豊臣秀吉築城、北条氏を睨む総石垣の一夜城
石垣山城 南曲輪の石垣
石垣山城の見どころとイベント
石垣山城と言えば、秀吉が築城した総石垣づくりの山城として有名です。
笠懸山の山頂に造られた城からは北条氏の居城、戦国時代最大にして最強と言われた小田原城全体が俯瞰できます。
築城の間秀吉はその姿を山頂の木々で覆い隠し、天守完成とともに一斉に木々を伐採し、その威容を小田原城に籠城する北条方に見せつけ、戦意をくじいたと言われています。
秀吉の眼は、築城当初から北条氏亡き後の関東統治に向いていたといわれ、石垣山城築城の真の目的は関東を治める徳川家康を抑えるための砦だった。ともいわれています。
江戸時代に入ると、石垣山城は廃城となり、その見事な野面積みの石垣は、江戸城や小田原城の築城に使われたとされます。
現存する建造物はありませんが、当時の石垣の一部は、井戸曲輪、本城北東側、南曲輪、二の丸東側に現存します。
東曲輪の向かいには大きな駐車場と、日本有数のパティシエ鎧塚さんがプロデュースするお店がありますのでぜひ訪れてみてください。
笠懸山の山頂に造られた城からは北条氏の居城、戦国時代最大にして最強と言われた小田原城全体が俯瞰できます。
築城の間秀吉はその姿を山頂の木々で覆い隠し、天守完成とともに一斉に木々を伐採し、その威容を小田原城に籠城する北条方に見せつけ、戦意をくじいたと言われています。
秀吉の眼は、築城当初から北条氏亡き後の関東統治に向いていたといわれ、石垣山城築城の真の目的は関東を治める徳川家康を抑えるための砦だった。ともいわれています。
江戸時代に入ると、石垣山城は廃城となり、その見事な野面積みの石垣は、江戸城や小田原城の築城に使われたとされます。
現存する建造物はありませんが、当時の石垣の一部は、井戸曲輪、本城北東側、南曲輪、二の丸東側に現存します。
東曲輪の向かいには大きな駐車場と、日本有数のパティシエ鎧塚さんがプロデュースするお店がありますのでぜひ訪れてみてください。
目次
石垣山城へのアクセス方法
新幹線・電車で行く場合
JR東海道本線の「早川駅」から徒歩約50分
箱根登山鉄道の「入生田駅」から徒歩約60分
箱根登山鉄道の「入生田駅」から徒歩約60分
車で行く場合
・西湘バイパスを湘南方面から
西湘バイパス「小田原IC」で降り、国道1号「山王橋」交差点左折、国道1号を道なり箱根方面へ約2.9km先「板橋」交差点左折、約350m先「ターンパイク入口」交差点左折、約260m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し道なり約1.8km
・小田原厚木道路から
小田原厚木道路「小田原西IC」で降り国道135号方面へ約860m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し、道なり約1.8km
●タクシーを利用する場合
・小田原駅:約15分
・箱根板橋駅:約10分
・早川駅:約10分
●バスを利用する場合
田原宿観光回遊バス「うめまる号」 土、日、祝日(※年末年始など除く)に運行
西湘バイパス「小田原IC」で降り、国道1号「山王橋」交差点左折、国道1号を道なり箱根方面へ約2.9km先「板橋」交差点左折、約350m先「ターンパイク入口」交差点左折、約260m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し道なり約1.8km
・小田原厚木道路から
小田原厚木道路「小田原西IC」で降り国道135号方面へ約860m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し、道なり約1.8km
●タクシーを利用する場合
・小田原駅:約15分
・箱根板橋駅:約10分
・早川駅:約10分
●バスを利用する場合
田原宿観光回遊バス「うめまる号」 土、日、祝日(※年末年始など除く)に運行
駐車場
駐車台数:58台
駐車料金:無料
駐車料金:無料
石垣山城、最寄りの場所からのアクセス方法
徒歩で向かわれる方は、JR早川駅から北西に向かって石垣山一夜城を目指し進みます。
時間は、登り道なので1時間ほど見ていた方がいいでしょう。
車で向かわれる方は、一夜城駐車場が城の登城口近くにあります。
今回は駐車場から東曲輪跡の登城口から南曲輪跡、西曲輪跡、本丸と天守台、物見台、二の丸(馬屋曲輪)、展望台、井戸曲輪のルートでお城をご案内します。
時間は、登り道なので1時間ほど見ていた方がいいでしょう。
車で向かわれる方は、一夜城駐車場が城の登城口近くにあります。
今回は駐車場から東曲輪跡の登城口から南曲輪跡、西曲輪跡、本丸と天守台、物見台、二の丸(馬屋曲輪)、展望台、井戸曲輪のルートでお城をご案内します。
石垣山城を散策する
登城口(東曲輪跡)
登城口は、南曲輪跡と東曲輪跡の間にあります。
南曲輪の石垣は向かって左側にありますので確認しておきましょう。
