卑弥呼へと続く弥生時代の巨大な城下町跡
吉野ヶ里遺跡 北内郭入口04
吉野ヶ里遺跡 北内郭入口04

吉野ヶ里遺跡の見どころとイベント

吉野ヶ里遺跡 南内郭南西の物見櫓からの風景(倉と市)01
吉野ヶ里遺跡 南内郭南西の物見櫓からの風景(倉と市)01
吉野ヶ里遺跡 北内郭主祭殿の内部05
吉野ヶ里遺跡 北内郭主祭殿の内部05
吉野ヶ里遺跡 南内郭東の物見櫓01
吉野ヶ里遺跡 南内郭東の物見櫓01
吉野ヶ里遺跡といえば、弥生時代初期から後期まで約700年間ほぼすべての時代の集落や城跡の様子がわかる貴重な遺跡です。その発掘規模も巨大で広さ40ha、東京ドーム9個分にあたります。
遺跡は環濠集落という古代城下町の形式で、環濠と呼ばれるV字に掘った濠と板で集落を覆い敵の侵入を防いでいました。
環濠集落内は主に、
・弥生時代初期の庶民と為政者の暮らしがわかる「南内郭」
・弥生時代中期の為政者と巫女を守るための砦である「北内郭」
・弥生時代後期の埋葬地である「北墳丘墓」
の3つのエリアに分かれています。
古代の遺跡というと建物がなく発掘現場が延々広がっているように思われる方が多いかもしれませんが、
吉野ヶ里遺跡は当時の集落の様子が再現された竪穴式住居跡、巨大な物見櫓、為政者や司祭を守る砦、宝物を治めた高床式倉庫や水田、さらには甕棺墓など、弥生時代の庶民から為政者までの暮らしの様子が体験できる貴重な施設です。
公園入口から環濠集落に足を踏み入れれば、古代日本へタイムスリップしたかのような錯覚が襲います。
ぜひ足を運んでみてください。

目次

吉野ヶ里遺跡へのアクセス方法

飛行機で行く場合

・福岡空港 ⇒ 地下鉄福岡空港駅 ⇒ 地下鉄博多駅
⇒ JR博多駅 ⇒<鹿児島本線 または 長崎本線> ⇒ JR鳥栖駅
⇒ JR鳥栖駅 ⇒<長崎本線普通列車下り〔佐賀方面〕> ⇒ JR吉野ヶ里公園駅

・福岡空港から、福岡都市高速道路⇒九州自動車道⇒長崎自動車道東脊振IC⇒県道385号を南
・佐賀空港から、県道30号を北→国道34号を東

新幹線・電車で行く場合

・JR佐賀駅<長崎本線普通列車上り〔鳥栖方面〕> ⇒JR吉野ヶ里公園駅
吉野ヶ里公園駅から公園東口(メインゲート)まで徒歩約15分

【九州新幹線】
・JR博多駅 ⇒ JR新鳥栖駅
⇒ JR新鳥栖駅 ⇒ JR吉野ヶ里公園駅

【直通特急】
・JR博多駅 ⇒ JR吉野ヶ里公園駅

【在来線】
・JR博多駅 ⇒<鹿児島本線 または 長崎本線> ⇒ JR鳥栖駅 ⇒JR吉野ヶ里公園駅

車で行く場合

・高速道路利用 ⇒ 長崎自動車道東脊振I.Cを下り、385号線を南へ向かって5分
・JR佐賀駅 ⇒ 駅北口大通りを北 ⇒ 国道34号を東
・JR博多駅 ⇒ 福岡都市高速道路 ⇒ 九州自動車道 ⇒ 長崎自動車道東脊振IC ⇒ 県道385号を南
・JR鳥栖駅 ⇒ 駅西側県道220号を西 ⇒ 国道34号を南西

●バスで行く場合
・佐賀駅 ⇒ 佐賀駅バスセンター(西鉄久留米または信愛学院久留米) ⇒ 田手・吉野ヶ里歴史公園南で降車
・佐賀駅 ⇒ 佐賀駅バスセンター(福岡空港国際線行き)⇒ 吉野ヶ里歴史公園前で降車
・久留米方面 ⇒ 西鉄久留米(佐賀第二合同庁舎行き) ⇒ 田手・吉野ヶ里歴史公園南で降車

駐車場

有料
【普通車】料金310円
・東口駐車場 540台
・西口駐車場 310台
・北口駐車場 230台

吉野ヶ里遺跡、最寄りの場所からのアクセス方法

吉野ヶ里遺跡 全体MAP03
吉野ヶ里遺跡 全体MAP03
福岡西鉄天神バスターミナルや福岡空港から吉野ヶ里公園まで高速バスで1時間から1時間半。(1時間に1~2本程度)
新幹線からはJR新鳥栖駅で乗り換え吉野ヶ里公園駅下車で10分程度(1時間に1本程度)です。
吉野ヶ里公園駅からは徒歩で15分ほど。田んぼ道の中を進むのですが道案内が出ているので比較的わかりやすいです。
今回は吉野ヶ里公園駅から公園入口に向かい、南内郭→北内郭→北墳丘墓→倉と市というルートで紹介します。

