本多忠勝の城、里見を睨む断崖に立つ天守
大多喜城_天守02
大多喜城_天守02

大多喜城と城下町の見どころ、散策ルート

大多喜城_城下町案内図01
大多喜城_城下町案内図01
大多喜城の最大の見どころは、再建された天守閣です。美しい白壁と城郭全体の調和が魅力的で、歴史の重みを感じさせるその姿は圧巻です。また、駅を下ってすぐの場所に城下町も整備され趣のなる町並みが散策できます。
今回は、本丸西にある駐車場ではなく、大多喜駅から徒歩で向かうルートで案内します。

目次

大手門跡(歓迎門)

大多喜城_大手門01
大多喜城_大手門01
駅を正面にしてすぐ左手に大手門跡があります。
当時の大手門は現在の位置とは違いましたが、付近にあり現在は大手門として大多喜城への入場の入り口となっています。
高さ8.5m、幅9.3m、奥行き6.1mの威風堂々の佇まいですね。

夷隅川沿い(メキシコ通)

大多喜城_本丸下の夷隅川(御禁止川)01
大多喜城_本丸下の夷隅川(御禁止川)01
大手門を越えてまっすぐ進むと左手に川が流れています。夷隅川です。本丸は川沿いの切り立った崖の上にあり、この城の本丸がいかに後ろ堅固な場所だったのかがわかります。
今回はこの川沿いを進み天守閣に向かいます。
城の本丸下を流れるこの川は、江戸時代当時は、「御禁止川(おとめがわ)」と呼ばれていました。これは城主が魚を獲ることを禁止したためで、参勤交代の時には、川に住む「むらさき鯉」を檜のたらいに入れて生きたまま将軍家に献上したそうです。

大多喜水道跡

大多喜城_無料駐車場01
大多喜城_無料駐車場01
大多喜城_大多喜水道跡02
大多喜城_大多喜水道跡02
しばらく行くと右手に折れて登り道になります。
登り始めてすぐに「大多喜城無料駐車場」があります。
さらにしばらく上ると左手に何やら岩を掘削した穴があります。これが大多喜水道跡です。
大多喜城下は、昔から良い水に恵まれていませんでした。
江戸時代末期、最後の城主松平(大河内)正賀(まさただ)の時代に開発され、明治3年に完成しました。以降城下は潤い、開墾も進んだそうです。

土塁と堀跡

大多喜城_土塁と堀切01
大多喜城_土塁と堀切01
さらに上り、天守入り口付近にくると右手に土塁と堀跡があります。
木々に覆われているので入り口付近の看板に注目しながら進みましょう。

天守

大多喜城_本丸城址碑01
大多喜城_本丸城址碑01
大多喜城_天守03
大多喜城_天守03
大多喜城_天守06
大多喜城_天守06
本丸の郭内に入りました。城址碑が目印です。
正面右手奥に天守閣があります。
大多喜城の天守は、1590年、本多忠勝によって造られたとされます。
徳川家康の関東移封に伴い、上総国大多喜の地を任された忠勝は、安房国の里見氏の北上を防止するために自然石と川に堀切をうまく配置し、9基の櫓を構える近世城郭を構築しました。その要が天守です。
現在の天守は、1840年(天保11年)の天守絵図を基にして1975年(昭和50年)に外観復元したもので、中は、博物館となっています。

釣鐘

大多喜城_釣鐘1
大多喜城_釣鐘1
天守をぐるっと回ると釣鐘があります。
現在大多喜高校が二の丸でそこにあった鐘撞堂を移築したようです。

城下町(渡辺家住宅)

大多喜城_渡辺家住宅01
大多喜城_渡辺家住宅01
大多喜城_渡辺家住宅02
大多喜城_渡辺家住宅02
城を後にして大多喜駅に戻ってきました。ここからまっすぐに進み城下町を散策します。
城下町通にでると右手すぐに立派なお屋敷があります。
これが国重要文化財「渡辺家住宅」です。
渡辺家住宅は、1849年に建てられた商屋造りの建物です。
寄棟桟瓦葺二階建てで正面入り口は建て格子戸、表板戸には上下戸をつけてあります。
店構えや整った座敷など江戸時代末期の上層商家の規模がよく示された建物で国の重要文化財に指定されています。

城下町(城下町通)

大多喜城_城下町通の鯉のぼり01
大多喜城_城下町通の鯉のぼり01
城下町を進むと左手に寺町通があり、5月になると小さな水路にきれいな鯉のぼりがつるされています。