南曲輪南東面の石垣は一番保存状態がよく、江戸時代初期の石垣に比べ勾配(=石垣の傾斜)が緩やかなのが特徴的です。秀吉時代の総石垣づくりの一端が垣間見えますね。
南曲輪の石垣は向かって左側にありますので確認しておきましょう。
南曲輪南東面の石垣は一番保存状態がよく、江戸時代初期の石垣に比べ勾配(=石垣の傾斜)が緩やかなのが特徴的です。秀吉時代の総石垣づくりの一端が垣間見えますね。
南曲輪跡
登城口からごろごろと不規則に並ぶ石段を登り、分岐点を左手にまがると南曲輪です。
登りは比較的まっすぐなのですが、東曲輪と南曲輪に挟まれた形で左右から挟撃されるつくりになっています。
現在は、崩れた石垣が道のあちこちに点在するのでそれをよけながら、進む感じです。
南曲輪はやや曲輪で執務スペースなどがあったというよりは、侵入してきた敵を迎撃するための防御施設だったと考えられています。
登りは比較的まっすぐなのですが、東曲輪と南曲輪に挟まれた形で左右から挟撃されるつくりになっています。
現在は、崩れた石垣が道のあちこちに点在するのでそれをよけながら、進む感じです。
南曲輪はやや曲輪で執務スペースなどがあったというよりは、侵入してきた敵を迎撃するための防御施設だったと考えられています。
西曲輪跡
南曲輪を後にして右手に進むと南曲輪よりやや高い位置に西曲輪があります。
西曲輪の下には大堀切があり、上には天守台があったことから、南西方面から来る敵を食い止めるための軍事施設だったと考えられます。
西曲輪の下には大堀切があり、上には天守台があったことから、南西方面から来る敵を食い止めるための軍事施設だったと考えられます。
本城曲輪と天守台
西曲輪からさらに左手に回り込むように進み帯郭の石段を上ると本城曲輪です。
本城曲輪は南や西郭に比べるとやや大きいですが比較的草木に囲まれているのでそんな感じはしませんね。
上って正面奥に物見台があり、右手奥に天守台があります。
天守台は石垣はないのですが、その傾斜はやはり緩やかな感じです。
本城曲輪は南や西郭に比べるとやや大きいですが比較的草木に囲まれているのでそんな感じはしませんね。
上って正面奥に物見台があり、右手奥に天守台があります。
天守台は石垣はないのですが、その傾斜はやはり緩やかな感じです。
物見台から見る景色
相模湾が一望できる景色は圧巻です。
左手海岸線沿いに相模国が一望でき、木々で若干見にくいのですが、よく見ると小田原城の天守も見えます。
秀吉が北条氏以後も考えて築城したというのものうなずけますね。
左手海岸線沿いに相模国が一望でき、木々で若干見にくいのですが、よく見ると小田原城の天守も見えます。
秀吉が北条氏以後も考えて築城したというのものうなずけますね。
馬屋曲輪跡
本城曲輪を降りると、一際大きな広場にでます。
ここが馬屋曲輪跡です。
緑もきれいな開放的な空間で、本城東側の石垣跡も残ります。
ここが馬屋曲輪跡です。
緑もきれいな開放的な空間で、本城東側の石垣跡も残ります。
展望台
馬屋曲輪をさらに奥に進むと展望台です。箱根の山々とターンパイク(=道路)が見えます。
井戸曲輪
展望台を後にして馬屋曲輪に戻り東側に下るように降りていくと井戸曲輪です。
(結構くだっていく感じ。)
井戸曲輪はもともと沢になっていた部分の壁伝いに石垣を配し、水を貯めたと考えられています。
同様の施設は安土城にも見られます。
井戸曲輪を後にしてやや上りながら道沿いに進むと東曲輪にでます。
(結構くだっていく感じ。)
井戸曲輪はもともと沢になっていた部分の壁伝いに石垣を配し、水を貯めたと考えられています。
同様の施設は安土城にも見られます。
井戸曲輪を後にしてやや上りながら道沿いに進むと東曲輪にでます。
石垣山城の御城印と続百名城スタンプ
御城印販売場所
一夜城Yoroizuka Farm マルシェ
住所:神奈川県小田原市早川1352-110
開館時間:10:00~17:00
定休日:火曜日・水曜日
(※休業日は変更になる場合がございます。)
住所:神奈川県小田原市早川1352-110
開館時間:10:00~17:00
定休日:火曜日・水曜日
(※休業日は変更になる場合がございます。)
日本続100名城スタンプ設置場所
石垣山一夜城駐車場トイレ前
開館時間:8:00~17:00
開館時間:8:00~17:00
石垣山城の入城情報
所在地
住所:神奈川県小田原市早川1383ー12
開城時間
年中無休、24時間入城可能
休城日
無休
料金
無料
制作スタッフ紹介
記事&写真担当
歴史作家。城郭ナビゲーター。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。
城巡り歴は約40年ほど。防衛施設としての城もさることながら城下町としての街づくりが好き。
特に江戸時代の教育・文化・経済に強く惹かれています。
日本100名城、日本続100名城を中心に訪れたお城の数は150城を超え、2025年に200城を目指し日夜研鑽中。
現在、城トリップで仲間たちと城巡りの情報交換を行いながら記事更新しています。