吉野ヶ里遺跡を散策する

吉野ヶ里公園駅から吉野ヶ里公園入口へ

吉野ヶ里遺跡 JR吉野ヶ里駅から歴史公園センター(東口)に向かう道01
吉野ヶ里遺跡 JR吉野ヶ里駅から歴史公園センター(東口)に向かう道01
吉野ヶ里遺跡 歴史公園センター(東口)01
吉野ヶ里遺跡 歴史公園センター(東口)01
吉野ヶ里遺跡 歴史公園センター(東口)08
吉野ヶ里遺跡 歴史公園センター(東口)08
吉野ヶ里公園駅の階段を下って駐車場付近に出ます。
道案内に沿って田んぼ道を進むと正面奥の方に公園らしき建物群が見えてきます。
駐車場横を抜けてさらに進むと歴史公園センターに出ます。
ここが遺跡への入口です。

公園入口から吉野ヶ里遺跡へ

吉野ヶ里遺跡 天の浮橋から見た北内郭01
吉野ヶ里遺跡 天の浮橋から見た北内郭01
吉野ヶ里遺跡 マスコットの「ひみか」01
吉野ヶ里遺跡 マスコットの「ひみか」01
吉野ヶ里遺跡 逆茂木(乱杭)01
吉野ヶ里遺跡 逆茂木(乱杭)01
公園入口からは遠くに【北内郭(きたうちくるわ)】の砦が見えます。
キャラクターマスコット「ひみか」と写真撮るのもいいですね。
入口入ってすぐに無数の木々が外側に向かって倒れたようにそびえている場所があります。
これを【逆茂木(さかもぎ)】といい城壁板を越えてきた敵に深手を負わせるものです。
米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪うための争いが増えました。人々は自分たちの集落を守るために集落の入り口など特に重要な場所に、尖った枝や幹でバリケードを築きより厳重に守っていました。

南内郭

吉野ヶ里遺跡 南内郭南東の物見櫓03
吉野ヶ里遺跡 南内郭南東の物見櫓03
吉野ヶ里遺跡 南内郭櫓門04
吉野ヶ里遺跡 南内郭櫓門04
吉野ヶ里遺跡 南内郭04
吉野ヶ里遺跡 南内郭04
さらに内部を進むと巨大な【物見櫓(ものみやぐら)】や櫓門が見えてきます。
櫓の上には四方に盾が置かれ、兵士が出入りする人を見張っていました。
この櫓門の横に出脇門(わきもん)があり中に入ると【南内郭(うちくるわ)】です。
城壁代わりの板で覆われた内部にこうした様々な施設が点在しています。
南内郭は、吉野ケ里の「国(くに)」を動かす「王」と官僚である「大人(たいじん)」達が住んでいた場所と考えられています。東西南北の隅に【物見櫓(ものみやぐら)】が配置されて、広場を中心に「王」や「大人」の竪穴住居や煮炊屋、集会の館があります。
住居内部は基本薄暗いのですが、当時の住まいの様子がはっきりわかるつくりになっていて非常に興味深いです。
左奥(南側)や右奥(北側)の物見櫓は登れるのでぜひ周りの様子を見てみるといいでしょう。一面がはっきりと見渡せます。

王の家、大人の家

吉野ヶ里遺跡_南内郭「王」の家02
吉野ヶ里遺跡_南内郭「王」の家02
吉野ヶ里遺跡_南内郭「大人」の家04
吉野ヶ里遺跡_南内郭「大人」の家04
吉野ヶ里遺跡_南内郭煮炊屋02
吉野ヶ里遺跡_南内郭煮炊屋02
弥生時代の国(くに)は【大人(たいじん)】と呼ばれる祭祀・儀礼と国人の諍いを裁定する官僚が治めていました。この【大人】の中で最高権力者が【王(おう)】です。
【王】の家には、王の力を示す品々が枕元に置かれ、王とその家族が住んでいました。
【大人】の家には、煮炊き用の鍋を置いたりや裁定を下すためのスペースがあります。
【煮炊屋(にたきや)】は王や大人用の食事を作る場所でした。

北内郭 外観と内部の様子

吉野ヶ里遺跡 北内郭02
吉野ヶ里遺跡 北内郭02
吉野ヶ里遺跡 北内郭主祭殿02
吉野ヶ里遺跡 北内郭主祭殿02
南内郭を後にして北側に進むと左手に【中のムラ】が見えてきます。
さらに道なりに右側に進むと弥生時代中期の施設【北内郭(きたうちくるわ)】です。
南内郭に比べるとやや小さな広さですが、すぐに櫓門があり城壁も二重に覆われ何人も寄せ付けいないぞ。という雰囲気を感じます。門もすぐに中に入れずぐるっと回り込むようにできているので防御力が高まっています。
内部に入ると中央に一際大きな建物【主祭殿(しゅさいでん)】があり左手からぐるりと住居や高床式の建物が見えます。
手前の竪穴式住居は為政者や吉凶、天気などを占う巫女の従者のもので為政者や巫女は一段高い高床式の住居に住み、初期に比べてより庶民と為政者・巫女といった身分による区別がはっきりしているのように感じます。
門もすぐに中に入れずぐるっと回り込むようにできているので防御力が高まっています。