三口橋からの眺め

大多喜城_天守(三口橋からの眺め)02
大多喜城_天守(三口橋からの眺め)02
さらに上り、天守入り口付近にくると右手に土塁と堀跡があります。
木々に覆われているので入り口付近の看板に注目しながら進みましょう。
さらに進み右手に折れて進むと三口橋があります。
いすみ鉄道の高架橋と大多喜城の天守は非常に美しく一押しの撮影スポットです。

城下の神社仏閣を巡る (立國寺と養老渓谷)

大多喜城_養老渓谷_観音橋01
大多喜城_養老渓谷_観音橋01
大多喜城_養老渓谷_立國寺01
大多喜城_養老渓谷_立國寺01
大多喜城_養老渓谷_共栄向山トンネル02
大多喜城_養老渓谷_共栄向山トンネル02
城にお越しの方はぜひ養老渓谷にて立國寺近辺の散策もおすすめです。
大多喜城から20分ほどの場所にあります。
養老渓谷はなんといっても紅葉の季節のハイキングがおすすめですが、春夏も緑が趣があります。
立國寺観音橋付近の駐車場に停めると便利です。
共栄向山トンネルや川沿いの散策路と出世観音がある立國寺をぜひお参りしてみてください。

大多喜城の御城印と百名城スタンプ

大多喜城の御城印

大多喜城の御城印は、「千葉県立中央博物館 大多喜城分館」で販売されています。
千葉県立中央博物館 大多喜城分館
・住所:〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
・営業日時:毎週火曜日から日曜日までの毎日、午前9時から午後4時30分まで
・休館日:毎週月曜日。また、年末年始(12月28日~1月4日)

大多喜城の日本百名城スタンプ

大多喜城の百名城スタンプは、「千葉県立中央博物館 大多喜城分館」に設置されています。
・住所:〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
・営業日時:毎週火曜日から日曜日までの毎日、午前9時から午後4時30分まで
・休館日:毎週月曜日。また、年末年始(12月28日~1月4日)

大多喜城の入城情報

城は年中無休。ただし、天守閣(千葉県立中央博物館 大多喜城分館)の営業は以下。
・住所:〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
・営業日時:毎週火曜日から日曜日までの毎日、午前9時から午後4時30分まで
・休館日:毎週月曜日。また、年末年始(12月28日~1月4日)

大多喜城の歴史とイベント

大多喜城は、城山全体に築かれた平山城で、「小田喜城」や「根古屋城」とも呼ばれていました。
城の近くには夷隅川が流れ、緑豊かな山々に囲まれています。周辺には久留里街道が通り、江戸時代からの交通の要所でした。
大多喜城は戦国時代に武田(真里谷)信清によって上総国の戦略拠点として築かれました。
その後、里見氏の居城となり、小田原征伐後は、本多忠勝が徳川家康の命で入城し、大規模な改修を行いました。その後、忠勝の次男忠朝が城主となり、城下町の発展を促進しました。その後は主に阿部家や松平家の居城として明治維新まで続きました。現在に残る主な遺構は、城郭と石垣のみですが1980年代に天守閣が再建され、千葉県立中央博物館大多喜分室としても活用されています。
大多喜城では、毎年秋に「大多喜城祭り」が開催され、城下町全体がにぎわい、武者行列や古典芸能が披露されます。

大多喜城への行き方(交通アクセス)

飛行機で行く場合

大多喜城に一番近い空港は成田空港で、車での所要時間は約1時間30分です。空港から高速道路を利用すると、アクセスが便利です。
レンタカーは以下
・トヨタレンタカー 成田空港店
 TEL: 0476-33-0100
・ニッポンレンタカー 成田空港営業所
 TEL: 0476-32-0606
・オリックスレンタカー 成田空港店
 TEL: 0476-35-5120

新幹線・電車で行く場合

大多喜城に一番近い新幹線の駅は、「東京駅」です。
東京駅からは、JR外房線に乗り換えて「大原駅」に向かいます。
大原駅で夷隅鉄道に乗り換え、「大多喜駅」下車です。
駅からは徒歩約10分で大多喜城に到着します。

車で行く場合

大多喜城に一番近い高速道路のインターチェンジは、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「市原鶴舞インターチェンジ」で、そこから車で約20分です。
近くに駐車場はないので「大多喜駅」付近の駐車場に止めて徒歩で向かいます。
カーナビへの登録は以下の住所で。
住所: 〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜383
※ここから徒歩で向かいます。10分程度

駐車場

大多喜町営駐車場
住所: 〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜383

製作スタッフ紹介

記事担当

倉の丞
倉の丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。

※写真は「写真AC」を使用