹽竈神社・紫波彦神社です。
JR東北本線「塩釜駅」から徒歩30分で急な石段300段近い表参道に向かうか、
同じく徒歩8分ほどにあるJR仙石線「西塩釜駅」から1駅の「本塩釜駅」で徒歩10分の緩やかな東参道から向かうか選択できます。
筆者は、本塩釜駅からの東参道を使って登りました。(汗

紫波彦神社

多賀城跡_紫波彦神社大鳥居02
多賀城跡_紫波彦神社大鳥居02
東参道から緩やかな坂道を登っていくと先に見えてくるのは紫波彦神社です。
紫波彦神社は、奈良時代以前より陸奥国に存在したとされる土着の神、紫波彦を祀る神社で、紫波は国々のしわ=端にあるを意味するとされています。
元々別々に祀られていましたが、現在は、同じ境内内にあります。

鹽竈神社

多賀城跡_鹽竈神社表参道02
多賀城跡_鹽竈神社表参道02
鹽竈神社は陸奥国の一宮で、三神を祀っています。 海の守護神であり人々に製塩の方法を伝授した鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)は別宮に祀られています。 戦の神である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)はそれぞれ左宮と右宮に祀られています。境内は広く、表参道の石段は急なことで有名です。

多賀城跡の御城印と百名城スタンプ

多賀城跡の御城印

現在は販売しておりません。
ただし、2024年中に販売開始の予定あり。
※多賀城創建1300年を記念して御城印の販売を計画しているとのこと。

多賀城跡の日本百名城スタンプ

多賀城跡管理事務所
住所:多賀城市市川大畑16
電話番号:022-368-5309
時間:9:00~16:00(押印は管理事務所の閉所時も可能)
閉所日:年末年始(12月28日~1月3日)
※多賀城政庁跡北側にあります。

多賀城跡の入城情報

【所在地】  多賀城石碑跡
       住所:〒985-0864 宮城県多賀城市市川田屋場16
【開城時間】 年中無休で24時間出入りできます。
【休城日】  年中無休
【料金】   無料

多賀城跡の歴史とイベント

多賀城跡は宮城県多賀城市に位置し、七北田川の流域に広がる台地の上に築かれています。かつては奥州街道が近くを走っていたことから、交通の要衝としても重要な位置にありました。また、背後には多賀山さらに北側には加瀬沼が広がり、自然の要害としての役割も果たしていました。
城は「多賀柵」とも呼ばれ、奈良時代の防御施設として知られています。城郭構造は、約900メートル四方にわたる広大な敷地内に、政庁や寺院、住居などが配置されており、周囲には防御のための堀や土塁が築かれていました。この城郭は、当時の政治・軍事の要所として、東北地方の支配を目的に設けられたものです。
多賀城跡は724年に大野東人によって築かれ、蝦夷との防衛や東北地方の統治拠点として重要な役割を果たしました。城主としては、初代の大野東人や藤原氏の一族である藤原麻呂などが知られています。10世紀には、平将門の乱を鎮圧した平貞盛がこの地に派遣され、さらにその後の平泉時代には、奥州藤原氏の支配下に置かれることとなりました。
多賀城跡では、毎年初夏には外郭南東隅エリアにある「あやめ園」が一斉に色づき、秋には「多賀城跡あかりまつり」が開催され、政庁跡や多賀城碑周辺がライトアップされる幻想的な風景が楽しめます。また、周辺の城下町では、歴史をテーマにしたウォーキングイベントや講演会も頻繁に行われ、城好きの参加者にとっては学びと交流の場となっています。これらのイベントは、古代から続く多賀城の歴史を感じる絶好の機会です。

多賀城跡への行き方(交通アクセス)

飛行機で行く場合

仙台空港から仙台空港アクセス線で25分(快速17分) JR仙台駅下車
JR仙台駅から東北本線に乗り換えて12分ほど JR国府多賀城駅下車
タクシーで向かう場合は25分~30分程で到着です。
仙台空港からリムジンバスに乗る場合は、10~15分程でJR岩沼駅もしくはJR館腰駅下車、東北本線で向かいます。

新幹線・電車で行く場合

東北新幹線、東北本線、仙山線、仙石線 JR仙台駅下車。
JR仙台駅から東北本線に乗り換えて12分ほど JR国府多賀城駅下車。
国府多賀城駅から徒歩15分ほどです。

車で行く場合

・三陸沿岸道路多賀城ICから約1、2分。
■多賀城跡、カーナビへのセットは以下の情報で!
多賀城有料駐車場 料金所
住所:宮城県多賀城市市川坂下
駐車料金は1時間無料、以降は30分ごとに100円です。

駐車場

多賀城有料駐車場 料金所
住所:宮城県多賀城市市川坂下
駐車料金は1時間無料、以降は30分ごとに100円です。

製作スタッフ紹介

記事担当

倉の丞
倉の丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。

※写真は「写真AC」を使用