北内郭 巨大な施設

吉野ヶ里遺跡 北内郭主祭殿の内部(神がかりの様子)06
吉野ヶ里遺跡 北内郭主祭殿の内部(神がかりの様子)06
吉野ヶ里遺跡_北内郭主祭殿の内部04
吉野ヶ里遺跡_北内郭主祭殿の内部04
吉野ヶ里遺跡 北内郭高床式住居(最高司祭者の住居)03
吉野ヶ里遺跡 北内郭高床式住居(最高司祭者の住居)03
内部に入ると中央に一際大きな建物【主祭殿(しゅさいでん)】があり左手からぐるりと住居や高床式の建物が見えます。
手前の竪穴式住居は為政者や吉凶、天気などを占う巫女の従者のもので為政者や巫女は一段高い高床式の住居に住み、初期に比べてより庶民と為政者・巫女といった身分による区別がはっきりしているのように感じます。

甕棺墓列

吉野ヶ里遺跡 甕棺墓列04
吉野ヶ里遺跡 甕棺墓列04
吉野ヶ里遺跡 甕棺墓列07
吉野ヶ里遺跡 甕棺墓列07
さらに北に進むと、甕棺墓列に出ます。
奥に社のようなものと精霊が宿る木が見え、その手間に整然と甕棺墓列があります。
甕棺募は人間を大きな甕に折りたたむように入れて埋葬したもので、これがずらっと北側奥にある北墳丘墓近くまで列をなして並んでいます。

北墳丘墓

吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓(祖霊の宿る柱)01
吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓(祖霊の宿る柱)01
吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓07
吉野ヶ里遺跡 北墳丘墓07
甕棺墓列をさらに奥に進むとこんもりとした小さな丘のような場所に出ます。
右手には濠があり階段から降りれます。
北墳丘墓の入り口はこの丘をぐるっと回りこんだ最奥部にあり、墳丘墓施設として内部を見学することができます。北墳丘墓は、当時の為政者のお墓と考えられ、無数の出土品も見つかっています。

中のムラ

吉野ヶ里遺跡_中のムラ03
吉野ヶ里遺跡_中のムラ03
吉野ヶ里遺跡_中のムラ(養蚕の家)04
吉野ヶ里遺跡_中のムラ(養蚕の家)04
北墳丘墓、甕棺墓列を後にして南に降りてくると、北内郭横にある【中のムラ】に出ます。
【中のムラ】には隣接する【北内郭】内で儀式やまつりごとで使う道具やそれをつくり管理する特別な技術を持った職人たちが暮らしていました。
現在は、高床式倉庫や養蚕の作業場を見学できます。
(トイレもすぐ近くにあります。)
絹織物の原料となる養蚕が行われていたことから自分たちの水田を守るだけではなく、地域間あるいは海外とも交易があった可能性が高いことを実感します。

倉と市

吉野ヶ里遺跡_倉と市01
吉野ヶ里遺跡_倉と市01
【中のムラ】を後にして、右手側の道を下って進むと【倉と市】です。
ここには、高床式倉庫群とムラのイベントを行ったとされる施設もあります。

環濠

吉野ヶ里遺跡_環濠06
吉野ヶ里遺跡_環濠06
【倉と市】から南内郭に戻る途中に環濠へと下れる場所があるのでぜひ歩いてみてください。
狭く圧迫感があるV字の濠の上には城壁となる板がずっと続き、ここで投石や矢をいかけられたらひとたまりもない、と恐怖感を覚えますよ。

吉野ヶ里遺跡展示室

吉野ヶ里遺跡 吉野ヶ里遺跡展示室01
吉野ヶ里遺跡 吉野ヶ里遺跡展示室01
南内郭東側「ひみか」の道を進むと資料施設兼休憩所となる【吉野ヶ里遺跡展示室】があります。
遺跡から天空橋を越えた公園入り口にも食事兼休憩施設がありますので見学した疲れを癒してください。

吉野ヶ里遺跡の御城印と百名城スタンプ

日本100名城スタンプ設置場所

吉野ヶ里歴史公園東口

吉野ヶ里遺跡の入城情報

所在地

住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843

開城時間

・4月1日~5月31日  9:00~17:00
・6月1日~8月31日  9:00~18:00
・9月1日~3月31日  9:00~17:00

休園日

12月31日、1月の第3月曜日とその翌日

料金

・中学生以下:無料
・大人(15歳以上):一般 460円、団体 280円、年間パスポート 4,600円
・大人2日間通し券:一般 500円、団体 340円
・シルバー(65歳以上):一般 200円、団体 200円、年間パスポート 2,000円
・シルバー2日間通し券:一般 240円、団体 240円
※シルバー券は年齢を確認できるもの(免許証、健康保険証等)を提示

制作スタッフ紹介

記事&写真担当

倉之丞
倉之丞
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。